第四話
この大衆居酒屋のある建物は三階建てである。
一階は開放的で広々とした食堂。
三階はアシュリーたちの居住部。
そして二階が個室である。──個室があることを知っている者は、実はあまりいないが。
夜闇に紛れて訪れたライズとジャンを外で迎え、店の裏から二階の個室に通す。
適当な飲み物とつまみを頼まれて、一階の厨房に戻ってくると、たまたま調理していたおかみさんに小さく声を掛けられた。
「アンタ、いつの間にあんな色男をひっかけて来たんだい?しかも二人も!まだまだ子どもだと思っていたのに、まったく隅に置けない子だね」
「違うから!そういうんじゃないから!」
アシュリーから開店前に、個室に案内する客のことを聞いてはいたが、いざ現れたその二人はどちらもなかなかの美男子だった。
驚きはしたものの、早くもこの事態を楽しみ始めているおかみさんと、いつも以上に黙って調理を続けているおやっさん。
「あのね、昼にも言ったけど、あの二人にはアイラを騙した奴をとっちめるのに協力してもらってるの。それだけだから!じゃあ私も上がるからねっ」
からかう声を一蹴して、アシュリーは飲み物とつまみを持って個室に戻っていった。
料理や酒を楽しんでもらいながら他愛ない会話をしたところで、本題に入る。
「あの場所は今日を抜いて、あと四日間借りられているみたいです。昨日と今日は店を出していなかったそうですが、場所代は全額前払いがルールで、きちんと支払われているので特にこちらから何か言うことはないとのことでした」
「なるほどね。毎日店を出せばその分客も増えるが、顔を覚えられたり偽物だとバレたりするリスクも跳ね上がる。そこそこ慎重なようだ」
「許可証に署名されていた名前についても分かりました。サイモン・クラーク…こちらで調べたところ、バルディアナ商会代表の四男で、数年前に身分を剥奪されたサイモン・バルディと同一人物のようです」
「バルディアナ商会というと、一番大きな商会ですよね。たしか代表はファムパルジュの売買も正式に王家から許可されている?」
「その通りだよ、よく知っているね」
「店のカトラリーやグラスなんかをちょこちょこ仕入れているんです。その関係で」
「ああ、馴染みのある商会なんだね」
「はい。…そのサイモンが、身分を剥奪されたというのは?」
「商会の資金を幾度となく私的に使い込んでいてね。代表がバルディ家からの除籍と貴族身分の剥奪を申し入れ、それが受理された」
「…ボンクラ息子だったんですね」
「正直だなあ。その通りだけれど」
アシュリーの歯に衣着せぬ物言いに、珍しかったのかライズはくすくす笑う。
グラスを優雅に傾けながら、ジャンとライズはあれこれと意見を交わし始める。
全く何をしていても絵になるから困る、などとアシュリーが考えていると、眉を寄せたジャンがグラスを置いて腕組みをした。
「しかし…あと四日の間にサイモンは現れるでしょうか。騎士団が張り込むわけにもいかず、かと言って現れたとしてもそれを確認して騎士団が動く前に、察知され逃げられては意味がない」
「…それなんですけど」
小さく手を挙げたアシュリーを、二人は促す。
「私に考えがあるんです。お話、聞いて頂けませんか?」
夕暮れ。
他の露店がぼちぼち店仕舞いを始める中、黙々と布を広げて開店準備をしている男がいた。
この時間にここを通るのは、家に帰る学生か、夜番に向かう勤め人くらい。
昼間の喧騒が幻のように思えるほど、通行人はほとんどいない。
商品の宝石やアクセサリーを丁寧に並べ、男は腰を下ろした。
この場所を借りたのは四日前。その日にここで収益を上げ、それから昨日までは別の平民街の方へ行っていたが、それを全て合わせてもここほどの収益は得られなかった。
王都の中でもこの平民街が一番王宮と貴族居住地に近いこともあり、ここに住む平民はそれなりに金を持っている。
あまり同じところに居つきたくはないが、せめてここでもうひと稼ぎしてから王都を出たいところだ。
今日を入れてあと三日、初日のような客が通りかからないかと、男は黙って待っている。
「商品を見てもいい?」
