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第十四話



空は雲に覆われ、月の光が届かない地上により濃い影を落としている。

崖の下の方から、水の音が聞こえる。

下を流れる川底に橋が落橋してから修復作業の進んでいないこの場所は、立ち入り禁止となっていた。


にもかかわらず、馬車はこの場所で停まる。

この場所まで自分を連れていくこと──それが、公爵令嬢から家の秘宝を持ち出す条件として提示されたものだからだ。

ガキなんか捕まえておきさえすればいつでも縊り殺せる、そう思った男たちは条件を飲む姿勢を見せ、馬車を用意し令嬢の指示に従ってここまで来たのだ。


だが腐っても公爵家の娘、既に捜索の手が放たれていることは予想がつく。

それを危惧していたこともあり、途中から貨物箱の監視より目的地に早く到着することを優先してここまで馬を走らせてきた。

あとは令嬢から宝を奪い、崖下に放り込むだけ。

なぜか令嬢を追いかけてきた平民らしき身なりの女はその場で殺してもよかったのだが、なかなか顔立ちと体の整った娘は、色を好むお頭に宝と共に差し出せば褒美が増えるだろうと皮算用してここまで連れてきた。



馬車を降りた男たちは、いくつか小さな篝火を焚いて明かりを確保する。

そしてニヤニヤと笑いながら後方に繋いでいた貨物箱から()()を出そうと扉に近づいて──素っ頓狂な声を上げた。



「おい!どういうことだこれは!ガキどもがいねぇぞ!」





貨物箱の扉の下部に、板が外れて中の様子が丸見えになっている箇所がある。

それは子供なら簡単に潜り抜けてしまえるほどの大きさで、そこから中にいた女子供が抜け出したのは想像に難くなかった。


「お、おい。誰だこんな馬車借りたのは!」

「はぁ!?俺のせいだってのか!?点検した時はこんな仕掛けなんぞなかったんだ!」

「そんなことより探せ!女の方はもう生きてようが死んでようがどうでもいい!ガキだ!ガキの方を何としても探して捕まえろ!」

「うるさいわね。ここにいるわよ」


馬車を追いかけてきたかのように、道の向こうからサリュが姿を見せた。

服は土にまみれてところどころほつれ、血のようなものが僅かに飛び散っている。



男たちは一瞬呆けた後、サリュを睨みつけた。

「テメェ!勝手にうろちょろしやがって。どうやって抜け出した」

「戻ってきたじゃない。逃げ出したわけじゃないわ」

「おい、その格好は何だ。あの女の方はどうした」

「あの汚い女、わたしが持っていた宝に目がくらんだのよ。奪おうとして部屋の中で暴れ回って、──衝撃で扉の下の方が外れたの。あんたたち、借りた馬車の点検もしていないの?…まあそれはどうでも良いけど。だからわたしは咄嗟に宝を持って逃げる振りをして外に飛び出して、あいつをおびき寄せてからその辺に捨ててきたのよ。血の匂いを漂わせているのですもの、今ごろ獣に喰い尽くされているのではなくて?」


