拡散する誤解
翌朝、目覚まし時計のアラーム音に起こされたわけではなく、僕は目を覚ます。
もう言わなくても分かるよな。起きたんだよ、また事件が。
両腕には柔らかい素肌の感触。すぐ耳元で聴こえる無邪気な寝息。目の前は暗闇。そういえば目隠しをしたまま就寝したんだっけ。そして僕の唇を塞ぐ柔らかい感触。っていうか、吸うなよ。
「ちゅー」
「……もい(おい)」
明らかな故意(悪意ともいう)によって奪われた二度目の接吻。結局、昨夜も遅くまで眠れなかった(シングルベッドで半裸の美少女二人に抱かれていた)せいで、思考が追いつかないけれど、何とかそれ(恐らく釘宮)を押し退ける。
「ふふふ、おはようのチューはいただきました! 明日はママの純潔をいただきます!」
「今夜からお前は部屋の隅に縛り付けて寝ることにするよ」
「いやん、放置プレイ?」
早朝から殺意が湧いた。もうキスに価値を見出せなくなってきたよ……。
「……ん」
どうやら野々山も目が覚めたようだ。といっても、目隠しをしているから分からないけど。
「ふふふ、遅いお目覚めね。今日のおはようのチューはあたしがいただいたわ!」
「…………ッ?!」
野々山の呼吸が乱れた音がする。視界を塞がれると他の感覚が鋭くなるって言うけど、案外間違いではないようだとどうでもいいことを考えていると。
「……あなたとはいつか決着をつけないといけないみたいね。……私を本気で怒らせたことを後悔させてあげるわ」
久々に饒舌なクールビューティーモードになる野々山。これはマジで彼女の逆鱗に触れたようだけど、どうしてこいつ怒ってんの?
「ふん、上等! あたしよりちょっとおっぱいが大きいからって調子に乗らないでよね! 女は胸の大きさじゃなくてテクニックなのだぁ!」
お前がテクニシャンとは知らなかったよ。両サイドから放たれる殺気を感じながら、僕は小さく嘆息する。
「……胸があるのとないのでは技のバリエーションが違うのよ。……私にしかできないこともある。……貧乳は大人しく牛乳でも飲んでなさい」
「かっちーん。この世で一番言ってはいけないことを口にしたわね! 貧乳を敵に回すとどれだけ恐ろしいか、教えてあげようか! 形ならあたしの方が上なんだからねっ!」
「……私も形には自信があるわ。……もちろん触り心地もね」
確かに二人とも良い感触ですよ。朝から男子を挟んでする会話じゃないけどね。
みんな、これはおっぱいの話だよー。
でも、野々山の口からこういう話が出るとは思わなかった。だって、思考が幼児的っていうか、純真無垢な印象があったし、キスだけであんなに狼狽するような女の子だぞ? 大人の会話にはまったくついていけないと思っていたけれど、野々山も年相応の女子高生なんだよな。そういうことを知らない歳ではないんだって改めて思い知らされたよ。
だから僕はあえて言ってやる。
「野々山からそういう話題が出るとは思わなかったよ」
「…………うきゅぅ」
見なくても赤くなったのが分かるのは、この短期間で野々山をそれなりに理解できたからだと思いたい。
「それより二人とも、何でも良いから服を着てくれ。じゃないと僕が迂闊に動けない」
「「……あ」」
二人が同時に声をあげる。何かを見つけたようだ。
「……政宗のえっち」
「いやいや、これは男子の生理現象なんでしょ? 確かあさだ――」
「二人とも離れろ! 今すぐ僕から離れて今見たものは忘れてくれ!」
仕方ないだろう? 一晩中、半裸の美少女たちに挟まれて寝たんだぞ。そりゃムスコだって反応するさ。
「……チキンじゃない」
「ママも立派な男ってことよ。仕方ないからあたしが一発抜いてあげるかー」
「マジで勘弁してくれ!」
最悪だ。クラスメイトに、しかも女友達に男の朝の生理現象を目撃されて、さらに慈悲をかけられたのだから。泣きたくなった。今すぐ窓を開けて飛び降りたい!
正直、今の僕が他の男から見れば羨ましい環境にいるのは理解しているつもりだ。美少女二人とひとつ屋根の下で同棲生活をしていて、思いあがりじゃなければそのうちの一人は僕に好意を抱いてくれている。
恵まれ過ぎているよな。それを不幸だと言うことがどれだけ愚かなことかもよく分かっているつもりだ。でも、この十七年間で育んだ警戒心は、そう簡単には払拭出来るものじゃない。我が儘を言っていることも承知の上で、もう少しだけこの物語に付き合っていただきたい。
僕が絶対にこの物語をハッピーエンドで終わらせてやるからさ。って、僕らしくもないことを言ってしまった。野々山と関わったことで考え方が変わったという自覚はある。あの日、屋上から飛び降りて人間らしくなったのは野々山だけじゃないのかもしれない。
昔の僕は、常に合理的であるように思考して無駄を省いて行動していたのだから。あの頃の僕はまるで精密機械だったと思う。
野々山が人形みたいだったように、僕も感情がないロボットのような生き方をしていたのだ。初対面で野々山のことがあんなに気になったのも、苦手なタイプだと思ったのも、同族嫌悪だったと考えれば納得がいく。僕らはあの日、一緒に飛び降りて、きっと人間に生まれ変わったんだろう。
「二人とも、着替えたか?」
「……ん」
「ばっちりだよ」
さぁ、目隠し回想タイムは終了だ。物語を続けようか。
一晩中、世話になった目隠しを外すときがきた。
今度はちゃんと着替えてくれてたようで一安心。これで目隠しを外したらまだ裸でしたなんてオチがあったら、僕の理性は完全に崩壊していただろう。
「それで、僕も着替えたいんだけど」
「……ん」
「どうぞ、お気になさらず」
いや、気になるから。野々山、昨日は大人しく部屋から出て行ったじゃないか! どうしてお前まで裏切るかなぁ。
「出て行かないと二人ともこの家から追い出すからな」
渋々といった様子で出て行く二人。そんなに男子の着替えに興味があるのだろうか?
