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「だいぶ熱は下がったと思います」
うっすらと空が白けてきた朝方、ジャックと共に訪れた医者に向かってそう告げたのはフレデリカだ。
この前の王族専門医ではなく町に住む白髭を生やした老医者は、リクの目や舌を見ながら、フレデリカの調合し与えた薬、それからいまのところ知る限りのサキュバスの説明を一通り彼女から聞いて、考え深げに「ふむ」と言って頷いた。
「熱は一時的なものでしょうな。実は、私もその薬物についてはつい最近耳にしましてね」
彼によると相変わらずサキュバスはどこにも、誰の手にも入っておらず、しかし流行しているとのことで皆苦心しているそうだ。リクのように身分の高い人物にまで悪魔は触手を伸ばしているらしく、近しい人間のあいだでは混乱が生じているとのこと。特効薬を必要としているのはすでに大勢にのぼる。
「なぜ現物を入手できないのです? 流行しているのは一般庶民の社交場。見えない勢力が働く上流階級ならまだわかりますわ。ここまで入手に困難な理由に説明が尽きません」
「むしろ庶民の間だから難しいのでしょうな」
何か思うところがあるのか、フレデリカの厳しい問いに医者は長いため息を吐いた。彼はリクの診察を止め、そばに控えるフレデリカに向き直った。
「そのクスリは外国から持ち込まれたとか。おそらくは、法が十分に整っていないせいですな。この国は他国をあまりに信用し過ぎている。なにしろ平和な国ですからね。それ自体は悪くない。しかし最低限必要な規則さえないのです。それは貴女様も知っておいででは?」
「……そうですわね」
あまり自分の領域である魔女の村から出ることのないフレデリカでも、また、ミナでさえも、この平和国家の他国への無防備さはよく知っている。
なんとなくそうなのだな、くらいにしか思っていなかったのだが、このサキュバスに関しては、彼によるとその他国への法整備の薄さが仇になっているような口ぶりだ。そしてその法に権利を有し国のトップに立っているのが皮肉にもサキュバスの被害者であるリクの父、国王である。
国王が先に手を打っていれば、もしかしたらこの状況は免れたかもしれない。いまからでも遅くないだろう。しかし国王はおそらくそれに気づいていない。その証拠に彼のほうからは何も動きがない。
そういった隙間から入り込んだ悪魔だが、クスリとわかって手を出したのはリク本人であるのだから、彼自身にも責任がある。自業自得といわれればまあ、そのとおりである。
「ところで、どうやって解熱薬を?」
もうすっかりフレデリカをこの城の責任者か何かだと思っている老医者は、ずっと気になっていたらしいことを、興味津々で彼女に問うた。
「そんなの生まれながらに知っていますわ」
「はは。ご冗談を」
「いいえ。魔女の村をご存じかしら? 私はそこの魔女ですわ」
「……! 左様でございますか! いや。これはこれは何たる幸運。是非一度お目にかかりたいとどれだけ……――」
魔女とわかった途端、老医者は喜びも露わに立ち上がりフレデリカに握手を求め、とうとうと賛辞を述べた。その嘘偽りのない姿にフレデリカのほうも素直に受け取り、この上なくにこやかに対応している。
「……殿下。お腹すいていませんか?」
仕事を忘れ会話に花を咲かせているこの二人のことは放っておいて、ミナはリクに近づきこそっと耳打ちした。もうすぐ大人の女性になろうとしている自分を、まだ少女になったばかりの初々しい年齢だと思っていたことを許したわけではない。これについては体調が万全になってからじっくりと話し合おうではないか。そのためにも、回復してもらわないと困る。
ミナとフレデリカは看病に備えてリクが寝ているあいだに手早く済ませたが、彼は先ほど起きたばかりでまだ何も食べていない。
「お前作れんの?」
ベッドに横たわりつまらなそうにしていたリクが期待の混じった目で尋ねるが、残念ながらミナはふるふると頭を振る。
「いいえ。いまは女官が留守なので、代わりにジャックが作ります。何か食べたいものはありますか?」
ミナは注文を受けようと思って床に膝を付いた。ややうつ伏せにこちら側を向いている彼に近づけば、彼の瞳を囲う長く綺麗な睫毛が影を落としているのがはっきりと見て取れた。こんなときでも彼は麗しい。
「ふーん。まだいい」
「わかりました。ではもうおやすみになりますか?」
「いや……これ以上寝られねーわ」
「ですよね……」
多分まだ少し熱はあるのだろうが、解熱薬のおかげでたった数時間のうちに見違えるほど回復している。昨晩とは比べものにならないほどだ。まだ懸念は残るが、いまはミナもパニックから解放されている。落ち着いて彼と向き合える。だから、昨日言っていたことをいまのうちに解決しておこうと思って尋ねた。
「あの、殿下」