片方にキラリと輝く丸い石を持ち、もう片方の手で赤いものがべっとりついたナイフをひらひらさせると、男たちは下卑た顔でサリュを見下して笑う。

「ハッ、落ちるとこまで落ちたガキだな!全く勝手なことしやがって、ただで済むと思うなよ」

「あら、あんたたちが口封じする手間をわざわざ省いてやったのよ?感謝こそすれ、詰られるいわれはないわ」

「口だけは達者なこった。お前の噂はかねがね聞いてるぜ、恋に盲目の我儘な馬鹿令嬢だってな」

「何とでも言いなさいな。…それより、馬車を停めたってことは目的地に着いたってことよね?」

「ああそうだ。お望み通り連れてきてやったんだ、早く宝を…」


サリュは男たちを冷たく一瞥すると、無言で崖のすぐ近くまで足を進めた。

「おい嬢ちゃん、そっちはあぶねぇんだ。こっちに来て、宝を渡しな」

サリュが身を投げようとしているとでも思ったのかそれとも宝のことしか見えていないのか──焦ったような声を上げて、後ろから男が一人じりじりと近寄ってくる。

サリュは崖から一歩足を引く。

男たちの雰囲気が一瞬安堵したように緩んだ。

そして、サリュは手に持っていた石を掲げそのまま力の限り放り投げた。



宝は綺麗な放物線を描いて、重力に従い崖下に落下していく。




「!おい何しやがる!話が違うだろうが!」

近寄ってきていた男が力いっぱいサリュの胸倉を掴んで宙に浮かせる。

サリュは衝撃と痛みに喘ぎながら、それでも毅然と言い放った。


「話が違うですって?どこからどう見ても話の通りよ。わたしはあんたたちに『この場所までわたしを連れて行ったら、宝を家から持ち出す』って言ったのよ」

「な…っテメェ!騙しやがったな!」

「騙しただなんて、どの口が言うのかしら?あんたたちにくれてやるなんて一言も言っていないわ!約束を都合よく解釈したのはあんたたちでしょう!」

「このガキ…っ!」


男は掴んでいたサリュを、逆上のままに地面へと叩きつけた。

サリュは声もなく頽れて、そのままぴくりとも動かない。


さすがに色を無くした周りの男たちが、サリュを取り囲む。

「おいお前!なにやってんだ!さすがにやばいだろ…」

「ああ!?どのみちこのままじゃ俺らが捕まるだけだ。だったらこいつを殺しても大差ないだろう。…生意気なガキが粋がりやがって…!」

倒れたサリュを蹴り転がして、男は苛立ち紛れに吐き捨てた。




その時、馬の蹄の音が遠くから聞こえてきた。

男たちに緊張が走る。

こんなところまで馬を走らせてくる者は、十中八九この子供を捜索している公爵家の手の者。

男はサリュを乱暴に持ち上げて馬車の近くまで戻ると、サリュを盾にするように片手で拘束して構える姿勢を取った。

もう片方の手には、先ほどサリュが落としたナイフを握っている。

周りの男たちも慌てて自身の得物を抜き、周囲を警戒する。



現れたのは、七人の男だった。

うち五人は王国騎士団のようだ。羽織った外套の下に制服が見える。

その五人を従えているのは、若い男二人。

身なりからして騎士団ではないようだが、相当の手練れであることくらいは男たちにも分かる。



「…公爵令嬢を誘拐した者たちだな。もう逃げ場はない。大人しくしてもらおうか」

若い男のうち、眼鏡をかけていない片方が剣呑に言い放つ。

「ハッ!大人しくするのはテメェらだ。このご令嬢に怪我を負わせたくなきゃな」

男の手に捕まっているサリュに意識はない。

それどころか細い手足にも傷や痣が見え隠れしている。

眼鏡をかけたもう片方──ヨハンソンはサリュがどのような扱いを受けたのかを想像し、僅かに眉を顰めた。


「このご令嬢なんだがなぁ…俺らとの取引をくだらん言葉遊びで反故にしやがったのよ。正当な取引を台無しにした報いは受けてもらわにゃなんねぇ。そうだろぉ?お偉いさんがたよ」

「くだらん。拐かした時点で正当な取引などあり得ない」

「おや、勘違いをなさっておられる。このご令嬢はなぁ。自分から『拐かされた体を装って』取引をすることを持ちかけて来たんだ」

「世迷言を」

「…ほう?それで?」

「俺らはその言葉通り、ご令嬢がお望みのこの場所まで連れてきてやったのよ。ところがこのお嬢ちゃん、あろうことか俺たちに渡すはずの報酬を崖下に放り投げちまった。取引を一方的に破棄した。契約不履行の報いを受けてもいいはずだろ?」