「ああどうぞ。お嬢ちゃんのような可愛いお客なら大歓迎さ」
通りかかった少女が足を止め、こちらに寄ってきたのは僥倖だった。
興味津々で商品を見始める彼女を、男はにやついた笑いを隠して不審がられない程度にじろじろと観察する。
少女はしゃがみ込んだ際に一房零れた髪を耳にかけて、そのまま手を当てた姿勢で商品を眺めていた。
その腕にはじゃらりと、あまり統一性のない腕輪が数本嵌められている。
耳に着けている飾りも、腕輪と全く合っていない。
どれも質も低ければ品もない、そこらの露店で買い集めた玩具だろう。
だが、生活必需品でもない装身具を買い集める程度には金を持っているようだ。
顔立ちはまあまあだが、頭は良くなさそうだ。それに自分を飾るセンスがない。
洗練された洒落を楽しむ貴族に憧れているが、そのセンスを学ぶ機会もなく、とりあえず気に入ったアクセサリーをかたっぱしから着けて満足している可哀想な平民──彼の目に少女はそのように映った。
「あれ?どうしたの?」
じっくり時間をかけて眺めていた少女の後ろから声を掛けてきたのは、この間ファムパルジュを売りつけた女。
こいつの知り合いだったのか──男は若干警戒したが、彼女の方は全くこちらに警戒した様子を見せない。
それどころか、男に気づいて「先日はどうも」と、ぺこりと頭を下げるではないか。
きっとあれが偽物なことにまだ気づいていないのだろう。まったく良い女だ。
それならばむしろちょっと箔をつけてやった方が、良い金が入るかもしれない──
男は女に一礼し、にこやかに返事する。
「おお、これはこれは。お売りした”ファムパルジュ=エリルライト“の効果はいかがですかな?」
「とっても素敵よ。もったいなくていまだにケースから出せないの。ずうっと眺めてるわ」
「それは重畳。お売りしたお品物をお客様に大事にして頂くのは、宝石商としても冥利に尽きますぞ。あれほどの宝石はなかなかないでしょう」
「え…、あなたファムパルジュを買ったの!?ここで!?」
話の内容に興奮して隣の女に問いかける少女に「まあまあ」と声を掛け、男は指を一本口の前に立てた。
少女ははっと口を押さえ、「本当にファムパルジュがあるの…?」と小さな声で訊いてきた。
男はにんまりと笑うと、懐に仕舞っていた上質な革袋から、ネックレスを取り出した。
金色の繊細なチェーンに通された、一粒の珊瑚色が煌めく。
少女は息を呑んで、男からそのネックレスを受け取る。
ネックレスをじっくりと眺めて、彼女はほうと息を漏らした。
「これがファムパルジュ=リーシェ?」
おや、と男は目を見開いた。
意外にも、宝石の識別くらいは出来るらしい。
だが、ここが貴族居住地に近い街とあればさもありなん。本物の宝石を見る機会くらいはあったのだろう。
だが、真偽を判断する能はなさそうだ。
「お嬢ちゃんはお目が高いね。さよう、リーシェのネックレスだよ。…それも“特別な”、ね」
声を潜めて殊更に“特別”を強調すると、少女は「まさかこんなところで出会えるなんて…」と感激している。うまいこと勘違いしてくれたようだ。
「とってもきれい…」
「そうだろうそうだろう。どうだいお嬢ちゃん、今ならこの美しいリーシェが金貨一枚と銀貨五十枚だ。だが…お嬢ちゃんは美人だし、大事なお客様のお友達のようだからね、金貨一枚までまけてやろう。少々高いが、これを逃せば次はないよ」
「うーん…でも、ファムパルジュってこんなところで売っていいものなの?」
手にあるネックレスをじっと見つめて首を傾げる少女に、男は愛想良く言った。
「私は国王陛下に許可を頂いて販売しているからね。ほら、許可証もここに」
「…見てもいい?」
そう言って手を伸ばしてきた少女に、男は顔には出さずとも驚いた。
その確認は正しい。ただの馬鹿な平民ではないようだ。
だが許可証の偽造は抜かりなくできているし、そもそもこの女が許可証を見たとてそれを見抜くことは出来まい。
むしろ見せるのを躊躇しては、そこから要らぬ疑念を生むかもしれない。
一瞬のうちにそう考えた男は、素直に許可証を手渡す。
とりあえずさっと内容を見て返してくるだろうと思ったのだが、予想外にも少女は渡されたそれをじっと見つめている。
