1日目
ここは緑豊かな大国であるルワルナ国、王都セイムスの中央に位置するグランリヒ城の城下町。
城から真っ直ぐに伸びる大きな街道には商店が並んでいる。
街道は下り坂になっており、高台にそびえるグランリヒ城からは眼下に広がる街の全てが見て取れる。
「うわわわぁぁぁあああーーーーー!!!!」
「止まって!止まってくれよーーー!!!」
その商店街の喧騒を破るように、突如として叫び声が響き渡る。
転がるように坂の上から駆け下りてくる一人の男がいた。
その男の前には、小さな蜥蜴がぱたぱたと走っている。
男が追っている蜥蜴は、手のひら程度の大きさで全身は鮮やかな赤色、その尻尾からは小さな火柱が上がっている。
精霊竜の中でも火蜥蜴に分類されるサラマンダーだ。
大きさからしてまだ子供だろうか。
男の後ろからは、男の二倍はありそうな大きさの二足歩行の駆竜であるトロプスが大きく口を開けて数匹追ってきている。
トロプスは馬の代わりに竜車を引いたり、背中に乗るために利用する比較的身近な竜だ。
穏やかな性格で人に懐きやすく、飼育や調教に向いているとされている。
全てのトロプスの背中には鞍をつけている事から、普段は人を乗せているのだろう。
道行く人々はあまりの光景に驚き、咄嗟に壁沿いに避難する。
壁沿いには店舗がひしめいて並んで建っている。
数匹のトロプス達は商店の前に並んでいた商品や樽を尽くひっくり返しながら、坂道を駆け下りていく。
まるで雪崩である。
男は後方に広がる悲惨な光景に気づく様子もなく、今にも泣き出しそうな表情で一心不乱に目の前の子サラマンダーを追いかけている。
坂道を下りた先は大きな街道が横切っている。
沢山の人の往来もある。
この人の波に飲み込まれては、小さな子サラマンダーを見つけ出す事など困難になる事は明白であった。
男は胸ポケットから宝玉を取り出し、無我夢中でサラマンダーに投げつけた。
放物線を描いた宝玉は目標であるサラマンダーの背中に見事命中し、一瞬の輝きを放ってその体を封じ込めた。
サラマンダーは宝玉に吸い込まれるように収容されたのだ。
この宝玉は契約箱と呼ばれる物で、契約を交わした精霊や神獣、魔剣や聖剣といった物質的に縛られない存在を収納する事が可能な魔道具である。
近年、王立魔道士協会が開発した代物で非常に貴重なものだ。
「ふう、良かった。王子の大切にしているサラマンダーの子供を逃すところだった。これで怒られずに済むぞ」
勢いよく走っていた男はなんとか立ち止まり、ゼェゼェと背中で息を吐いている。
呼吸を整えてから、地面に転がった宝玉を抱きしめ頬ずりをした。
半透明な宝玉の中からは小さな火蜥蜴が、くりんとした悪戯好きそうな瞳をこちらへ向け、上目遣いで伺っている。
火蜥蜴はまだ子供で、好奇心旺盛な時期である。
この子からすれば、竜舎を抜け出して気ままに散歩をしていたに過ぎない。
ふふふ、なかなかに可愛いじゃないか。
男は頰を緩めてにやけてしまう。
ぽんぽん。
突然背中を叩かれた男は振り向いて愕然とした。
振り向いた先には、怒りを滲ませた表情の商店の店主と、竜達によって蹂躙された街道の光景が広がっていた。
いくつもの籠や樽がひっくり返り、商品と思われる果物や野菜といった品々が散乱している。
転がった野菜や果実を、男を追いかけたきたトロプスが悪びれる事もなく、ぽりぽりと貪っている。
「あ、あはは…。すいません…請求先は王都の竜騎士団、第四部隊へお願いします……」
男からは安堵の顔が消え、もはや顔面蒼白であった。
額には冷や汗が吹き出し、癖っ毛の髪が額に張り付く。
普段は端整な顔なのであろうが、眉は情けなく八の字に垂れ下がっていた。
彼がこのような騒動を巻き起こすのは、実は一度や二度ではない。
男は現実逃避に空を眺めた。
弾力のありそうな白い雲と共に、いくつかの浮遊島が空に浮かんでいた。
浮遊島とは世界中の空に浮かんでいる大小様々な陸地の事である。
