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フレデリカに食事を作り直してもらい、腹もふくれ、女官の機嫌も体調治りほっとすると、ミナは早々に自室にこもった。というのも、解毒薬を調合してしまったせいでフレデリカに捕まりそうになったからだ。
偶然奇跡的に出来上がっただけなのに、自分と同じように薬を愛しているのだと思われ、それなら同士で語り合いましょうよと誘われてしまった。地獄の味を舌ではなく全身で味わうことになってしまう。それだけは勘弁してもらいたい。ミナはやんわりと断り、さりげなく逃げてきた。
――それにしても。殿下はいつ、会いに来てくれるのかな?
木々がそよぐ窓の向こうを眺めながら、遠い王都にいるリクを想った。
彼はいま、もしかすると人生で最も大事な関門の一つを突破しようとしているのかもしれない。王太子選定にその身を邁進させている。結果はどうあれ、たとえ困難にぶつかろうとも彼ならやり抜く。根が素直で誠実なリクだから。そして出発の日に交わした約束も守ってくれる。ミナはそう信じていた。
――信じてる。信じてるよ。だけど……
一週間、二週間、と日が過ぎていく度に約束が遠ざかっていくような、そしてそのうち消滅してしまうのではないか、という疑念に苛まれていた。それは、日に日に会いたいという気持ちが募っていくせいだ。
顔が見たくて、声が聞きたくて、匂いを嗅ぎたくて、触れたくて、気がおかしくなりそう。三人だけの生活も新鮮だし、快適ではあるのだけれども、少しでも暇があれば彼を思い浮かべ、その度にいまここには存在しないという現実を突きつけられ、胸が締め付けられる。
もっと子細に話し合っておけばよかった。せめて、どこでなら会えるのか。たとえここを出ても、リクは自分を探しに来てくれるのだろうか。ミナの住所なんて王宮の誰かに聞けばいとも簡単にわかるだろう。だがもし、実家に居なかったら? リクのまわりなんて、女性なら掃いて捨てるほどいる。ミナより素敵な人たちばかりが。そんななかにあったとしても、彼は私を忘れずにいてくれるだろうか。それがミナが未だこの城に居続けている理由の一つだった。関係性に特別なものがない以上、ただの口約束を丸ごと信用できるわけがない。
なんとしても、リクに会いたい。だが、考えれば考えるほど、リクがここに戻ってくる口実がないような気がしてきた。
彼はもうミナたちの手を離れた。必要とするものはここにはもうない。ここへ戻って来るとしたらそれは彼の後退を意味する。それは絶対にありえない。
「殿下……」
せめてあと一度だけ、一瞬でもいいから会えないだろうか。その愛しい顔を拝見させてくれないだろうか。あわよくば、あの力強く逞しい腕に抱きしめてくれないだろうか。そしたら大人しく帰ってこれまでどおりの生活を送るから。
夜になり、気分転換にあたりを散策し終え、廊下を歩きながら今日は少しリクのことを考えすぎたと反省した。
何も考えず足の赴くままに裏の雑木林にも行ってしまったこともあまりよくなかった。思い出、というほど大層なものじゃないけれど、そこで必然的に思い出してしまうのは、悲しい別れになってしまった、ジャックのことだ。
――ジャック。
彼ばかりは、どれだけ願ったってもう二度と会えない。会うとしたら、ミナのすべてが天へ帰すとき。
悲しいことばかりが連続して思い起こされ、頭の中が嵐のように吹き荒れていた。ミナはひどく感傷的になっていた。
何か、少しでも安心させてくれるものがほしい。すこしでいいから慰めてほしい。
そう思ったミナは、あろうことかリクの私室に勝手に入った。
キイ、と軽く音を立てて扉が開く。真っ暗だ。何も見えない。ミナは持っていたランプをかざし、一歩踏み入れた。瞬間、リクの残り香が鼻をくすぐった。ミナは寝台へ駆け、布団の中へもぐりこんだ。
――あ……。
ミナの頬に一筋の涙が流れた。安堵の涙だった。
リクがいる。そう思わせるほどにそこは彼で溢れていた。リネンもすべて彼がいなくなってから取り替えているはずなのに、濃く彼の匂いがしみついていて、まるで彼に包まれているみたいだ。
ミナの心は安定を取り戻しつつあった。幸せな気分に浸りながら、そのままぐっすりと夢の中へ落ちていった。