「お前たちの報いは痛めつけることなのか?随分と前時代的な方法なんだな。とても今の時代を生きる者とは思えないが」

「それはそちらがぬるま湯で生きていなさる平和な坊ちゃん方だからでございましょ。下々の民は時に命のやり取りをしなけりゃやっていけんのよ」

「それはそれは。他の下々の民に失礼であろうな」

言葉の応酬を重ねながら、ライズとヨハンソンはじりじりと距離を詰める機会を測っている。

後ろの騎士たちも、極限まで神経を尖らせている。





「……今夜の月も、変わらず綺麗ね」



それは唐突に響いた。

男たちも、ライズもヨハンソンも、そして騎士たちも声の元を凝視する。

拘束され首元にナイフを当てられているサリュは、いつの間に意識が戻ったのか、焦点の合わない目を空に向けて恍惚とした表情で微笑んでいる。


男たちは怪訝そうに顔を見合わせた。

空には厚い雲が浮かんでいて、とてもではないが月など見えない。


「満月よ。綺麗な望月。曇りのない光がもうじきその瞳を照らしてくれるの」

「麗しき女神の敬虔なる使者は、青い花の束を持っていたわ」

「そして、女神が微睡んだ時、全てに安寧をもたらすの」


10歳のサリュとはとても思えないほど大人びた声が、その場に朗々と響く。

ライズが食い入るようにサリュを見つめると、ふいにサリュの瞳がライズをはっきりと捉えた。



「敬虔なる使者は望月を携えて、貴方の戻る先に。──お進みなさい、青の君!」


鋭く声を紡いだ瞬間、サリュがのけぞる。

「ヨハンソン!」

意図を正しく理解したライズが怒鳴ると同時に、同様に理解したヨハンソンも地を蹴った。

ヨハンソンはその勢いのまま、サリュを拘束していた男の懐に潜り込み、手にあるナイフを叩き落としてその鳩尾に拳を叩き込む。

急に正体を無くしたサリュに意識を向けていた男は咄嗟に反応が遅れ、その重い一発ですっと意識を飛ばしたらしい。

ヨハンソンは気を失っているサリュを抱え上げ、倒れた男を蹴り転がしてすかさず騎士たちに号令を飛ばした。



あっけなく捕縛されていく男たちをよそに、ヨハンソンは抱き上げたサリュに必死に呼びかけていた。

と、サリュの瞼が震える。

そのまま目を開いたサリュは、ヨハンソンの姿を見つめて弱々しく呟いた。



「…お、にい、さま」

「ああ、よかった……サリュ、もう大丈夫だ。一緒に家に帰ろう」

「…おにいさま、あの、ね」

「何だい、サリュ。聞いているよ。ゆっくりでいい」

まだぼんやりとした意識の中、サリュは懸命に従兄に呼び掛ける。



「サリュを、ここに、置いていって。おねがい」

ヨハンソンは耳を疑う。

一瞬我を忘れて大声を上げてしまった。

「そんなことできるわけがないだろう!公爵令嬢ともあろう者がこんな場所に一人でいるなど…サリュ、何を言っているのか分かっているか?」

「おにいさま、」

「…、すまない。拐かされて気が動転しているんだろう。サリュは何も心配しなくていい。怪我の具合も心配だ…帰ったらすぐに診てもらおう。兄さんがちゃんと連れて帰るから、ゆっくり休むんだ」

「いいえ、いいえ。サリュ、かどわかされてなんか、いないの。サリュが、自分で、あのものたちに、ついて、いったのよ。宝と一緒に」

「……なんだと……?」

サリュの告白に、ヨハンソンはまたも耳を疑って、それから怒りで声を震わせた。

「では、なんだ?あの男たちが言った通り、宝を持ち出したことも、拐かされたことも、全てお前が企んだことだと?その茶番に私たちは付き合わされただけだと?」

サリュは頷く。

「…お前、それがどういうことか分かっていて言っているんだな?これまでも公爵家に散々泥を塗っておいて、極めつけにこれか?お前は、私たちにどれだけ迷惑をかければ気が済むんだ!?お前がそんなにも恥知らずな愚か者だとは思わなかったぞ…!」

激高するヨハンソンに、サリュは諦めたような顔で呟いた。



「だ、って、おにいさまは、…おじさまも、あのおうちも、サリュ、の、こと、いらないでしょ?」



「…、何だって?」

ヨハンソンは思いもよらない言葉に瞠目して言葉を失う。

サリュは途切れ途切れに口を動かす。

「おにいさまと、おじさまが、ほしい、のは、“家のためになる公爵令嬢”で、サリュではない、でしょ?サリュ、駄目な子だもの。おにいさまも、おじさまも、サリュが恥知らずな愚か者だ、って、ずっと、前から思ってたの、知ってる。だから、そんなサリュなんか、いらない、でしょ?」

「…何を…」

「だから、取り返し、つかないこと、したの。これで、おにいさまも、おじさまも、サリュのこと、堂々と、追い出せる、よ?…今さら、いなくなった、から、って、誰もおにいさまと、おじさまを、責めないわ。…だから、こうしたの。それが、おうちの、ため、だから」


ヨハンソンは愕然として、怒りも忘れてサリュの言葉を聞いている。

「…そんな、どうして…」

「だってふたり、とも、いつも、かなしそうな顔。怒ったような、顔。サリュ、その顔、知ってるの。面倒だな、って、思ってる、顔」

「サリュ」

「だからね、おにいさま。サリュ、もう、帰りたくないの。…何をしても、しなくても、みんなに、あきらめた顔で、かわいそうな目で、見られる、だけだもの。サリュはただ、そこにいるだけ。面倒で、迷惑だな、て思われてるだけで、それ以上は、何もない、って、思い知らされるの。そんな、かなしい、惨めな気持ち、で、いたくないの」

