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第二話


予定外に天に召されてしまった可哀想なグラスの残骸もそのままに、アシュリーは呆然と問いかける。

「え…ファムパルジュ?買ったの?アイラが?」

「そう!たまたま来てた宝石商が売ってくれたの!それよりアシュリー大丈夫!?怪我してない?」


真っ先にアシュリーに怪我がないかを確認してくれるアイラは良い子だ。

急いで割れたグラスを欠片も残らず処分して(ちなみに店主からは「何してんだい全く」の一言で片づけられた)、床を念入りに掃き終わったところで、アシュリーはアイラに向き直った。

アイラはなぜかおやっさんに賄いを貰って、テーブルでもぐもぐしている。

前言撤回。グラスを割った原因を持ってきたくせに我関せずで食事を摂るとは、薄情なやつだ。

半眼でアイラの前の椅子に座ったアシュリーは、ため息の代わりに質問を投げた。



「よく買えたね…?アイラ、実はお金持ちなの?」

むぐ、とアイラは頬張っていた賄いを飲み込む。

「お金持ちじゃないよ?平民だもん、わたし」

「でもファムパルジュって、金貨数十枚はするでしょ?」

「そんなにするの!?わたし、銀貨八十枚で買ったよ」

「は!?そんな値段で売られるファムパルジュ、聞いたことないよ!あり得ない…」


何があり得ないのかよく分かっていないアイラに、アシュリーは言い募る。

「よく考えてよアイラ、普通の宝石だってだいたい金貨五枚は超えるのよ。それよりも価値ある魔力を帯びた宝石(ファムパルジュ)が、たかだか銀貨八十枚ぽっちで買えるわけないじゃない」


ちなみに、銀貨百枚で金貨一枚の価値と同等とされる。

アシュリー達の給料が月に銀貨十五枚貰えるか貰えないか程度なので、金貨一枚を貯めるのに時間がかかることはよく分かると思う。


「でもこれ、まけてくれたんだよ?本当は金貨一枚と銀貨三十枚って言われたんだもん」

「絶対嘘でしょ、それ。金貨一枚ちょっとで買えるファムパルジュに、皆が焦がれるような価値ってある?ちょっと頑張れば誰でもすぐに手に入るじゃない。そんなものならわざわざ、王家が取り扱える商人を選定してまで流通させる必要なんてないでしょ?普通に宝石店に卸せば売れるんだから」

「でも!自分は王家に伝手があるから、ファムパルジュを他の商人より多く仕入れられるし、そのおかげでいくらか安く売ることが出来るって…言ってて…」

「宝石商が?」

「宝石商が…」

「王家に伝手があるのなら尚更、相場以下の値段で叩き売るなんてあり得ない。利益にならないじゃない。それに『いくらか安く』にも限度があるでしょ。少なくとも銀貨だけで手に入れられる宝石なんて、かなりの粗悪品かそもそも宝石ですらない石だよ」

