奇跡
両陣営の演説が終わり、予め配られていた投票用紙にみんなが選んだ次期生徒会長の名前が書き記されていく。去年はこれほど時間はかからなかったはずだけど、やっぱり今回はそれだけ両者の演説が良かったからだろうか。
しばらくして名前を書き終えた生徒たちがぞろぞろと左右に設置された投票箱へ用紙を入れていく。立候補者とその補佐に投票権はなく、もちろん野々山の補佐をしていた僕にも投票権はない。そもそも停学処分中だから当然なんだけどね。
乱入騒ぎを起こした僕の処分は反省文を三十枚追加だそうだ。この程度で済んだのは渚先生のおかげだ。っていうか、僕が喋っている間も黙認してくれていたのは渚先生だし。
体育館の隅で正座させられて、担任の楓先生にこってりと説教を受けること三十分。体育館から追い出されなかったのは渚先生と楓先生が他の先生たちを説得してくれたそうだから、素直に頭を下げるしかなかった。
ようやく集計が終わり、前期会長の神宮寺先輩が舞台へ上がる。
ついに新しい生徒会長が決まるんだ。集計を手伝っていた渚先生が僕の隣にどっかりと胡坐をかいて座り、小さく笑った気がした。
神宮寺先輩は当選者の名前が書かれた紙に目を落とし、安堵とも落胆ともとれる溜息を漏らした。
『総票数千二百十七票のうち、無効票が三十七票。私の名前を書いてくださった三十七名の生徒には心より感謝いたします』
神宮寺先輩は恭しくお辞儀をして、再び顔を上げた。
『それでは発表させていただきます。獲得票数は千十四票。新しい生徒会長は――』
圧倒的な差に僕は愕然とした。彼女の絶妙な間の取り方によって体育館が静寂に包まれる。舞台上に立つ立候補者の二人も緊張に顔を強張らせた。といっても、言わなくても分かるだろうけど野々山は無表情だ。
『新しい生徒会長は、桜庭絵里香さんです』
スポットライトが桜庭を照らした。拍手と歓声の中、俯いてしまった野々山に駆け寄りたくて、渚先生の制止を振り払って生徒たちをかき分けて進み出したそのときだった。
「野々山さん、泣かないで!」
「俺、桜庭に入れたけど、野々山の演説も最高だったぞ!」
「今まで酷いこと言ってごめんね」
「私も、野々山さんのことを誤解して酷いことしてきた」
「本当にごめんね!」
方々から野々山を励ます声があがり、鳥肌が立った。隣の奴に続いて誰かが彼女に声をかける。野々山への激励は波のように広がっていった。
圧倒的な差で当選したのは桜庭だったはずなのに、野々山コールが鳴り止まない。
野々山、お前の気持ちはみんなに届いていたんだ。
僕らが頑張ったあの日々は、決して無駄なんかじゃなかったよ。
目頭が熱くなった。
「まったく、貴様は反省というものを知らんのか」
と再び渚先生に投げられたけれど、痛みよりも感動の方が大きかった。僕の背中にどっかりと座った渚先生は、壇上で何度もみんなに頭を下げる野々山を見ながら、どこか気の抜けたような優しい声音でぽつりと呟いた。
「先程、集計をしていた生徒に聞いたのだが……いや、調子に乗られては困るからやっぱりやめておこう」
「何ですか、そこまで言っておいて」
「だから、これは私の独り言だ。投票用紙の裏は白紙になっているのだがな、桜庭の名前を記入した生徒の裏紙には、野々山へのメッセージが書かれていたそうだ。それも一人残らず、すべてにな。姫島、貴様は良い女に出会ったな」
野々山コールの真相を知った僕は小さく拳を握り締めた。本当はガッツポーズをして声をあげて喜びたかったけれど、それでは調子に乗ったと誤解されてしまうから。
もう一度、舞台に視線を向けると、桜庭が恨めしそうな表情で僕を睨んでいることに気が付いて、さり気なく視線を逸らして嘆息した。
……もう帰ろう。僕の仕事は終わったのだから。
結局、ヒーローではなかった僕は、完全なハッピーエンドでこの物語を終わらせることが出来なかった。期待してここまで読んでくれた読者のみんなには本当に申し訳なく思うよ。
いや、今回は嘘とか抜きでマジごめんなさい。
ヒーローは僕じゃなく、野々山秋葉だったのだ。僕には今さら野々山に駆け寄って励ましてやる資格なんてない。
問題を起こして野々山に迷惑をかけてしまった。
最後までちゃんと支えてやるという約束さえ自分の愚かな行動のせいで破ってしまったのだから。
もう脇役の出番は終わりだからさ、僕は大人しくお暇させてもらいますよ。
あ、スタッフさん。エンドロールお願いします。
「渚先生、もういいです。本当にありがとうございました」
「……いいのか?」
「はい、お騒がせしました」
背中にかかっていた体重が軽くなる。鳴り止まない野々山コールに背を向けて、僕は静かに外へ出た。
不意に見上げた空は清々しいくらいの晴天だ。
野々山は確かに奇跡を見せてくれた。
いや、思い返してみればあいつにはたくさんの奇跡を見せつけられてきたじゃないか。
小さなことから、大きなことまで。
でも、素直に喜べない蟠りを胸に残して僕は歩き出す。
「お待ちなさい!」
凛とした声が背中に突き刺さる。
おいおい、僕の中ではもうエンドロール終わったんだけど。まだ僕に仕事をさせる気なのかよ。
「どうして君がここに? 当選者演説はどうしたんだ?」
仁王立ちした桜庭は真っ赤な顔で、まるで親の仇を前にしたように僕を鋭く睨みつけていた。強く握り締められた拳から、彼女の怒りが伝わってくるようだ。
「屈辱ですわ。どうしてあの日のことを責めないのですかッ?! あなたにはわたくしを責める権利があります。それなのに、どうして何も言わないんですか?! わたくしに惨めな思いをさせて楽しんでいるつもりですの?!」
「やっぱりあれを仕掛けたのは君か。でも、君が何もしなかったとしても、僕はいつか罰を受けていたよ。さっきも勢いで言ったけれど、自分自身の罪を誰かのせいにするほど落ち潰れたつもりはないからさ」
「……全然勝った気がしませんわ。そうやってあなたは一人で全部を背負い、誰にも気付かれないように去っていく。英雄気取りですの? 気に食わないですわ!」
英雄気取りか。僕はそんな立派な奴じゃないよ。野々山を勝利に導くことも出来ず、裏切って悲しませて、最後は彼女一人に戦わせてしまった愚か者だ。
桜庭にまでこんな嫌な思いをさせてしまって、自分の愚かさに腹が立つ。
「僕は英雄にはなれなかったよ。君にも嫌な思いをさせてしまったね。本当にごめんよ」
「どうしてあなたが謝るのですか?! 謝らないといけないのはわたくしの方ですのに」
桜庭は泣いていた。溢れ出した大粒の涙は頬を伝い、ポロポロと顎を滑り落ちる。プライドの高い彼女が人前で涙を流すということは、僕がそれだけ桜庭の誇りを傷つけてしまったのだ。
本当に申し訳ない。さっきから謝ってばかりだな。
「自分を責めないでくれ。さっきも言ったけど、これは僕の自業自得で、誰かのせいにするつもりはないよ。じゃあ、謹慎処分が解けたらまた会おう。君がここをどんな学園にするのか楽しみにしているよ」
「絶対に楽しい学園にしてみせますわ!」
ああ、その言葉を聞いて安心したよ。あとはお前に任せるよ。
軽く手を挙げて答えて、僕は校門を後にした。




