第十三話
扉が開いても、さほど中は明るくならない。
既に日は沈んでしまったのだろう。
「…なんだ、その女まだ寝てやがんのか。もう好きにして良くねえか?」
「バッカ、お頭にどやされんぞ。どうせお頭が飽きたら俺らに回ってくんだから、焦るこたねぇだろ」
下卑た笑いを隠しもしない男の声が二人。
アシュリーは息を潜めて、音の響きや気配で男たちの位置関係や向きを探る。
「おいガキ。なんか変わったこたねぇか」
「逆にあると思って?おかげさまで何もできなくて快適よ」
サリュは冷たく答えた。
尊大な物言いが気に障ったのだろうか、男たちは笑いを引っ込める。
「まったく、顔は良いくせに中身がこれじゃあな。もっと可愛げ見せた方がいいぜ?」
「あんたたちに見せるものなんて、一生かけてもひとつもないわ」
「…口の減らないガキだな」
男たちの意識がサリュに向けられている隙にアシュリーは薄目を開けて、様子を盗み見た。
そして息を呑みそうになって、慌てて堪える。
──昨日店に来た、旅の一団にいた男たちじゃないか。
ということは、あの旅の一団は皆グルなのか?
店には、たしか十五人弱は来ていたはずだ。
拘束されているためはなから逃げようとは考えていなかったが、その人数がいると思うとますます抵抗できる選択肢が狭まっていく。
その中に一人くらいはアシュリーの顔を覚えている者もいるだろう。
それが明るみに出れば、余計にただでは済まなくなる。
幸い、入ってきた男たちはアシュリーに気づいていないようだ。
そもそも誰かが気づいていたのなら、アシュリーを捕まえた時点で処分されていそうなものだが、どうやらそういうわけでもないらしい。
男たちの会話からアシュリーを連れてきた目的がろくなものではないことは何となく察したが、それならそれでまだ手立てを考える時間稼ぎにはなる。
一方男たちに対峙しているサリュはというと、呆れたような苛立ったような声を上げて彼らを睨みつけた。
「そんなことより、さっきから何度馬車を停めて確認すれば気が済むのかしら?いつまでもちんたらちんたら進んでは停まって、牛でももう少しましな速度で進むわよ。さっさと目的地まで到着しないと、あっという間に公爵家の追っ手に捕まるわよ?」
「チッ、うるせぇガキが。こっちはご令嬢をわざわざ気遣ってやってんだぜ?」
「あらありがとう。でも不要よ、さっさと目的地まで出してちょうだい。揺れようがどうしようが問題ないわ。わたしはあんたたちのために言ってやってるのよ?」
「…わーったよ。ブツに傷ひとつつけんなよ」
「あんたたちよりもよっぽど扱いは心得ているわ。余計なお世話よ」
男たちはフンと鼻を鳴らすと、どかどかと足音を立てて出ていき、乱暴に扉を閉めた。
鍵をかける音がして、間を置かずして箱がガタンと揺れたかと思うと、車輪が軋んで動き出す。
月の光が、上部の隙間から差しこんでくる。
些か明るくなった室内で、アシュリーはもぞりと身を起こすと、サリュに問う。
「…サリュ様、あの男たち、全部で何人いるのですか」
「え?五人だったかしら」
「…残りは別行動…?いや、そもそも違う団体に混じっていた可能性も…」
「どうしたの。何か心当たりが?」
「我が家は平民街で居酒屋を営んでおりまして。昨晩来た団体客の中に、さっきの男二人がいたんです」
「…ああ、なるほどね。そういうこと」
「何かあったのですか?」
「あんたは知らなくていいの。こっちの話よ。…それより、目的地に着くまでにこれをどうにかしないといけないわね…」
サリュはアシュリーに近寄ると、膝を折って足首の枷を眺めた。
「…足首からは外せなさそうね。この鎖ごと取れればまだいいのだけど……まったく、ここまでやれとは言っていないわよ」
後半、苦々しげに紡がれた言葉はアシュリーには聞こえなかった。