アシュリーの容赦ない指摘に、アイラは何とも言えない表情をした。

偽物を掴まされた可能性に若干気づいてきたがまだ認めたくない、という顔だ。



「アイラ、買ってきたもの見せてよ」

手を差し出すと、アイラは渋い顔でバッグからケースを取り出した。

小さなケースには、指輪が納められている。

「ケースから出して触ってもいい?」

アイラがこくりと頷いたのを見て、アシュリーは指輪をそっと取り出す。

台座に留められた美しい緑色の石を、しげしげといろんな角度から眺めたり光に翳したりを繰り返して、アシュリーは溜息をひとつついた。



「…やっぱり。これ、ファムパルジュじゃないよ」

「…やっぱり…?」

「しかも普通のエリルライトですらない。水晶か何かに特殊な塗装を施して、エリルライトの緑色に見せてるだけだと思う」

「はああああああ………」

彼女は頭を抱えてテーブルに突っ伏す。

ゴン、と鈍い音がして卓上のカトラリーが少々飛び上がったようだが、額を打ちつけた彼女はそれどころではないようだ。

「この機を絶対逃しちゃいけないと思って大枚はたいて買ったのに…」

「アシュリー、どうしてこれがファムパルジュでもエリルライトでもないって断言できるんだい?」

いつの間にかおかみさんが隣で話を聞いていた。

声をかけられるまで気づかないほどの気配の殺し方に多少驚いたものの、アシュリーは指輪を見せながら話をする。



「ファムパルジュは王家と王立魔力鑑定機関による確認と認可を受けたものしか流通しないでしょ?認可を受けたファムパルジュは、加工された石のデザインを損ねないように配慮された上で、更に細かいカット──エメ・カットって言うんだけど──を施して、認可されたことを証明するの。でもほら、この石にはそのエメ・カットがないんだよね」

「なるほど」

「それから、エリルライトじゃないと言える理由だけど…まず、実はエリルライトって、見る角度や光の入り具合によって少しずつ色が変わるのよ。カットされた正面から見えるのは確かにこの緑色なんだけど、横や裏、光に翳して見れば深い緑にも見えるし、黄緑にも青に近い色にも見える。だからエリルライトの美しさを表現するときに“オーロラの如き”なんて称されるわけ。でも、この石はどこから見ても光に当てても単一の緑色。…こんな子供騙しに名前を使われるエリルライトが可哀想よ」

