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第二十三話

しばらく更新が滞っており申し訳ないです。

完結までしっかりと、進みは遅くとも走ってまいりますので、よろしければ今後もどうぞお付き合いください。



アシュリーは信じられないといった顔でライズを──ブライトを見つめた。

それから隣の夫婦と、ジャンと、ヨハンソンにも順に目をやると、皆アシュリーに穏やかな笑みと頷きを返す。


それから手の中で見事に咲く花に視線を落として、アシュリーはしばらく俯いて黙り込んでいた。

ブライトは彼女の言葉を静かに待つ。


やがて面を上げたアシュリーは、ブライトを真っ直ぐ見据えた。

その薄紫の瞳の縁に、うっすらと涙が溜まっている。



「王太子、殿下……」

「うん。素性を隠すような真似をして済まなかった。…この格好で動くには、いろいろと難があるからね」

「…殿下、私は…わたくしは……」

「ユリア嬢。この花を覚えている?その時僕が君に話した内緒話も?」

「…もちろんです、殿下。この花も、内緒話も…一度だって忘れたことはなかった……!」

くしゃりと顔を歪めてそう言ったアシュリーの頬を、後から後から涙が伝っていく。

ブライトは花ごと包み込むように、自身の両手で彼女の手を握って語りかけた。



「ユリア嬢。……よく、生きていてくれた。身が裂かれるほどつらい思いをしただろう。どうにもできなくて歯痒い思いも何度だってしてきたはずだし、底なしの絶望も嫌というほど味わってきたと思う。……それでも、ライズとして初めて会った時の貴女は、そんな過去を微塵も感じさせない笑顔で、胸を張って強く生きていた。……今まで、よく頑張ってくれたね」

「…!」

「真実を見つけるまでに時間がかかってすまなかった。あの火事で助かった娘がユリア嬢だったという報告を鵜呑みにし、きちんと確認しなかったこちらの落ち度でもある」

「いいえ、いいえ……殿下のせいではございません。あの時義姉はわたくしの服を着ておりましたし、義姉とわたくしは背格好もほとんど同じでした。そして当時のわたくしはほとんど社交の場に出席しておりませんでしたから、そんなわたくしと義姉を、あの混乱の場で正確に区別できる方などいるはずがありませんでしたでしょう?だからこそ、義母と義姉があのような暴挙に出たのですから」

「だが、その後も忙しさにかまけてベルティーニ公爵家の様子を伺わなかったのも事実だ。そうしていれば、もっと早くに気づけていたかもしれなかったのに」

「でも、殿下はこうしてわたくしを見つけてくださいました。殿下がわたくしを覚えていてくださり、こうして探してくださった。それだけで、充分です。……それだけで、本当に……」

ブライトは未だぼろぼろと涙を零すアシュリーの手を握る両手に一層力を込めた。

この少女を二度と離すまいと、そう決意するかのように。






「…落ち着いたかい?」

「はい。お見苦しいところをお見せしました」

「では改めて、今後について話しましょうか」

ジャンがそう声をかけると、ブライトは名残惜しそうにアシュリーの手を離し、先ほどまで座っていた席に戻る。

そしてジャンはおやっさんとおかみさんの方を向き、話し始めた。



「今更ですが、ここで見聞きした内容は、くれぐれも他言無用に願います。この場にいる者以外にこれを知るのは、国王陛下ただおひとりです」

「妻ともども、この命にかけて拝命いたします」

「良い心がけです。さて、今殿下と彼女自身がお話した通り、この御令嬢はベルティーニ公爵家の血を引く御方です。そしてこの度、王太子殿下の婚約者として国王陛下に指名されておられます」