アシュリーは、唐突に昨晩の店での様子を思い出していたからである。
酔っぱらった男たちはあちらこちらで口々に会話を始め、もはや誰が頼んだかもわからない酒を片っ端から煽っていく。
アシュリーが何度目かの追加のつまみをテーブルに出した時、ちょうどそこにいたのが先ほど顔を出した男たちだったのだ。
男はジョッキを片手に、ぼやきとは些か言い難い声量で言った。
──ああ、こんな時に限って貨物箱の調子が悪ィんだよなぁ。明日は昼から大事な荷物を運ばなきゃなんねぇってのに
──なんだ、借りた時は悪ィ箇所はなかっただろ。どっかの螺子でも急に緩んだのか
──あー、そうそう。………
そのとき聞いた言葉が、今になって喉奥に引っかかるような感覚を覚える。
何だっただろうか。あの時、言っていたのは……
──あー、そうそう。でもまぁ、重しで螺子ごと押さえときゃあ何とかなんだろ
急に酒瓶の箱に手を伸ばし、中身を取り出し始めたアシュリーに、サリュが驚く。
「何をする気?」
「サリュ様、手伝って頂けませんか?──この足輪、もしかしたら固定されてる部分を剥がせるかもしれないです」
目を丸くするサリュに、アシュリーは昨日聞いていた話を伝える。
サリュは頷いて、アシュリーから酒瓶を受け取り、馬車の揺れで割れないようにと奥に無造作に積まれていた干し藁の隙間に挟み込む。
慎重に、しかし素早く。
彼女たちは無言で、その作業をしばらく繰り返していた。
酒瓶を全て取り出した空き箱を少し横にずらすと、箱に押さえられていた金具が顔を出す。
金具を床に留めている螺子は、なるほど今にも飛び出しそうだ。
アシュリーは金具を両手で掴み、ぐっと力を入れて剥がそうと試みる。
しばらく格闘していると、僅かにバキっと嫌な音がして、金具が床から外れた。
「…!」
足輪は嵌められたままだし、それに繋がる鎖がじゃらりと重い音を立てるのは難点だが、とりあえずアシュリーは身軽になる。
サリュがすかさず酒瓶を持ってきて、アシュリーと二人で元の通りに箱に詰めていく。
元通りにし終わったところで、アシュリーはほっと息をついた。
馬車はサリュの言った通りに速度を上げているようで、徐々に揺れや振動が大きくなっていく。
サリュはふと頬に手を当てて考え込むような仕草を見せ、そしてアシュリーに目をやった。
「これで心配の種はある程度なくなったわね。…じゃ、最後の仕上げと行きましょうか。ごめんなさいね」
サリュはそう言ってポケットから瓶を取り出す。
アシュリーが首を傾げる間もなく、彼女はアシュリーの胸の辺りに瓶の中身をぶちまけた。
「…!」
びしゃ、という音が思いの外響いたが、幸いそれはガタガタと鳴る音に掻き消されたようだ。
とろりとした赤い液体が滴っていき、アシュリーの服を濡らして染みを作る。
驚愕したアシュリーに口を挟ませないように、サリュが先回りする。
「葡萄ジュースに薬を混ぜて、香りを消して粘性を高めたものよ。体に害はないから安心してちょうだい。もしもの時のための、ただのカモフラージュだから」
「サリュ様…一体、あなたは…何を企んでいるのです…?」
「わたしはね、自分のことしか考えてないのよ。そのためなら何でも出来るの」
どこまでも利己的で傲慢な言葉と裏腹に、瞳の奥に滲むのは──後悔と不安。
サリュはおもむろにナイフを取り出すと、慣れた手つきで自身のスカートの裾を切り裂いていく。
「サリュ様!?」
彼女は構わず、積まれた干し藁の隙間から何かを取り出す。
それを切り取った布で厳重に幾重にも巻き、手に抱えて祈るように目を閉じた後で、アシュリーに押し付けた。
アシュリーはされるがままその物を受け取り、呆然とサリュを見つめ返す。
「…これは?」
