私は、生徒会長になりたい!
中に入ることまでは許されなかったので、扉を少し開けて野々山の姿を捜す。舞台の右隅にあるパイプ椅子に野々山はいつもの無表情で座っていた。
少し前の僕なら気が付かなかっただろうけど、かなり緊張しているのが分かる。三日ぶりに見る顔は、少しだけやつれているように見えた。
桜庭の補佐の助演説が終わり、拍手の中で桜庭たちがお辞儀をする。
『それでは野々山秋葉さん。よろしくお願いします』
呼ばれた野々山は小さく頷いて立ち上がった。この前のように手足が同時に出たり、転んで下着を露わにしたり、マイクに頭をぶつけることはない。
まるで抜け殻のように覇気のない姿でお辞儀をした野々山はマイクを握った。
――静寂。
誰もが野々山の演説に期待して見守る中、緊張を孕んだような乱れた呼吸をマイクが拾う。嗚咽にも似たそれは少しずつ周囲を動揺させていく。
立候補者に用意された演説時間は十分間。いつまでも話し出さない野々山に体育館がざわつき始める。
「え、何? どうしたの?」
「もう始まっているんだよね?」
「あれ、ねぇ! 野々山さん泣いてない?」
確かにそれは、嗚咽だった。
溜息のような吐息を震わせて、野々山は言葉を紡ぎ出せないまま俯いていた。その瞳から足元に光る雫がポタポタと零れ落ちていることに気が付いた生徒たちが動揺の声を漏らす。
誰とも馴れ合わず、見ず知らずの者にまで蔑まれても表情ひとつ変えたことがなかった野々山秋葉は今、膨れ上がった感情を抑えきれずに涙を流していた。
あいつはずっと耐えていたんだ。
この学園で敵だらけの中をたったひとりで生きてきた。
自分の悪い噂を耳にして、誰も信用できなかった。
本当は辛かったはずなのに、誰にも救いを求められずにずっと、ずっと我慢してきたんだ。
そこに僕のような男が現れて、彼女の隠していた弱さを掘り出してしまった。
だけどさ、野々山。
ここをより良くして私みたいな生徒が一人もいない楽しい学園にしたい。むっつりの政宗にも友達がたくさん出来る学園にしたい、お前はそう言ってくれたじゃないか。
その為に自分が何をするべきかを考えて、思い付く限りの努力を今日まで必死にしてきたんだろう?
野々山、お前がそこで話せないのはやっぱり僕のせいなのか?
あの手紙、僕がお前を庇って殴られたと勘違いして、責任を感じているのか?
だったらそれは違うよ、野々山。
僕は自分の都合で喧嘩をしただけだ。絶対に、お前のせいじゃない。
だから、そんな顔しないでくれよ。
頼むからさ……。
覚悟を決めたら、自然に体が動いていた。その強行に一瞬遅れて気が付いた渚先生が僕を制止する前に扉を乱暴に開け放つ。ガン――ッという激しい音に生徒たちが一斉にこちらに振り向いたけど、そんなこと構わない。
大きく息を吸い込んで、
「逃げてんじゃねぇぞ、秋葉ぁッ!」
僕は吠えた。全員が驚きと混乱に満ちた視線をこちらに向ける中、僕の熱くなった気持ちはとめどなく口から溢れ出していく。
「バカかお前は?! みんなに嘘つき呼ばわりされて、一人で苦しんできたんだろう? 自分みたいな生徒がいない、みんな仲良しで楽しい学園を作りたかったんじゃねぇのかよ! 僕みたいなどうしようもないろくでなしにも友達がたくさん出来るような学園にしてくれるんじゃなかったのかよ?! お前、勘違いしているみたいだから言っておくけどな、この前の騒動のことでお前が負い目を感じることはねぇんだ。あれは僕がやってきたことのしっぺ返しを受けただけなんだから。ああ、そうだよ。僕はどうしようもない不良だったからね。それを誰かのせいにするつもりは微塵もない! あれは誰のせいでもない、自分自身のけじめをつけたつもりだった。因果応報なんだよ、野々山。僕はそれだけのことをしたんだ。だから、お前だけは胸を張っててくれよ。お前の覚悟はその程度じゃないはずだろ? 何の刺激もなかった僕の人生をお前が変えてくれたんだ! 何でも一生懸命に頑張るお前を見て、僕も変われるかもしれないって希望を持ったんだ。釘宮だってお前のことを信じているからついてきてくれた。お前は、そういうものも全部背負ってそこに立ってんだよ! ここで逃げ出したら、応援してくれた釘宮まで裏切ることになっちまうんだぞ! だから――ッ」
体がふわりと浮いた。屋上から落下するような浮遊感はつい最近、味わったばかりなのにどこか懐かしく思えた。
受け身をとる暇もなく走る衝撃に体が悲鳴をあげたところで、ようやく僕は渚先生に容赦ない投げ技で組み伏せられたことを理解する。
「調子に乗りすぎだ、姫島。それは反則だ」
つい熱くなって饒舌に語ってしまって悪かったな、野々山。演説はあと何分残ってる?
