罪と罰
桜庭の罠によって土方と喧嘩騒動を起こした僕は、一週間の停学処分を受けた。選挙にはどう考えても間に合わない上に、野々山にとって一番大変な時期に停学処分となってしまった。まぁ、あれだけのことをしたのに一週間で許してもらえるのは奇跡なんだけど。
あの日、僕が釘宮に渡してもらった封筒の中身は立候補者の補佐を辞任する内容の文章が書かれていて、僕があれだけ一方的に殴られながら待っていたのは辞任が正式に受理されるまでの時間稼ぎだったというわけだ。辞任が確定した後に反撃したことはあの騒ぎを見ていた生徒たちからも証言され、結果的に事件は野々山と無関係であることが立証された。
あれから野々山たちは家を出て行った。停学処分者の家に泊まっているわけにはいかないから当然だけど、その夜に行われた家族会議によって僕はさらに信用を失うことになった。自業自得だよな。
家を出て行くとき、野々山と釘宮は何も言わなかった。二人に謝ることも出来なかった僕は自己嫌悪に苛まれながら、机の上に残されていた野々山からの手紙の意味を未だに理解することが出来ない。
たった一言『ごめん』とだけ書かれた手紙を読んで、あいつが出て行くときに謝れなかった臆病な自分をさらに責めた。やることもないのに部屋でじっとしていないくてはいけないことに居た堪れない気持ちばかりが増していく。
今までは仲良く一日の報告をし合っていた姫島家の食卓から会話が消え、家族の信頼を裏切った僕をどう扱うのか二人とも判断に迷っているようだった。僕がいることで家族から会話がなくなってしまったことに対する責任をどう取ればいいのか分からない。
野々山から何の連絡もないまま迎えた選挙当日。
午前八時半。学園では楓先生のホームルームが始まっていて、九時から始まる選挙の説明を受けている頃だろうか。そんなことを考えながらベッドで横になってぼんやりと天井を見上げていると、携帯電話がメールの着信を告げた。
『秋葉ちゃんが学園に来てないの。このままだと桜庭さんの不戦勝になっちゃうよ。どうしよう? あなたの未来の妻、志穂より』
最後の一文は無視するとして、どうして釘宮が僕の連絡先を知っているのかは不明だけど、野々山が登校していないという内容の方が衝撃だった。気が付いたら僕は野々山家へ向かっていた。
「可憐さん! 僕です、開けてください!」
もしかしてもう仕事へ行ってしまったのかもしれないという不安は一瞬で払拭された。
「オレオレ詐欺はお断りしています。どこの政宗くんなのかを答えなさい」
いや、あんた僕だって分かっているんじゃねぇか。でも今は扉越しに聞こえる冗談に付き合っている暇はない。
「姫島政宗です。今、野々山はそこにいますか?」
扉が開き、いつものように浴衣姿の可憐さんが首を傾げて出てきた。
「おかしなことを言うのね。野々山可憐ならあなたの目の前にいるじゃない」
「秋葉は、学園に行ったんですね?」
「あら、珍しく余裕がないのね。秋葉を呼び捨てにしたのは初めてじゃない?」
そんなことはどうだっていい。今、僕が訊きたいのは野々山がここにいるかいないかなのだ。
「やだなぁ、そんな怖い顔しないでよ。からかって悪かったわ。秋葉ならいつもの時間に家を出て行ったわよ」
ちくしょう、やっぱりか。ある程度予想は出来ていた。野々山は可憐さんの前では素直な良い子でいようとするからな。まぁ、実際に素直で良い子なんだけどさ。本当は友達が一人もできなかったことを可憐さんに見破られていたのに隠し続けていたくらい、嘘が苦手な小心者なのだから。
今日だって顔を見られたら仮病がバレてしまうからとりあえず家を出たのだろう。
……まったく、本当にバカだよ、お前は。
僕が嘘つきだってことさえ初日に見破った可憐さんを相手に、お前みたいな正直者の隠し事が通用するはずがないだろう? こんな大切な日にどこで何をしているんだよ。
踵を返した僕の背中に可憐さんは独り言のように呟いた。
「……政宗くん、ありがとね」
返事はしなかった。その一言にどんな意味が込められているのか分かるから。
今までありがとう?