ようやく絞り出した問いに、サリュは答える。
「…公爵家に秘密裏に伝わる宝よ。あいつらの真の狙いはわたしではなくてこれ。…だから、あんたが持って逃げなさい。それがあんたを守ってくれるから」
「サリュ様…」
「今わたしは自分のために、取り返しのつかないことをしているの。そのために、あの盗賊どもに従順なふりをして家の宝まで持ち出した。だけどね、この宝は絶対に、傷つけたり汚したりしてはいけないのよ。…叔父さまと、お兄さまのために。それから、愚かにもわたしを追いかけてきてしまったあなたもね、わたしと一緒に来ては駄目なのよ。だからあなたにこれを託す。必ず逃げて、これを公爵家に届けてちょうだい。この通りよ」
サリュはアシュリーに頭を下げた。
公爵家の令嬢が、ただの平民の娘に、頭を。
アシュリーは慌てて頭を上げさせ、サリュに言い募った。
「待ってください。これを私が持っていては、サリュ様の御身に危険が…」
「ばかね、考えなしにこんな危険なことしないわ。対策くらいちゃんとしてあるのよ」
「…この人さらいは、全てサリュ様が計画なさったものだと…?」
「そうよ。わたしがわたしのために、全て計画したの。…多少予定は狂ったけれど、概ね想定通り。この馬車も、あんたたちを眠らせた薬も。全部わたしが用意したもの」
「サリュ様…あなたは…」
あまりの事実に二の句が継げないアシュリーに、サリュはかなしそうに口元に笑みを浮かべて、それから先ほど鍵をかけられたばかりの扉の方へ歩いていく。
サリュはしゃがみ込むと、扉の下の方を手で確かめて、何かを探し当てたかと思うとおもむろにそれを引いた。
サリュはその傍らにしゃがんだまま、アシュリーを手招きする。
アシュリーも鎖の音を極力立てないように移動し、そこにしゃがみ込む。
外の風が勢いよく入り込んでくるそこには、サリュが余裕を持って出られそうなほどの隙間ができていた。
サリュは馬車を調達した際に、借り手が気づかぬような細工を予め施させ、脱出経路を確保していたらしい。
アシュリーがそこから外に出るには若干窮屈そうだが、逃げるには十分だ。
サリュはアシュリーを真っ直ぐ見て、手早く指示を出した。
「もう少ししたら、道の悪い場所に出るはずなの。馬車の揺れも、車輪の音も酷くなるわ。それに紛れて、わたしはあんたをここから放り出す。…受け身くらいはとってちょうだいね?」
アシュリーは耳を疑う。
「命令よ。──あんたはそれを持って、ここから飛び降りるの。出たらすぐに木の陰にでも身を隠しなさい。そして馬車が見えなくなるまで待って、馬車と反対方向に逃げるのよ。間違っても、わたしを気にして戻ってくるなんていう馬鹿な真似はしないでちょうだい。そんなことしたら殺すわよ、いいわね」
「サリュ様、あなたはどうなさるのです。サリュ様こそこれを持って逃げるべきです。私が代わりに残りますから、どうぞお逃げください」
「命令だと言っているでしょう。あんたに拒否権は最初からないの。頭が高いわよ、平民如きが」
有無を言わせない強い響きに、アシュリーは押し黙る。
ふいに、月が雲に隠れた。
光の差し込まなくなった貨物箱が、ぐんと勢いよく傾く。
スピードを保ったまま道を曲がったのだと分かる前に、アシュリーはサリュに肩を強く押された。
「今よ!行きなさい!」
咄嗟に胸に抱いたその宝を守るように身を丸めて、アシュリーは半ば地面に叩き落とされるように背中から着地した。
放り出された衝撃と痛みに涙をこらえながら、アシュリーは慌てて体を起こす。
曲がり角をあっという間に曲がっていった馬車の、最後尾に繋がれて走る貨物箱。
先程アシュリーが飛び出したその隙間から顔を覗かせ、アシュリーが起き上がったことを確認したサリュがひらりと手を振ったのが、一瞬だけ見えた。