「ふうん。さすが、展示室に通い詰めてるだけあるね」

「まあね」

ふふん、と少々得意げに胸をそらしたアシュリーの頭を、おかみさんはわしわしと撫でた。



「ところで、二人とも。もう開店時間はとっくに過ぎてるんだけどね?つまみ出されたいかい?」

おかみさんの朗らかな声に、アシュリーとアイラは文字通り飛び上がった。






翌朝、アシュリーは再び芽吹きの刻に足を運んでいた。

昨日アイラが掴まされた偽物は、今はアシュリーが預かっている。

あの後おかみさんとおやっさんに頭を下げて、少しだけ店を離れたアシュリーとアイラは、宝石商が露店を出していたという場所に急いで行ってみた。

が、案の定店は既に片づけられており、当然ながら宝石商もいない。


十代半ばの少女にとって、いくら働いて給料を得ているとは言っても銀貨八十枚は大金だ。

貯めていたお金をまるっとふんだくられたに等しいアイラは半泣きで、「母さんに殺される…」と呻いていた。

アシュリーはせめて誰かに相談できないかと考え、ふと王立魔力鑑定機関にいる顔見知りの存在を思い出した。

そこで、日中は学校があるアイラに代わって、自分が相談に赴くことにしたのだ。




開館と同時に入館受付に行くと、受付の男性は「二日連続とは珍しいですね」と笑いながら手続きを取ってくれた。

いそいそと入館し、辺りを見回す。

お目当ての人物は今日は展示室の入口ではなく、二階に繋がる階段の前に立っている。


「ジャンさま──……」

「ジャン、ここにいたのか」

アシュリーが小走りで駆け寄って声を掛けようとしたのと同時に、階段を降りてきた男性がジャンの後ろから声を掛けた。

一階ホールに向いていたジャンは振り向いてその男性を認め、一礼をする。

「これは、ご足労をおかけしたようで申し訳ない。何か御用でございましょうか?」

「その堅苦しい敬語はやめてくれ。ところで…そこのお嬢さんが君に用があるみたいだよ?」

「え?」

そこでジャンがこちらを向いた。

が、アシュリーの目は降りてきた男性に釘付けだった。



背の高い男性だ。身長もあり体格の良いジャンに比べると、男性にしてはすらりとしている。

癖のない紺色の髪はさらりと流れて、前髪の間から青い瞳が覗く。

ジャンに声を掛けようとしたはずの少女が自分を穴が開くほど見つめていることに気づいて、男性はおや、というように首を傾げた。


「…き…」

「き?」

「綺麗な瞳ですね!!!」

「ん?」


よほど予想外の言葉だったのか、ジャンも男性も瞠目する。

アシュリーは自身の目を輝かせて、男性に一歩近づいた。

何が何だか分からない男性をよそに、ジャンは少しだけ遠い目をした。

──あ、これ、展示ケースを目にした時と同じだわ。

こうなったアシュリーは彼をしばらく熱っぽく見つめるだろう。

ジャンは付いてもいない服の埃を払う振りをして、しれっと足を一歩引く。

男性はというと、用があったはずのジャンではなく突然こちらに寄ってきた目の前の少女の気迫にただただ押されている。


「とっても綺麗な瞳をお持ちなんですね!透き通った青が髪や肌の色にもよくお似合いです」

「え、あ、ありがとう?」

「それにきらきら輝いてて、まるで陽の光を浴びて煌めく海と、星の瞬く夜空を溶かし込んだ宝石みたい…王家に伝わるという青の至宝(シスミライト)も、こんな美しさなのかしら!はぁ、一度でいいから直接お目にかかりたい…」

「え、ええと…」

「アシュリー嬢、…珍しくこいつが面白い顔をしているから、私としてはもう少し続けてほしいところだが…そのへんにしてあげてくれないか」


笑いを噛み殺しきれていないジャンにぽんと肩を置かれ、アシュリーははっと口を閉じる。

つい先ほどまでアシュリーには彼の瞳しか見えていなかったが、よくよく見ればその男性は顔を赤くしてアシュリーから目線を逸らし、片手で口元を押さえている。

ぱちぱちと瞬きをして、自分が彼を前に何を喋っていたのかを思い出したアシュリーも、続けてぽん!と顔を真っ赤にした。

一歩下がって、男性に深く頭を下げる。

「ご、ごめんなさい!大変失礼しました…」

「い、いや。面食らっただけで、いや貴女がとても褒めてくれていたことは分かっているが、その、些か気恥ずかしく…」

「そ、そうですよね、ごめんなさい。あんまり美しくて、場もわきまえず興奮してしまって」

「その言い方は誤解を招くよ、アシュリー嬢」

「ひえっ、ごめんなさい!」

ジャンはもはや笑いを隠してもいない。

「くく…よかったなライズ。こんなに面と向かって褒めちぎられたことなんかそうそうないだろ」

「あとで覚えておけよ、ジャン」

ライズと呼ばれた彼は咳払いを一つすると、アシュリーに向き直った。


「改めてになるが、ライズという。ジャンとは古い友人でね、学生時代から仲良くしている」

「先ほどは大変失礼をば…。アシュリーと申します」

一礼すると、ライズは笑みを浮かべて頷いた。

アシュリーの頬にまた赤が差す。

よくよく見なくとも、ライズは相当端麗な顔をしている。

それに王国騎士団に所属するジャンの学友ともなれば、きっと貴族だろう。

こんな殿方に私は人目も憚らず熱烈に語っていたのかと思うと、恥ずかしくて穴があったら入りたい。むしろ埋めてくれ。


そんな彼女の内心はいざ知らず、ジャンはアシュリーに改めて話しかける。

「ところで、アシュリー嬢。私に御用だったのですか?」

「あっ、はい。でも、ライズ様も御用だったのでしょう?私のことはお気になさらず…」

居住まいを正してそう答えると、ライズは首を振った。

「大丈夫だよ、アシュリー嬢。私の方は大した用ではないんだ」

「ライズもこう言っていますし、遠慮なさらず。私でよければ、ご用件をお聞きしますよ」

二人の男性に微笑まれて、アシュリーはおずおずと口を開いた。



「あの…ご相談があるのです。ファムパルジュを騙った石を売る宝石商のことで」


ジャンとライズの纏う雰囲気が一瞬にして厳しくなる。

間髪入れず「すぐに聞こう。アシュリー嬢、こちらへ」と返して階段を上っていくジャンとライズに、アシュリーは戸惑いながらも着いていくのだった。


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