まるで怪しい箇所がないかと探しているように。
「…ほらお嬢ちゃん、もういいだろう?商人にとってそれは命と同じくらい大切なものだから、あまり人に持たせていたくないんだ」
焦れた男が尤もらしいことを言って返してもらおうと手を差し出すと、ふいに少女は立ち上がって足を一歩引いた。
「…お粗末ねぇ。手ずから売るお品物のことくらいきちんとお勉強した方がよろしかったのではなくて?それとも、平民にはどうせ理解もできない、理解したところで訴えもできないと高を括っていらしたのかしら。まったくお可哀想ね、慢心に足を掬われていらしてよ」
一瞬、その声が誰から発せられたのか分からないほど、男は混乱した。
急に口調の変わった少女に、男は手を出したままぽかんと口を開ける。
が、すぐに投げつけられた言葉の意味を理解して顔を真っ赤にした。
咄嗟に反応しようとして、しかし少女の追撃によってすぐさま封じられる。
「貴方、そもそも微量な魔力はどの宝石にもあるわけではない、ということはご存じ?ファムパルジュの称号を持つ宝石…つまり魔力を帯びているものがあると正式に確認された石は5種類しかございませんの。国宝たる青の至宝を除いて、流通するファムパルジュはミレージュ、エリルライト、アマデュロ、カルネの4種類ですわ。少なくとも建国以降、魔力を帯びたリーシェはいまだ確認されておりませんのよ。世紀の大発見といって差し支えないほど価値ある“ファムパルジュ=リーシェ”が、何故こんな平民街の一角で、それも相場からかなり外れたお値段で売られているのかしら?」
「そ、それは…」
「それに、このリーシェにはエメ・カットが施されておりませんわよ。敬愛なる国王陛下に許可を賜った名誉ある宝石商と名乗るほどですもの、まさかエメ・カットのことをご存じないなどとは仰いませんわよね?どうしてファムパルジュなのにエメ・カットがないのかしら。もしかして、本当にファムパルジュだと思っていらっしゃる?なれば宝石商を名乗るのはおやめになった方がよろしいわ、恥をかくのはご自身ですわよ。それに、せめて本物をファムパルジュと騙るならともかく、水晶に色を乗せただけの偽物とは…販売許可証はうまく偽造したようですけれど、肝心の石がこれではあまりにお粗末ですわね?」
こちらに隙を与えないまま次々に弾劾してくる少女に、男は圧倒された。
目の前の少女は確かに平民であるはずなのに、まるで社交の場数を踏んだ貴族令嬢のような尊大な物言いをする。
そして、こちらを射抜く彼女の瞳になぜか既視感がある。
あれは──あの瞳は、位の高い女が不快さを露わにした表情や嘲笑を誤魔化すように、口元を扇で隠すときの瞳だ。
──商会の名に何度泥を塗れば気が済むの。お前はもう私の息子などではない。今すぐに出ていきなさい
そう、そう言って俺を家から追い出した母さんと同じ瞳──
得体のしれない恐怖が男の背中をひやりと撫でていく。
焦りからか、男からはだんだん丁寧な言葉遣いが剥がれている。
「な、何言い出すんだお前?そもそも俺はファムパルジュなど売っていない」
「…まあ、確かにファムパルジュとは言っておりませんわね。私は『ファムパルジュがあるの?』と聞き、貴方はそれには答えず黙ってこのリーシェを差し出した。これだけであれば、私が勝手に勘違いをしたと取られてもおかしくはありませんわ」
「ほら見ろ、全く下手くそな言いがかりをしやがって!話にならん」
「ですが、それはこのリーシェに限った話です。貴方、ご自分の発言もお忘れになるほど慌てていらして?言質は既に取ってありますのよ。先ほど、この子に向かって『お売りした”ファムパルジュ=エリルライト“の効果はいかがですかな?』と仰ったじゃありませんか。この子が買った物は既に王立魔力鑑定機関の者に預けてありますし、その者からも偽物であると断定頂いておりますの。そして先ほどまでの発言はしっかりと証拠として収めさせて頂きました」
キラリと光った少女の耳飾りと腕輪にふと意識が行って、それから男は頭が真っ白になった。
──まさか、ファムパルジュを応用した魔道具?
