村を出発
訪れていただきありがとうございます。タイトル通り村を出発しました。
ネコとイヌは村を出発し、歩き出した。その際に親の反対にあったかどうか、はたまた二人がどのような恰好、荷物で村を出たかを事細かく描写するのも野暮だろう。親の意見がどうであっても二人が旅に出てしまったことに変わりはないし、適当な恰好に適当な荷物で出発したと考えても問題はないはずだ。
ネコがイヌに問う。
「私たちはこれからバナナを探しに行く訳だけれども、どこに向かうかくらいは決めて歩きたいわよね。」
「うーん。僕はそうは思わないけど。ネコがそうしたいと言うならそれでもいいよ。でもね、バナナを探すということはそんなに単純じゃない。」
イヌはどこで拾ったのか、スライムくらいなら倒せそうな木の棒を引きずりながら歩いている。イヌの意識はここにあるとは言えないが、どこか違うところにあるようにも見えなかった。
「じゃあ私たちはどうして歩いているのよ。」
「それはバナナを探すためだよ。違ったかな。」
イヌは木の枝を捨て、少し大きめの実を拾うとお手玉を始める。
「まずは隣町の商店に行こう。そうしたらネコにもなにかわかるかもしれない。」
このあたりだと隣町の商店と言えどもそこそこの距離がある。ネコにとって、イヌはあまり良い暇つぶし相手ではなかった。イヌの言っていることは半分くらいは理解ができない。それはネコ自身が阿呆なのかイヌが阿呆なのか、若しくはその両方なのか、ネコにもわからなかった。ただイヌがどこか手を抜いて、私の理解が及びそうなところまで思考のレベルを落としているように感じることは度々ある。
「旅をするって言って出てきたけど旅って何なんだろうね。他者から見てもこれは旅なのかな。まず僕たちは何をしているか聞かれたときになんて答えればいいんだろう。」
まただ。イヌはそれを謎だとは思っていないだろう。これもしりとりと同じ、暇つぶしに過ぎない。
「どういうこと。」
「今僕たちは歩いているだけだ。言わばトイレに行くのと同じだね。距離は違うかもしれない。目的の規模も違うかもしれない。でも明確な差がそこにあるとは思えないんだ。ぼくにとったら排泄は命に関わる。あの村にいたら僕はあと数年で人生に飽きるだろうし。」
「それはいつもイヌが言う、人間による言語の定義の問題でしょ。旅というものがあるのではなく、ある抽象的なものを、すなわち他人とは共有され得ないものを近似解として言語化しているに過ぎない。」
イヌはお手玉をする手を止め、ネコの方を向く。その目には驚きが含まれていた。
「よくわかっているじゃないか。なーんだ。じゃあ簡単なことだ。僕は今の行動をネコと共有したいときは旅という単語を使う。僕だけで処理をするなら言語化の必要はないわけだけどそうもいかないしね。ネコは。」
「私もそうする。これは旅ね。」
なにが面白いのかイヌはくすくすと笑ったあと、再びお手玉を始める。道の舗装が少しばかりましになってきた。商店まではそう遠くないところまで来れたのだろう。
お読みいただきありがとうございました。感想などお待ちしています。
今日はたまたま思いついたから二回更新しましたがかなり珍しいのでこの頻度はあまり期待しないでください。
前書きでタイトル通りと書きましたがどうでしたか。言語って意外と自由で面白いなって思いました。