地上に住む人類は簡単には辿り着けない事から、古代の遺跡や文明の痕跡。
その島独自の生態系が残されている事が多くあった。
「あの島には新しい固有種の竜とかいるかな…眺めが良さそうな浮遊島だな…」
「はあ…。また、やってしまった……」
男の名前はクリムト コーニッシュ アンダルシア。
名誉と歴史あるルワルナ王国竜騎士団の第四部隊に所属している男である。
だが、今は騎士でもなければ戦士ですらない。
以前は第一部隊に所属していたのだが、ある日突然に第四部隊へと異動を命じられたのだった。
王国竜騎士団には、第一部隊から数えて複数の組織が存在しており、各部隊にはそれぞれに適した任務が与えられる。
第一部隊は斥候や調査、暗殺が主な任務。
第二番隊は戦闘に特化した部隊。
第三部隊は魔法を扱える者が多く所属する部隊。
彼が所属する第四部隊は支援部隊。
いわば雑用である。
その中でも彼に与えられた任務は、それらの竜騎士団で活躍する竜達を飼育、調教する事。
時には自ら危険な場所へと、竜の捕獲に出掛ける事だってある。
そもそも彼は第一部隊で戦闘や暗殺を専門としていた男。
実家が猟師と兼業で畜産農家だったため、牛や馬といった家畜や、水馬や狩猟犬のような動物、魔狼や人喰い蜂といった野性の魔物生物まで幅広い知識と経験はあったのだが。
滅多に見ることもない幻の生物である竜の飼育などは素人であった。
騎士団に入って、初めて竜を見たのだ。
その時の感動は忘れもしない。
元々、動物に好かれる体質ではあったのだが、気性が荒くて有名な駆竜、スレイプニルを初日名乗りこなして見せたのだ。
これは期待の新人だと、周囲の期待を一身に背負った彼は、意気揚々と数々のミスをし尽くして、その期待を裏切り続けたのは、ご愛敬である。
そんな彼が第四部隊へと異動を命じられた日の事は、今でも脳裏にこびりついている。
その日は、突然竜騎士団本部へと呼び出されていた。
竜騎士団本部は、ルワルナ王国の王城の辺りに存在していた。
普段勤務している宿舎は王都の外れ、ネセ湖のほとりである。
馬を走らせても半日以上はかかる距離だ。
呼び出しの日の前日から出発し、近くの裏路地で野宿をしていた。
宿に泊まる程度の金はあるのだが、彼はそういう事に無頓着な性格だった。
施設の前で門番に呼び出し状を見せ、中へと入る。
長く続く廊下を抜けて、重厚な扉の前で足を止める。
体は臭くないかと、鼻を鳴らしてチェックする。
一度深く息を吸い、吐く。
重厚な扉をノックし、思い切ってその扉を開いた。
「失礼します」
この日、クリムトは緊張していた。
突然、軍務卿と竜騎士団長に呼び出されていたのだ。
「また、何かやらかしたのかよ」
同期の隊士連中はからかったが、彼は普段からドジを踏む事も多く、クリムト自身も心当たりはいくつかあった。
おそらく叱責を受けるのだろう。
下手したらクビだろうか。
クリムトは肩を落とし、重い足取りを引き摺りながら軍務卿の部屋へと歩を進める。
部屋の奥には軍務卿フェノールがどっしりと腰を掛けてこちらを見ている。
脇には竜騎士団長であるローランドが険しい顔で立っていた。
「クリムト君…君は何故、呼び出されたか分かるかね?」
第一声、フェノールが声をかけた。
「いえ、申し訳ありません。わかりかねます」
クリムトは嘘をついた。
思い当たる節があり過ぎるのだ。
前回の遠征の際に捕獲対象の魔獣を取り逃してしまった事だろうか。
それとも捕縛されていた盗賊の身の上話に同情し、ほだされてしまい、脱走を見過ごしてしまった事だろうか。
それとも食堂のシチューをつまみ食いしてしまった事がバレたのだろうか。
クリムトの頭の中には、様々な思い当たる節がぐるぐると巡る。
険しい顔を取り繕い、軍務卿の言葉を待つ。
軍務卿の横に立っていた竜騎士団長は、まじまじとクリムトを見つめる。
本当にこの男が重要な鍵を握る人物なのだろうか?