いや、違う。これから僕が野々山を迎えに行って、ちゃんと背中を押してくれると信じてくれているからこそ、可憐さんはこの言葉を選んだのだ。
だったら、あの大バカ野郎を救い出してやろうじゃないか。
野々山が登校のフリをしたことは分かったけれど、あいつが立ち寄りそうな場所の目処がまったく立たない。
無口だし友達だって僕と釘宮しかいない。あれだけ毎日べったりくっつかれていたはずなのに、彼女の行動パターンを読めない僕は野々山のことを理解したつもりになっていただけで、本当は何ひとつ分かっていなかったことを思い知る。
最終目的地を学園に設定して、校門で門前払いを受けないように一度、帰宅して制服に着替えてから玄関に下りると、ちょうど母さんが買い物から帰ってきた。
「あら、お出かけ? あなた謹慎処分中だってことを忘れてない?」
先日の喧嘩騒動で僕が不良だったことを知った母さんの表情は硬い。あの日から家族とは上手くいかなくて、妹にさえ距離を置かれている気がする。でも悲観している暇はないし、自業自得だろうと自身に言い聞かせて僕はまた家族に嘘を吐く。
「前の騒動でバタバタしていたから、教室に教科書を忘れたんだ。こうして遅れている分を予習しておきたいから取りに行くんだよ」
「……そうなの」
素っ気ない返事だった。僕がこれまで家族に吐いてきた嘘を考えれば当然だけど、また嘘を重ねている自分に嫌気がさす。今までなら、この程度の嘘では微塵も罪悪感を覚えることなんてなかったのに、僕はあの正直者に出会ってから牙を抜かれてしまったようだ。
扉に手をかけたとき、背後で小さな溜息が漏れた。
「秋葉ちゃんのこと、大切にしなさいよ」
「……分かってるよ」
どいつもこいつもお見通しってことかよ。僕は嘘を吐くのが下手になってしまったようだ。恨むぜ、野々山。
こうしてドラマチックな展開は始まったわけだけど……この物語は物語になってくれないんだよな。もうまさにお約束っていうか、マジで萎えるよ。
公園、コンビニ、漫画喫茶など思い付く限りの場所を巡って、腕時計の時刻が九時を回ってタイムアップかと諦めかけたとき、釘宮から野々山が登校してきたことを知らせる通知が届いた。こういうときって主人公がヒロインを見つけ出すものじゃねぇのかよ。
散々捜し回った挙句に野々山が普通に遅刻登校してしまったら、僕は無駄に汗をかいただけの痛い男じゃないか。このまま大人しく帰るのも何だか悔しい気がして、僕は母さんに話した通りに教科書を回収しに学園へ向かった。
いつもならこの時間は黒板に向かって授業を受けているはずなのに、教室には誰もいない。きっと今頃、体育館では立候補者が最後の演説をしているだろう。
少しだけ覗いていきたいけれど、問題児を野放しにするほど学園も優しくはない。
僕の後ろには『鬼の生徒指導』と名高い如月渚先生がぴったりついて歩いているのだ。先日の騒動を秒殺で解決した豪傑。あれは確かに鬼のような強さだった。
いつもの上下赤いジャージを着ていて背が高く、スレンダーな体格で長い黒髪はポニーテールにまとめている。右手に握られた竹刀さえなければ、男なら誰でも放っておかない美人なんだけど、騙されてはいけない。残念なことに彼女は鬼なのだ。
渚先生に指導を受けた不良はどんな悪党でも一週間で更生してしまうという伝説まであるくらい。……厄介な人に目を付けられてしまった。
「そういえば姫島、私は貴様に訊かねばならんことがあった。野々山と同棲していたという噂は本当なのか?」
硬い口調は彼女のデフォルト。何か一人称を拙者とか言い出しそうではあるけど、そこは普通なのが中途半端だ。でも、今その話をしますか?
「もう分かっていらっしゃるんでしょう? 仮にそうだとしたらどうするおつもり――」
「成敗する」
即答だった。むしろ最後まで言わせてくれなかったところに容赦のなさを感じる。
「で、どうなのだ? 私は貴様の口から真実が聞きたい。先に言っておくが、少しでも嘘があれば私はすぐに見破るからな」
彼女に嘘は通用しない。そんなことはこの学園に所属している者なら誰もが知っていることだ。それに加えてもしかして過去にどこかの軍隊で拷問官でもしていたのではないかと思うくらい、彼女の尋問は恐ろしい。これは先日、身を持って知った。
だから嘘つきの僕はできる限り彼女との接触を避けて過ごしてきたのになぁ。
「結果的には同棲になるかもしれませんが、試験勉強のために泊まり込みで勉強を教えていただけですよ。野々山の順位を見れば明らかです」
「ふむ、間違いはなかっただろうな?」
顔を寄せられて瞳の奥を覗き込まれる。間違いというのは性行為があったかどうかということだろう。
「もちろんありません。同じクラスの釘宮も一緒に参加していましたから、確認したければご自由にどうぞ」
「ああ、そのことも知っているぞ。聞いた話によると、釘宮は貴様に気があるそうじゃないか。野々山が貴様に好意を持っているのではないかという情報も耳にしている。よもや貴様、さ、さん、さんぴ……」
見る見るうちに赤くなっていく渚先生はちょっと可愛く見えた。
「健全な男子生徒の前で卑猥な妄想をしないでください! 何もありませんから」
わざとらしい咳払いをして、そうかと頷いた渚先生は一歩前に出る。
「ならいいのだ。まぁ、先日の騒動で貴様の正体を暴くことが出来ただけでも私は満足しているからな。以前から貴様はどこか怪しいと睨んでいたのだよ」
「マジですか」
「だが、本当に嬉しかったのは貴様がただのろくでなしではなく、女のために戦うことが出来る漢だったということだ。しばらく様子を見ていて正解だった」
「見ていたのなら早く助けてくださいよ! やたら到着が遅いとは思ってましたよ!」
教科書を回収して廊下を歩いていると、前を歩いていた渚先生が不意に立ち止まった。
「なぁ、姫島。そろそろ腹の探り合いはやめにしよう。貴様がここに来たのは教科書を回収するためだけではないのだろう?」
鋭い視線が突き刺さる。やっぱりバレてましたか。やれやれと肩を竦ませて、僕は本題を話すことにした。
「お察しの通り、参謀を降りたとはいえ野々山のことが気になるのは確かです。ここに来たのも野々山の演説を少しでも見られたらという下心がありました。といっても、こっそり覗くつもりがこうしてバレてしまったわけですが」
「ふむ、嘘は吐いていないようだな。正直でよろしい! ついて来い」
「え、良いんですか?」
「もし貴様がそんなつもりはないと嘘を吐いていたら問答無用で叩き出してやったさ。まぁ、私は個人的に貴様という男が気に入ったのだ」
それ以上は訊くなと付け足して、僕はあっさり体育館へ案内された。中からは凛とした声が響いてきて、桜庭の演説中なのだとすぐに分かった。




