第十二話
アシュリーはふと目を覚ました。
頭がくらくらする。
床に転がされていたことに気づいて、慌てて身を起こす。───床?
はっとして周囲を見回す。
幅はあまりないが、それなりに奥行きのある部屋のようだった。いや、部屋ごと規則正しく揺れている。
ガラガラと響く独特の車輪の音。
アシュリーはどうやら現在、馬車の引く貨物の中に放り込まれているらしい。
壁の上の方には横に細長い隙間が空いており、鉄格子が嵌められている。
今は夕方なのだろう、隙間から差す光はほんのり赤い。
まるで家畜を運ぶときに使うような貨物箱だと思って、アシュリーは顔をしかめる。
そして、右の足首に違和感を覚えて、はっと目を見開いた。
「…!」
じゃらりと不快な音を立てるそれは、真っ黒な足輪。
それに繋がっている太く頑丈な鎖は床に打ち付けられ、その上に積まれた酒瓶の箱ががっちりと金具を押さえ込んでいた。
手が縛られていなかったのは僥倖だが、逃げることはほぼ諦めるしかない。
馬車の揺れに合わせて波のように痛む頭を押さえながら、アシュリーはここに至るまでの過程を思い出す。
──そうだ、平民街の手前で、ふらふら歩くサリュ嬢を見つけて、急いで後を追って。
どんどん大通りから離れていくのにサリュ嬢の足は迷いなく進んで、やがて森の中に入っていって。
それを追おうと自分も足を踏み入れた瞬間、後ろから伸びてきた手に口元を押さえられたのだ。
薬が染み込ませてあったのか、その手にあったハンカチの匂いが鼻について、それから──気を失ってしまったのか。
「…起きたのね」
ふいに小さく聞こえた声に、アシュリーは慌てて振り返る。
思わず声を上げてしまいそうだったアシュリーに、声の主は細い指を立てて口に当て、アシュリーの言葉を封じた。
「……サリュ様…?」
いつの間にか近くに立っていたのは、後を追っていったはずのサリュだった。
彼女が突然姿を現したように見えた、乱雑に積まれた木箱の陰。
そこがアシュリーの繋がれている場所からは死角だったため、それまで見えていなかったらしい。
サリュは溜息をついてアシュリーを見下ろしている。
「全く、あんたがつけてきたせいで計画を練り直さなきゃいけなくなったじゃない。仕方ないからあんたにも付き合ってもらうわよ」
アシュリーは目の前の令嬢の様子に混乱する。
ジャンへ向けていた顔とも、アシュリーが向けられた顔とも違う。
刺々しい雰囲気は全くなく、思慮深い令嬢のそれを思わせるような落ち着いた声だった。
「…あなたは、本当にサリュ様なの?」
「いやね、あんた顔も覚えられないの?それでよくここまで追ってこれたわね」
肩をすくめるサリュは、アシュリーの言葉遣いを指摘することもしない。
これまでの(とは言っても一度しか会っていないが)サリュなら、烈火の如く怒って「あんた、上のものにたいすることばがなっていないわよ!この無礼もの!」くらいは言いそうだが。
「それより、これはどういうことですか。この馬車はどこに向かっているのです?」
「…あんたは知らなくていいことよ」
「いいえ、いけません。どうしてこうなったのか分かりませんが、サリュ様を無事に公爵家に送り届けねば、公爵家の方々が心配なさるでしょう。どうか事情をお話しください」
「うるさい!何も知らないくせにでしゃばって、それが余計なお世話だって言ってんのよ!」
僅かに声を荒げたサリュの顔は、どうしてか泣き出しそうに歪んでいる。
サリュは周囲を気にするように見回した後、屈んでアシュリーの耳元に口を近づけた。
「…事が済んだら、あんたは無事に返してあげるわ。可哀想に巻き込まれた一般人として、沙汰のないように取り成してあげるから。それまでは黙ってわたしの言うことを聞きなさい。余計な詮索はしないことよ」
「はあ…」
胡乱げなアシュリーを気にも留めず、サリュはそのままアシュリーから離れ、さっきと同じ木箱の陰に腰を下ろす。
サリュの言い方からして、サリュは強制的に連れ去られた訳でもなさそうだ。
彼女はアシュリーのように枷を嵌められておらず、この箱の中を自由に動き回れる。
ということは、今馬車を走らせているならず者は、この深窓の令嬢とやり取りができるほどの繋がりがあったのか?
公爵家の人間がそれを知ったら卒倒ものだろうが、現実に起きてしまっているのだからそうなのだろう。
では、彼女はどうしてならず者と繋がりを持つことになったのか?
身代金?公爵家への脅し?
しかし、サリュがそれに手を貸す道理はないだろう。
そして公爵家の令嬢の誘拐ともなれば、捕縛された場合ほぼ命はないとみていい。
それでも自身の命を賭ける価値があるというのか?
成功した時のリターンはそんなにも大きいのか?
そしてサリュ自身にも、公爵家への何らかの思惑がある?
だから、ならず者に攫われた振りをしている──?
「詮索するなって言ったばかりだけど?」
「!?申し訳ありません」
「不愉快よ。不躾にじろじろ見ないでちょうだい」
「はい…」
考えているうちにサリュをじっと見つめていたらしい。
サリュは面倒そうな顔をしてアシュリーを睨むと、ふいと顔を背けた。
……それでもこの令嬢は、先日のように当たり散らしたりしないのだ。
アシュリーは記憶にあるサリュと目の前のサリュ、どちらがより本人の性質に近いのか測りあぐねていた。
考えるほど泥沼にはまっていきそうだ。
別のことに気を逸らそうとして、アシュリーの血の気が引く。
「…!」
そういえば、手に持っていた紙袋がない。
周りを見回して、届く範囲で箱の中なども見てみたものの、それらしいものはない。
「どうしたの」
「あの、サリュ様。私がここに連れてこられたとき、荷物を持っていませんでしたか?」
「荷物?…何も持っていなかったけれど。持っていたとしても、とっくにあいつらに盗られてるんじゃない?」
「そんな…」
目に見えて狼狽するアシュリーに、サリュは怪訝な顔を向ける。
「そんなに大事なものを持っていたの?」
「大事な方からの贈り物だったのです。頂いたばかりで、家で使うのを楽しみにしていて…なんてこと…」
「…そう……その方に何を貰ったの?」
「筆記具と便箋です。便箋に青い花が描かれていて、とても素敵で…いくつか頂いたので、いつかそれで手紙をしたためようと、思って…」
「…その方は、あんたが今こうなっていることに気づくと思う?」
「分かりません。オーウェン子爵の古くからのご友人と伺っているので、子爵の方へお話が回ればあるいは…」
「子爵のご友人ですって?」
信じられないという目を向けるサリュに、アシュリーは苦虫を噛み潰した顔で言い添える。
「誤解しないでくださいよ。そもそもオーウェン子爵に想いを寄せているわけではないのですからね」
「そこじゃないわよ。…はあ…あんた、ほんとどうなってんの?ほんとに平民?」
「えっ?それはどういう…」
本気でサリュの言ったことが分からないアシュリーに、サリュは「なんでもないわ」と告げ、興味をなくしたようにまた背を向けてしまった。
腑に落ちないアシュリーだが、ふいに貨物箱の扉がガチャガチャと音を立てたのに反応して咄嗟に体を横たえる。
そして目を瞑った瞬間、バタンと乱暴に音を立てて扉が開いた。