目の前の気弱そうな男は少し癖っ毛の青みがかった髪に、深い緑色の瞳には優しそうな光が宿る。
どこにでも居そうな優男である。
一見華奢な見た目とは裏腹に、よく見るとしっかりとした筋肉がついているのがよく分かる。
普段から鍛錬を欠かしていない証拠である。
部隊長の報告によれば、覇気は無いが飄々としており、剣の腕もそこそこで、頭もそれなりに回る要領の良い人物との事だった。
ただ一つ、何処か抜けており、絶望的にドジであると。
そんな男にこのような大役を任せて良いのだろうか…。
竜騎士団長のローランドは頭を悩ませていた。
「君に新しく竜の飼育係を任せる!以上だ!」
あまりの衝撃にクリムトは目をひん剥いた。
あらゆる予想を覆す言葉を聞いた時には、人は言葉が出ないものなのだな。
そんな事を頭のどこかで冷静に考えていた。
前任の飼育係は竜騎士団の歴史の中でも群を抜いて天才と謳われた竜使いの男であった。
彼が捕獲し、竜騎士団内で繁殖に成功させた竜種は多数存在する。
そんな天才と謳われた彼はいくつかの謎と一枚のメモを残し、忽然と姿を消してしまったのだった。それも数匹の精霊竜を伴って。
精霊竜とは、通常の生物とは違い肉体を持たず、契約によって顕現する存在で、竜種の中でも幻獣種にあたる特別な存在である。
土地や種族によっては神と崇める事もある。
そして残されたメモには、後任者にとクリムトの名前が記されていた。
彼が姿を消してから、竜騎士団、軍の上層部は大混乱であった。
王国竜騎士団はルワルナ国の防衛などの要であり、その中枢を担う人物の失踪は国家機密の漏洩であり喪失である。
これは大事件なのだ。
勿論、失踪した飼育係には捜索隊が早期に結成された。
軍の暗部隊、竜騎士団からも専門の隊が結成され、現在も鋭意捜索中である。
さらに秘密裏に高ランク冒険者に捜索依頼も出している状況であった。
そんな人物の後任に、何故クリムトなのか。
竜騎士団の根幹を担う重要な役職である。
すぐにでも組織を立て直さなければならないこの時に…。
失踪した飼育係は秘密主義で弟子を一切とらなかった。
顔を合わせた事程度はあるかも知れないが、生まれや経歴を照らし合わせても、彼とクリムトに繋がりがあるとはとても思えなかった。
彼の飼育方法はマニュアル化され、第四部隊の他の隊士が引き継いでいたが、彼が独自で研究していた竜の生態についてなどの研究結果は失われてしまったのだった。
そもそもクリムト自身は竜騎士団に入るまでは竜を見たことも無かったほどである。
代々騎士の家柄ではあったため、剣の腕には多少の自信はあった。
だが四男である彼は家を継げる訳でもなく、その剣の腕のみを頼りに王国竜騎士団の門を叩いたのだった。
突然、竜の飼育係へと任命された不遇な男。
これからクリムト コーニッシュの人生は竜色に染まっていくのである。