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「うん?」
「昨日、おっしゃっていたことですけど……」
「え。だからごめんて」
「あ、違います。年齢の話じゃないです。それは後日戦いましょう。そっちじゃなくて、仕事がどうのとかの話です」
ミナが泣き言を漏らしたとき、慰めのような、あの言葉。いまならわかるはずなのだ。もう一度言ってほしい。しかしリクは気が進まなそうに、
「ああ……それはいい。忘れろ。……ていうか戦うってなんだよ!」と話をそらす。いや、言い出しっぺはミナだが。
「戦います。忘れろって言ったって、なんか殿下変な言い方するんですもん。気になります。つまり殿下のせいですよ」
悪態をついてやるとリクは器用に片眉を上げて、
「へーえ。言うようになりやがって」
と言っていたずらっぽく笑った。
熱のせいか吐き出される息はいつもより大げさで色っぽく、少し笑ったその顔は幼気な子供のように、どこか弱々しい。
「――……ッ」
その蠱惑的な姿に不謹慎な思いが込み上げ、ドクン、とひとつ大きく胸が鳴った。
体温が急上昇し、何かが漏れ出そうな口を慌てて押さえた。この感情は――?
「なあチビ。お前いま俺にキスしたいって思っただろ?」
「――!」
――そうだったの、私?
自分で自分を信じられないが、彼の投げかけをスパッと否定できないのはなぜだろう。
当惑し赤面を隠しきれていないミナに、リクはますます勝ち誇ったように妖艶にささやく。
「違うなら言え。イヤならしなくていいからさ」
「はっ……なに」
その言い方、まるでいまここでキスしろとでもいうような……――
「あいつらは見てないぞ? いまのうちじゃねーの?」
「なっ……! この、バカ!」
ついに思いっきり暴言を吐いたことに気づかないまま、盛り上がっているフレデリカと老医者を振り返った。こちらを見ていないことを確認してとりあえずは安心する。
しかし――、
「バカでもなんでもいいよ。で?」
「――ッ!」
リクは熱のせいかやや赤くなった目をトロンとさせて、休む暇なくミナをあおってくるのだからたまらない。もう顔から火を噴きそう。
しかしここまでで一度も否定の言葉を発していない自分のほうこそおかしいかも、と思った。
もしかして、彼の言うとおりなのだろうか。私はいま彼に口づけたいと思っているのだろうか。そして彼は私を誘ってる……。もたもたしているミナに、彼は片手を伸ばしてミナの頬に触れた。
「なあ――……ミナ」
最後の一押しの破壊力は抜群だった。
もしかするとずっと求めていたのかもしれない。
初めて名を呼ばれ、せっかく耐えに耐えてきたミナの理性があっという間にぶつっという音を立ててはち切れた。
瞠目したのは一瞬だけで、飛びついて夢中で彼に口づけた。目の前の彼しか目に映らない。それ以外なんかどうだっていい。
唇だけじゃない。全身が熱い。まるで彼の熱が伝播したみたい。でもどうしてここまで彼と体温を重ねるのが自分は好きなのだろう、と浮かされながらもどこか冷静に考える自分がいた。
もし、考えなくてもいい問題が何一つ無かったら、その答えは導き出されていたのだろうか。
そんなことを考えていたせいで、彼女から送られてくる鋭い視線に、ミナは全く気付かなかった。