サリュの眦から大粒の涙が転がっていく。


「もういやなの。おとうさま、と、おかあさまに、あいたい。…もう、おとうさまとおかあさまのところにいきたい…!」

涙と共に零れた引き攣れるような声は、ヨハンソンの胸を抉り取るほどの衝撃をもって貫いた。

そのままサリュはかくんと頭を落とし、再び意識を失った。






「…サリュ…お前、私たちがお前を処分しやすくするために、…こんなことをしたというのか…っ」

ヨハンソンは小さな従妹の体を掻き抱いて、その場に膝をつく。

初めて聞いたサリュの本音。

彼女がずっとその身に隠していた冥い感情に、ただ衝撃を受けて震えていた。


サリュがここまで思い詰めているとは知らなかった。

…否、ヨハンソンも、おそらく公爵も。

手を焼かせるサリュの姿ばかりを見てきた彼らは、無意識に彼女から距離を取っていたのだ。

──いや、私たちが見てきたのは本当に、手を焼かせる姿ばかりだったのか?

ヨハンソンは首を横に振る。

違う。そもそも私も父も、サリュのことなど見ていなかった──




──引き取った当初は、父も私も、きちんと“サリュ”を見ていたはずだ。

だが、母が早くに亡くなり、男二人と古くからの使用人で長いこと暮らしてきた私達には、突然目の前に現れた小さな女の子にどう接したらいいか分からなかったのだ。

自然と、足は遠のいた。

使用人からの報告だけを聞いて、サリュを自身の目で見て様子を気遣うことは徐々に少なくなっていった。



思えばサリュは自分の立場をよく弁えていた。

自分の思うことなど言わなかった。

父に、私に、家人に、家の一員と認められるために、文句ひとつ言わず公爵令嬢としての嗜みと教養を身につけてみせた。

そこで、父と私は「この娘はもう大丈夫だ」と思った。──それが間違いだった。


サリュはずっと心細かったのだ。

愛を注いでくれた父母はもうおらず、親戚と言えどよく知らない大きい屋敷で、令嬢としてあるべき姿ばかりをあれもこれもと押し付けられる。

この家には、両親の死という深い傷を負ったサリュの心そのものに寄り添ってくれる者などいなかった。

私たちは皆、“公爵家に引き取った娘を、ふさわしい令嬢として育てる”ためにしかサリュのことを見ていなかったから。

そもそもなぜサリュがこの家に来ることになったのか、そこに目を向けることを怠ったから。

まだ小さくて柔らかな心に深く刻まれた、薄れゆけども決して消えない傷に、私たちは無意識にどれほどの刃を突き立ててきたのだろう。




だから、あえて家の迷惑になるようなことを始めた。

家のためにと懸命に努力をしても、サリュはサリュ自身を顧みられないと知ってしまったから。

だからわざと困らせることをして、自分に目を向けてもらおうとしたのだ。

それは驚くほど幼稚な考えで、令嬢にあるまじき振る舞い。

だが、真実幼子だったサリュを、どうして責められようか。

なのに私と父がサリュに向けたのは、サリュが求めていたものとはほど遠い冷めた目。

そして彼女を直接諫めるどころか何も言わずにただサリュの好きにさせて、ただ公爵令嬢としての器量を勝手に測って勝手に失望して。

世間の「困った我儘令嬢と、それに振り回される可哀想な家人」という評を体のいい良い訳にして、何一つサリュに与えることも向き合うこともせず。

そのまま何年もサリュを放置して、挙句家のためにならないから放逐だと?

一度だって、「どうしてそのような真似をするんだ」とサリュに問うたことがあったか?

サリュが何を思っているのか、稚拙な振る舞いに隠されたかなしい本心を汲み取ろうとしたことがこれまでにあったか?


…否。私たちは揃いも揃って愚鈍な大馬鹿者だった。



小さなサリュはずっと家族の温もりを求めていた。

私たちはそんなサリュに、“公爵家にふさわしい令嬢”としての役割しか求めなかった。

それ以外のサリュの全てを否定したも同然だ。

サリュは絶望したことだろう。そして、もう“サリュ自身”を見てもらうことを諦めてしまった。

だから今回のような事態を引き起こしたのだ。

そうすれば、家の面目を潰した自分は必ず処分されると分かっていたから。


サリュがこれまでやってきたこと、今回やったことは、到底許されるものではない。

だが、サリュにそこまでのことをさせたのは、紛れもなく私と父の責任だ。



「サリュ…すまない…すまなかった、サリュ……!」

真っ白な顔で目を閉じているサリュの肩口に、ひっきりなしに雫が落ちていく。

ヨハンソンはサリュを抱きしめたまま、しばらくその場から動けずにいた。



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