五千万の賭け
死ぬかと思った。
看護師が数人ドタバタと駆けずり回っていて、慌ただしい病院内。
なんだなんだと、待合の席に座っている老若男女の顔が曇る。
私もそのうちの一人。意識不明の重体を負った両親のことを心配して、
心労のあまり、倒れそうだ。
もしかして、両親の身に何かあったのか。いや、もう既にやばい事になってるけど、そうじゃなくて。
看護師が走り回ってるのもやっぱり両親が原因なのか。ただひたすら両親であってほしくはないと、両手を拳にして額に押し付け神に祈る。
「いやあ、なんだ。大変だねぇ」
およそ、静まり返った病院内に相応しくない、まるで野球の試合を途中で見に来て、自分の応援しているチームがおされてるのを見たような声が背後から降ってきた。
「えへへえ」
と似つかわしくない笑みを漏らして、隣の席が沈む。
「こんな夜中に大変だけど、人を救うくらいで金が手に入るなんてほんっとに楽でいいよねぇ」
隣が足を組んだ。本来、ふざけるなと罵声が何処からとんできてもおかしくないはずの彼の言葉は、空中に消えた。
「え?」
違和感を感じて顔を上げた時、私は目を瞠る。
★
「どうしたの?七音ちゃん」
まっ広い闘技場の上で、赤い鉢巻きを巻いた男が黄色い鉢巻きを巻いた男に一方的にボコられていて、
それを審判員が止めに入っていて、試合は停滞しているようだ。
「あれ?私、寝てた?」
口元に手をやると、涎が出ていて思わず拭う。
「えへへえ、そりゃあもうスヤスヤ寝てたよ。良い夢見てた?おはよう、現実だよ」
隣で足を組む黒髪に、赤と桃色のオッドアイ。襟の立ったコートを着て棒付きキャンディーを口で回して笑う二十五歳。
彼は私をニマニマした笑みで見つめ、ピースサインを向けてきた。
「現実」という言葉に顔を顰めつつ、私はさっきまで見ていた夢を思い出そうとした。
でも、どんな夢だったのかはすぐに忘れてしまった。不思議なもんだな。
「さてさて、賭けの話なんだけどねぇ」
口から棒付きキャンディーを取り出しクルクル回して、次にそのキャンディーの先でリングを指し、
「これ、ボクの勝ちだよねぇ?はい、五千万」
空いている方の手のひらを向けて突き付けてくる。
「は?」
慌てて再びリングに目を向けて固まる。
五月上旬、開催される世界最強と謳われる二人の男の決勝戦。これを観戦し、どちらが勝つかを賭けるという、棒付きキャンディーの彼、紅龍との約束。
名前は知らないが、私は赤い鉢巻きを応援し、紅龍は黄色い鉢巻きを応援していたのだ。
そして今、試合は止まっている。というのも、黄色が過激なまでに赤に、死ぬかと思うほど拳を振り下ろしているからである。流石に見ていられないと途中で席を立った観戦者が多くいたのか、最初混んでいた観客席もガランとしている。
「うっそだろ」
「うっそじゃなぃしー」
赤は既に気絶し、どう考えても試合を続行できる気配は一切感じられない。
「いやいやいや、でも?まだこれ、試合が決した訳じゃないし?可能性は?無限大だし?」
「決してるようなもんじゃな~い?コレで起き上がったら化け物じゃん」
彼はクスクス笑って、ほらほら早く五千万~と足で小突いてきた。
「えっ、五千万。えっ、でもさ?これ黄色酷くない?気絶してる上にこんなに殴っちゃダメでしょうよ」
「モラル?倫理?確かに欠けてるよね~。本気で今回、殺す気でいたのかもねぇ。邪魔に思って」
クルクルクルクル、キャンディーを回して、「ま、でもボクらの賭けには関係ないし?」と口に含む。
「ごふぇんま~ん」
既に金にしか目がないらしい。彼の目の中にお金のマークが見える…気がする。
「ああ、私のお金が…っ」
★
夕方の喫茶店、向かい合う形で私達は座っていた。紅龍は御機嫌に鼻唄なんてしながら、オレンジジュースをストローで啜っている。
結局、あの後通帳から五千万引き落とし、紅龍に投げつけた。
紅龍の足下付近に黒い布に包まれた大きい物体。恐らく中は武器だろう。まだ見せてもらったことはないし、斯くいう私だって街中ではさすがに日本刀を引き抜いたりはしない。上着で隠している。
「やったね~五千万~」
「どっかのスリ師にスられてろ」
「んえ~?酷いなぁ」
少し苛つきつつ、私もストロベリージュースをストローで啜る。
「ねねね、ボクあの後、ちょっと調べてみたんだよ」
闘技場の二人の事、と紅龍が人差し指を立てた。
「情報、売ろうか?」
「いりません。それ買うくらいならアニメグッズに貢ぎます~推しに貢ぎます~」
「えへへえ、なんだ。折角また金が手に入るかと思ったのに」
そうそう簡単に渡して堪るかと頬を膨らませる。
「今日五千万貰ったしぃ?タダで教えてあげるよ」
やたら「五千万」を強調し、背もたれに勢いよくもたれかかった彼は手を組んで、こう続けた。
「あの赤い方ね、今まで裏で小細工ばっかしてずる勝ちしてきてたみたい。前日とかぐらいに戦闘不能にして、不戦勝で今まで勝ち進んできたんだってさぁ。黄色い方も前日に家族に手を出されてたみたいでねえ。相当頭にきてたんだと思うよ。えへへえ、馬鹿だよねえ」
「え?もしかして不戦勝で勝ち進んできて世界最強?嘘だろ?」
思わず普段は高音を意識して出してきた声も地声に変わる。
「どちらかというと、世界最凶の方が正しいよねえ」
オレンジジュースを飲み干したのか、「じゃ、これで。また賭けしよーね~」とジュース代をテーブルに置いて、背丈を超えるほどの大きい武器を背にかけると、ヒラヒラ手を振って紅龍は店を出て行った。
にしても、現代社会は汚いものばっかだなあ。
普通に見過ごしているニュースにだって色々と裏はあったりする。事件ってのは大抵、揉み消されているのが多いこんなブラックな世の中だ。これだから三次元はダメなんだ。
「にしても死ぬかと思ったなあ」
夢の中で、確かに死ぬかと思うほどのショックがあったはずなのだ。それなのにどうしても思い出せそうにない。
ストローを再び口に咥えて、残りを啜ると遠くの方で救急車の音が聞こえた気がして、強盗に殺されてしまった両親の事を思い出した。