せいぜい一分ってところか。
ろくでなしの僕に出来るのはここまでだ。あとはお前の口から聞かせてもらおうか。
「お前の手で掴み取れ、秋葉!」
言いきった。本当はこんなことを言いたかったんじゃない。
激励する前に、僕は彼女を裏切ったことを謝罪しないといけないはずだった。
ごめんなさい。
その一言がどうしても言えなかった。すべてが終わったらちゃんと謝ろう。
こんなに遠くからじゃなく、君の目の前で顔を合わせて。
だから今だけは頑張って胸を張ってくれ。
「うわぁ、渚先生マジギレじゃねぇ?」
「大丈夫か、一回転したぞ?」
「っていうか、どうして姫島くんがここにいるの?」
「確か停学処分だったよね?」
「渚先生と一緒にいるってことは、一応許可もらっているんじゃない?」
「でも、姫島くんって普段はクールだから、ちょっとカッコ良かったかも」
「分かる! ワイルドな姫島くんも素敵!」
波のようなざわめきの中、僕はじっと野々山の瞳を見つめ返した。
『……たい』
マイクが拾った小さな声にみんなが振り返る。
『……政宗、私は生徒会長になりたい! ……上手く言えないけど、みんなが仲良く出来る学園にしたい!』
「……ああ、その言葉が聞きたかった」
大義名分の公約なんてものはない。
ただ、その真っ直ぐな思いが響いたのは僕だけじゃないはずだ。
たったそれだけの言葉で野々山の演説時間が終わりを告げた。あとは勉強会からやけに頭がキレるようになった釘宮の助演説に期待しよう。
壇上に上がって、野々山の頭を優しく撫でた釘宮は丁寧にお辞儀をする。
『おはようございます。野々山秋葉さんの補佐をしている釘宮志穂です。本当は、ここにもう一人いるはずだったんですが、彼は乱入してまでしっかり仕事をしてくれたみたいです。あたしはバカだから、上手いことは言えないけれど、みんなにちょっと考えてほしい。秋葉ちゃんほど孤独の辛さを知っている子はいないんじゃないかな? 本当は不器用なだけでみんなと仲良くしたかったんだとあたしは思うの。実際、あたしは彼女の友達になって、自分が大きな誤解をしていたことに気が付いた。ここ最近、挨拶活動を含めて秋葉ちゃんのことを知る機会がみんなにもあったはずだと思う。みんなは本当の秋葉ちゃんを見てどう思った? 少なくとも、あたしは応援してあげたいと思った。何でも一生懸命に取り組む姿は、カッコ良いと思った。だから想像してほしい。この子が生徒会長になったら、きっと面白い学園になるよ。野々山秋葉に清き一票をよろしくお願いします』
釘宮さん、やっぱりパねぇわ。カンペなしのアドリブで最高の助演説じゃないか。