「おやっさん、おかみさん。…素性を隠す形になり申し訳ございませんでした。改めて、わたくしはユリア・ベルティーニと申します」

「本当に貴族様の娘だったんだねぇ…最初の頃、平民の娘が普通にできることが全くできなかったから、どこかの貴族の出身だろうとは思っていたが」

「ちなみにアシュリーという名はどこから?」

「わたくしの母方の祖母の名です。名を訊かれたとき、咄嗟に借りてしまいました」

「なるほど」


「その公爵家ですが、ユリア嬢の御母君であるオデット様は病で亡くなられております。ご当主であったマルクス・ベルティーニ公爵はその後、ペネロペという後妻と、ナターシャという連れ子を迎え入れました。ナターシャ嬢はユリア嬢の二つ上でしたね?」

「その通りです」

「そして、三年前に起きた火災により公爵とナターシャ嬢が亡くなり、ペネロペ夫人とユリア嬢だけが助かった──それが、世間的に認識されている事実でした。実際、ベルティーニ公爵とナターシャ嬢二名の死亡届は正式に受理されております。しかしご存じの通り、真実は違います」

「ペネロペ夫人は自身と共に逃げ出したナターシャ嬢をユリア嬢だと偽り、あたかも公爵とナターシャ嬢が逃げ遅れたのだと思わせた。そして『火事により公爵と、後妻の連れ子である娘は亡くなったが、公爵の実の娘は後妻に助けられ生き残った』と人々に誤認させ、ベルティーニ公爵家を乗っ取った。恐らく、本物のユリア嬢は公爵と共に焼死させたと信じているのだろう」

「偽りは白日の下に晒し、あるべき姿に戻さねばなりません。これから私共は秘密裏に、王太子殿下の婚約者として王宮にいる公爵令嬢がユリア嬢の名を騙る別人であることについて証拠を集めていく必要があります」

そこでジャンは一度言葉を切り、アシュリーと夫妻に順に目線をやった。



「鍵となるのはやはりユリア嬢──む…些かややこしいですね、しばらくはこれまで通りお呼びします──アシュリー嬢の存在です」



「アシュリー嬢にはおつらいことを頼んでしまい心苦しいのですが、三年前の火事に関して前日までと当日の様子や、公爵、公爵夫人、ナターシャ嬢とのやり取りを可能な限り思い出して聞かせて頂きたい。真実を詳らかにするとなった以上、貴女の証言が唯一の手掛かりなのです」

おかみさんの気遣わしげな視線に微笑みを返して、アシュリーは頷いた。

ジャンも軽く頷いて、また話を続ける。


「また、アシュリー嬢の出自が明らかになった以上、こちらとしてはアシュリー嬢をこのまま平民街で生活させることは出来ないと判断いたしました」

「そこでだ。アシュリー嬢、君にはこれから、表向きはヴェルハイツ公爵家に仕えることになった侍女として公爵家で過ごしてもらう」

「えっ…」


思わず声を上げてしまったアシュリーに、ブライトは告げる。

「君が僕の婚約者である以上、平民街で護衛もなしにこれまで通りの生活をさせてやることは出来ない。平民街に護衛を向ける訳にもいかないし、そんなことをすれば何かと噂になるだろう。そこから君の素性が割れる可能性を最も危惧している。かと言って王宮には夫人たちがいるから、王宮で匿うのは尚のこと危険だ。だから、ヴェルハイツ家に身を寄せてもらう」

「…かしこまりました」

アシュリーは一礼した。



「侍女というのはあくまで表向きの理由だ。アシュリー嬢には、公爵家で妃教育を受けてもらい、同時にヨハンソンと共に、この王立魔力鑑定機関への出仕を求める」

「出仕、でございますか?」

「まあそれも表向きの理由だな。実際は事情聴取や調査の進捗状況など、共有しなければならない事柄がこれからも多く発生するだろう。しかし私やジャンが頻繁に公爵家に出入りする訳にもいかない」

「この魔力鑑定機関の責任者として既に陛下の執務の一部を担っておられる王太子殿下と、王国騎士団の一隊を預かるオーウェン子爵が頻繁に出入りしてもおかしくない唯一の場所がここなのです」

