rhythmos
真っ暗な冬の帰り道、ふと口をついて出るリズムがある。
通り過ぎる自転車とか、コンビニの明かりの前では飲み込んでも、いつのまにか鼻歌で繰り返すリズム。もうずっと昔の、歌詞もタイトルも忘れた曲の一部だ。
吐く息は晴れた夜空に白く吸い込まれていく。
ん――、んん――、と、短く長く調子を取っていくが、短いリズムは次の一節が思い浮かばずにループする。
大きい通りが住宅街へと入り込めば、路地へと足を踏み入れ住み慣れたアパートへと……。
「わっ!」
「ファッ!?」
不意に響いた大声に、変な声が出た。
振り返れば……、一瞬目を細めるも、あんまり顔を合わせない同期の女性社員――確か、熊野とか熊沢とか、そんな名前だったと思う――が、いて、余計に微妙な顔になった。
特徴が無いのが特徴のような、のっぺりしているというか、凹凸の少ない丸顔で、それが逆になんだか記憶に残ってた。背も百五十前後で、身体つき自体も凹凸が少なめときたもんだ。
「こんばんは」
俺の表情から挨拶し難く感じているのは察したのか、自分から声をかけてきたソイツ。
「……ドウモ」
一応、返事すれば、なんとなく並んで歩き始めることになる。
うん、そうだよな、いい大人なら、こういうシーンは見て見ぬふりを……。
「珍しい選曲だね」
悪気の無い悪意に、ハン、と、鼻を鳴らして俺は答える。
が、一拍後、言葉を噛み砕いている内にあの曲の名前を知ってるという事実にぶつかり、腹立たしいのはどっかへといってしまった。
「知ってるのか?」
「ええ、まさか昔のアニソン歌ってると思わなかったし、しばらくストーキングしちゃったけど」
「ん? アニソンなのか?」
ストーキングとかツッコミ待ちっぽい部分を全部無視してそう畳み掛けるが、俺の様子に一瞬訝しげな顔になったソイツは、態度を若干硬化させあがった。
「同志じゃなかった」
「同期だろ」
まあ、忘年会と新人歓迎会ぐらいでしか顔合わせないぐらいに遠い職務を遂行する者同士だから、正直、帰り道で気安く話す関係ではなかったのも事実だが。
つか、趣味が近いと親近感を感じるのも事実だろうけど、そんなにマニアックなアニメだったんだろうか?
隣へと視線を向ければ、もふっとしたコートに首を埋めている同期が恨めしそうに呟いてる。
「オタクだと思われた。来週、社食で笑いものにする気だ……忘年会のネタにされて、勢いだけしかいいとこの無いハゲ課長にセクハラされる」
……見た目以上には口が悪い女のようだった。
背後から刺されても敵わないので「気にすんな」と、フォローしてみても「ヤダ」の一言だけでにべも無い。
「いいから、タイトル教えろって」
「アニメの?」
「曲の」
ふてぶてしく聞き返してきたソイツに即座に言い返すも、唇をとがらせられてからふと気付き。
「って、まあ、アニメのタイトル調べれば、その曲にもぶつかるし、それでもいいけどな」
音は聞こえなかったけど、ソイツの口から白い息が長い煙になって尾を引いたので、溜め息を吐いたんだとは分かった。
「多分だけど、飯野はCMで見たんだよね」
どっかふてくされた表情が、なんだか面白い。いや、性格悪いのかもしれないけど、男ってそういう部分がある。
「そうなのか?」
問い返せば、――いや、向こうは俺の名前知ってるのに、俺がうろ覚えで申し訳ないんだが、くまの続きが思い浮かばない――その女性社員は頷いて続けた。
「そこ、サビじゃないもん。だから、変な所から始まってるなって思った」
つか、昔のアニメのはずなのに、よくそこまで覚えているものだ。
感心半分で呆れているのも半分。だけど――。
「疾走感もあるし、良い曲なんだよ」
その一言には完全に同意だったので、俺も頷いて「そうだな」と、答えた。
隣から、どこかクスリと笑う気配が伝わって。
凍えるような夜を、メロディーが駆け抜けていく。
歩調は、自然と重なっていた。
rhythmosは、リズムの語源ともなった古代ギリシア語です。
まあ、調べればもっと詳しく出てくると思いますし、書く上で意識した点をあげることにします。
自分自身もなんの曲だったか思い出せない一節だけが頭に残っていることがあるのですが、その一部分だけを繰り返す以上、そはメロディーではなくリズムだな、と感じ、リズムの語源を知り、それがかつて意味していた形質という部分から連想するに当たり、冬に吐く白い息などの情景へ繋がり、不定形な人の心が同じ形質を不意に形作る瞬間ということで、恋が始まる遥か前の、相手の存在が心に形作られる瞬間の物語にしようと思いました。