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スタートから約三秒、全力で隣を走っていたフレデリカがゼイゼイ言い出した。リクが走ってきた頃には廊下に倒れてしまった。そうだった、この人体力が著しく無いんだった!
やられた、とミナは声にならない悲鳴を上げながら頭を抱えた。これでミナ側の戦力が八割落ちた。
それにしても、リクはなぜフレデリカが薬に目が無くて、体力が老人以下だと知っていたのだろう。ミナの知る限りでは二人は授業以外で顔を合わせることも話すこともないはず。それとも実は仲が良かったりするのだろうか。それか、ジャックだろうか。……そうかジャックか! ジャックだな、あやつめ、許すまじ……!
とりあえず伸びてしまったフレデリカはリクに部屋に運んでもらい、空いているソファに寝かせておいた。
ぐったりしているフレデリカを尻目に、リクはしたり顔でフレデリカの鞄から本を一冊取り出し、ミナに差し出した。
「ほら。古典」
「え?」
フレデリカの本を差し出すということは、彼女がいつも読んでいるのは古典なのだろうか。
とりあえず受け取り、目次を開いた。そこには『○○の抽出方法』『○○薬の扱い方』『○○薬の効能と注意』などの文字が並んでいた。
――これ、どう見ても薬学の本じゃないの。
「殿下、これ薬学ですよ。殿下は古典がいいんですよね?」
「ふうん? あっそう」
ミナは自分の鞄の中身を思い出していた。残念ながらそこに古典は入っていない。では借りるとするか。ミナはちょっと失礼して、フレデリカの鞄を拝見させてもらうことにした。
「え~と…………あれ?」
変だなあ、と思った。ミナは全ての本を開いて目次を確認したが、どれも薬についての学術書で、古典なんて一冊も入っていなかった。
お、おかしい。薬学しかないのはおかしい。今日たまたま無いってとこはないだろう。ということは、まさかいつも朗読しているのって……。
――いつも自分のための本を読んでいたってこと?
「あはは……殿下、フレデリカのは古典じゃないです」
ミナは脱力して薄笑いを浮かべた。
知らなかった。ミナはいつも放っとかれる寂しさとやるせなさでいっぱいで、彼女の朗読する言葉など一度も聞こうとしなかった。まさか自分のために朗読していたとは。しかしいつからだろう。それにしてもまあ、敬服するほど賢くて狡い。
「そうなのか? いっつも変な言葉ばっか出てくるから、古典だと思ってた」
「あー……なるほど」
確かに、パラパラと見たところ外国語や呪文が載っていた。この辺も読んでいたのだとすると、全く知らない人が聞けば、古語か何かだと勘違いしても無理はない。
それよりも、この王子、古典を望んだ時点でやる気なかったのだな、とミナは思った。いつも通り朗読させながら寝る気だったのだ。ならば、ミナはそうはさせない。本をリクに戻す。
「私は読みませんよ。ご自分で読んでください」
ミナは毅然とした態度で言った。あくまで子守歌にするつもりなら、私はそれを授業放棄とみなす。第一、多少難しい言葉も出てくるがこれは古典じゃないのだから何の教養も無いリクでも読めるはずだ。呪文は読む必要無い。飛ばせばいい。
……それより、差し出がましいかもしれないが、ミナの持ってきた本のほうが絶対いいと思う。
失礼だけど、この難解な薬学の知識はフレデリカと医者、学者以外の人には不要じゃないかな……。
そう考えたミナは一旦フレデリカの本をすべて仕舞った。リクに渡した本も仕舞えば、彼はきょとんとした顔になった。
「何で仕舞うんだ? ……あっ、今日終わり?」
嬉しそうに言うリクに、ミナはぴしゃりと告げる。
「違いますよ。その……フレデリカのはまだ早いというか、余裕が出来てからじゃないと学べないやつでして……やっぱり今日は国語をやりましょう」
国語の本をずいと差し出しほら、と推してくるミナにリクは予想通り、口を尖らす。
「はー? 俺勝ったじゃん!」