それは一般には決して出回ることのない品で、男も仲間うちから又聞きしただけのものだ。
曰く、王立魔力鑑定機関は、秘密裏に魔力研究の側面も持っているという。
ファムパルジュに含まれる微量な魔力を、政治や司法に──ひいては国民の生活の安全に寄与出来る技術を開発することが目的らしい。
そして最近、音声や映像を記録できる魔道具の加工に成功したようだという話を聞いた。
それは例えば王家に反逆を企む貴族であるとか、証拠がないことを理由にのらりくらりと逃げおおせている犯罪者であるとか、そういった者が言い逃れのできないような証拠を掴む用途において、ごく一部で実用化し始めているという噂だ。
少女は今「証拠として収めた」と言った。
つまり、客を装って自分と会話している間、その魔道具を使っていたのではないか。
少女は依然として冷たく微笑んでいる。
「つまり貴方は、偽物を本物と偽ってこの子に売りつけた、詐欺行為を自白したも同然ですわ。まあそもそもファムパルジュを騙ることや、ファムパルジュの販売許可証を偽造することが既に国家反逆に並ぶ重罪ですから、先ほどの発言は罪状の箔付けってところかしらね」
「い、言わせておけば…!どこからそんなもの手に入れた!貴様こそ窃盗でもしたんだろう、卑しい平民のガキが!」
「あら、何のお話ですの?今のどこから、わたくしが窃盗をしたなどという荒唐無稽な話を捻り出したのかしら」
少女の目がすうっと細められる。
口元から笑みが消え、その表情から読み取れるのはもはや侮蔑と怒りだけ。
「それから貴方、ここがどこか本当にご存じの上でその言葉を仰っているのですか?」
その言葉に男ははっとする。
言うまでもなくここは、彼の言うところの“卑しい平民”が住む街である。
証拠に、まだ露店に残っていた商人や、たまたま居合わせた通行人は皆、男を射殺せるほどの視線で男を見ていた。
周りに敵しかいないようなこの状況で、男はそれでも一度振り上げた拳を下ろせない。
「うるさい!俺に盾突きやがって、小娘が…痛い目見たいのか!?」
「うるさいのは貴方です。大の男が見苦しい、お黙りなさい」
ぴしゃりと一喝した少女の纏う剣呑さに、男は押し黙るしかない。
貴族や自分が絶対に逆らえない者を相手にしている時のような、嫌な緊張感になぜか全身を支配されている。
少女は手に持っていた許可証を一瞥し、それから男の顔をもう一度見た。
「サイモン・クラーク…ああ、バルディアナ商会の勘当された四男坊でしたか。確か商会の資金に幾度となく手を付けたんでしたね」
男はついに情けない声を上げた。
会ったこともない平民の少女に、なぜ己の出自が知られているのか。
その不審さは、しかしそれを上回る恐怖に抑えつけられて霧散していく。
「これ、よく偽造されていますわね。大方、本物の許可証は母君のものを真似たのでしょうが…」
ひらりと許可証を振った少女は、一転して可哀想なものを見る目で男を見据えた。
「この複雑な文様の印章をこんなにも精緻に模倣するほどの腕がおありだというのに、残念な頭のせいで勿体ない使い道になってしまいましたのね。そのようなお暇があったのでしたら、一度王立魔力鑑定機関の大展示室にでも足をお運びになればよろしかったのに。先代国王陛下の寛大なる御心により、あそこは“卑しい平民”にも開かれておりますから、今わたくしが申し上げた程度の知識なら貴方にもいくらでも学べましてよ」
男の頭に血が上る。
哀れな目で見られるべきは自分ではなく、自分より格下のこいつら平民のはず。
こんな取るにも足らない、俺のような上の存在に搾取されるしか存在価値のないただの奴隷に、なぜこちらが愚弄され、辱めを受けねばならないのか──
男はふらりと立ち上がり、懐に手を入れながら商品の並べられた布を踏みつけて前に出る。
後から来ていた女を咄嗟に自身の後ろに隠した少女に憎悪の眼差しを向け、男は懐から取り出しざまに刃物を投げつけた。
半ば衝動的に放られたにもかかわらず、目的に向かって真っすぐに飛んでいった刃物。
その切っ先を捉えた少女の瞳が、わずかに見開かれた。