「我々に与えられている時間は少なく、その中で綿密な裏取りを行わねばならない。そしてアシュリー嬢の身の安全の確保が最優先でもある。故にアシュリー嬢、これから一人の時間はほとんどないと思ってくれ。私たちが動いていることを周囲に悟られぬよう細心の注意を払うが、それでも夫人たちが何かを嗅ぎつけて君の存在に辿り着き、今度こそ害そうとする可能性も否定できない」

「…分かりました」




「パトラ卿、シエル夫人」

ブライトが呼びかけると、二人は目礼を以て応えた。

「こちらの都合を強いてしまい済まない。だが、少なくともこの事態が落ち着くまでは、幾らそなた達二人であろうと彼女と会わせてやることは出来ない。…これよりは、アシュリー嬢を我々がしっかり守っていくことを誓う。彼女を救い、これまで慈しんでくれたこと、心より感謝する」

「もったいなきお言葉でございます、王太子殿下」

「実の親でもない平民の私達が申し上げるのも何ですが…王太子殿下、ヨハンソン様。どうかアシュリーを、…この子をよろしくお願いいたします」

「この名にかけて」

「しかと承りました」



それが合図であったと、アシュリーは今更ながらに気づいた。

ジャンが立ち上がり、扉に向かって歩いていく。

その後に続いて立ち上がるおやっさんとおかみさんを、アシュリーは咄嗟に呼び止めることが出来なかった。




──もう、会えない?

一生ではない。少なくともこの問題が片付くまでは。

だが、これまで抱えきれないほどの愛と恩をこの手に受けておいて、何も、感謝の言葉すらも返せないまま、こんな唐突に別れが来るなんて。


ようやっとそう理解して、アシュリーは思わず大声で引き留めた。



「待って!」




扉の前で、二人が振り返る。

アシュリーは二人に駆け寄って、震える声で呼んだ。

「おやっさん、おかみさん……私、…わたし…」


言葉が出ないアシュリーの、その頭をおかみさんは困ったような笑顔で撫でる。

「本当は、私達が貴族様にこんな物言いをすることは失礼なんだろうけど…でも、言わせておくれ。……寂しくなるねぇ。常連客たちにはうまく言っておくし、仕事のことは気にするな。アシュリー、くれぐれも体には気を付けるんだよ。あんたは根を詰めすぎるから。公爵様の言うことをよく聞いて、夜はちゃんと寝るんだよ?」

おやっさんも手を伸ばして、アシュリーの頭をわしゃわしゃと撫でる。

「…どうにもならなかったら、帰ってくればいい。お前はずっと家族(うち)の一員だ」

「……うん……ふたりとも、今までありがとう……」

大粒の涙をぼろぼろとこぼし始めたアシュリーを、おかみさんはそっと抱きしめた。


「全く、泣き虫は最後まで変わらなかったねぇ…ああもう、綺麗な目が溶けちまうじゃないか。ほら、しゃんとしな。あんたはお妃さまになるんだから、めそめそしてちゃあみっともないよ。何も一生会えないってわけじゃないんだ。そりゃあ、あんたに直接会うことは難しくなるけど…私たちはあの店にいて、あの場所からいつだってあんたを見守ってる。だからあんたは王太子殿下の隣で、幸せになるんだよ」

「ありがとう、…ありがとう……!」



おかみさんをぎゅっと抱きしめ返し、それから片腕を伸ばしておやっさんにも抱き着く。

おやっさんは一瞬目を白黒させて、それからさっきより乱暴にアシュリーの頭を撫でた。



ぐすぐすと鼻を鳴らしながらようやく手を離したアシュリーに、二人は微笑んだ。

それからブライトとヨハンソンに深く深く頭を下げ、二人はジャンに先導されて部屋を出ていく。

その扉が閉まる寸前、すん、と鼻を啜った音が向こうから僅かに聞こえた。

アシュリーはぱたりと閉じられた扉を黙然と見つめたまま、しばらくその場を動かなかった。

ブライトも、ヨハンソンも、何も言わなかった。




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