でも、元気にいきり立つムスコを制御できない今、彼女たちの前で服を脱ぐのは自殺行為だ。
「もーいーかい?」
「まーだだよ」
急かすなよ。出て行ってからまだ五秒も経ってないじゃねぇか。そんな早着替えが出来るのはギネスブックに載ったあのお笑い芸人くらいだから。
「……もーいーかい?」
「まーだだよ」
野々山、お前も急かすのかよ。扉の向こうには鬼婆でも迫っているのだろうか?
あのお伽噺に登場する和尚さまには同情するぜ。何せ彼は大便の最中、急かされ続けたのだから。
「もーいーかい?」
「もーいーよって、今訊きながら開けやがったな?!」
「ちっ、遅かったか」
恐ろしい女の子たちだ。
そして今朝も試験対策の勉強会が始まる。今日は日本史のおさらいだ。日本史は僕が個人的に一番好きな教科だから、落ちかけていたテンションも自然に上がる。いつもより饒舌に日本の歴史を語り、朝の勉強会はあっという間に終わってしまった。ああ、まだ語り足りないのに。
朝食を賑やかにいただいて、いざ学園へ。
校門を潜ると、昨日までとは違う視線が僕らに集中した。
まぁ、予想はしていたけどね。
「どうなっているんだ?」
「姫島くんって釘宮さんと別れて野々山さんとくっついたんじゃなかったの?」
「もしかして二股?」
「私、一番じゃなくていいから付き合って! みたいな?」
「どんだけおいしいんだよ、それ」
「じゃあ、私にもまだチャンスがあるのかなぁ?」
「姫島殺す、殺す、殺す、殺す、コロス、コロス、コロスコロスコロスコロス……」
最後の奴、怖ぇよ! お前、僕のクラスメイトだろ! 聞いたことある声だったぞ。
「あたし、愛人みたいだよ。本当になってみる?」
どうしてお前はバカにされているのに上機嫌なんですか? それに、いつの間にか僕は野々山と付き合っていることになっているみたいだ。たぶんソースは軽音部。
「……本妻は私」
いつからだよ。
「じゃあ、側妻で我慢してやるかぁ」
この国ではもう一夫多妻制は終わったんだよ。今朝、勉強した日本史の時代ならともかく、今それをしたら僕は刑務所でお世話にならないといけなくなる。
「周りが何と言おうと関係ないだろ? 僕らは友達なんだからさ」
「今はね」
「……未来は誰にも分からない」
不安になるようなことを言うなよ。せっかく良いことを言ったのに台無しじゃねぇか。
教室に入ると、さらに視線は集中する。昨日までとは比べものにならない驚きようだ。
「おはよう志穂、ちょっといい?」
早速、友人に呼ばれる釘宮。きっと僕らのことを訊かれているのだろう。昨日までは僕と野々山だけだったから、みんな声をかけ辛かっただろうけど、釘宮はみんなに愛される我がクラスのマスコットキャラクター的存在だからな。
「え、別に何でもないよぉ。あたしとママが仲良しなのは前から変わらないじゃん。……まぁ、それはあるけど、ママと野々山さんが仲良くなっただけで、あたしがママと仲悪くなる理由にはならないし」
盗み聞きするつもりではなかったけど、釘宮が声量を抑えないので大体の内容が分かった。
今日は野々山のイメージアップのために何をしようか考えながら、いつものように袖を抓まれたままホームルームが始まる。さすがに三日目ともなると、クラスメイトや担任も袖を抓んだままでいることに口を挟まない。
ちなみに僕がトイレに行くときは男子トイレの前で大人しく待機している。さすがにトイレの中まで乱入するような非常識ではないようだけど、男子トイレの前で男子を待っているのはどうかと思う。
でも、授業を真面目に受けている姿は彼女の成長したところだろう。未だにノートの余白には『まさむねくん』の屍が量産されているのはどうかと思うけど。
授業が終わる度に理解できなかったところを訊きにくる二人のやる気は認めてやりたいけど、教師を仕事にしている人の解説で理解出来ないものを僕がどうやって教えてやればいいのだろう? 他人に教えるには内容を三倍理解していないといけないって言うくらいだし、僕の苦行もしばらく続きそうだ。




