何でも見透かしているお姉さんたち
「あれか?」
「……ん」
自転車を塀に寄せて停めている間に、先に降りた野々山がインターホンを押していた。初めて出会った日は自分でインターホンを押せなかったあの子が、こんなにも成長して……と涙ながらに感動したのはもちろん嘘だ。
『はい、どちら様でしょうか?』
「……釘宮志穂さんのクラスメイトの野々山です。……彼女にプリントを届けに参りました」
『あら、わざわざありがとね。今、開けますから』
今の声は釘宮の母親だろうか? すぐに玄関の扉が開き、中から綺麗な女性が笑顔で迎えてくれた。
「えっと、僕も彼女のクラスメイトで姫島政宗と申します」
「あら、あなたが例の姫島くんなのね! 初めまして、私は志穂の姉の早苗です。ちなみにまだ独身です」
例のって何ですか? っていうか、わざわざ独身を告白する必要があったのだろうか。
「あ、野々山さんってもしかして可憐の妹さん?」
「……ん」
「やっぱり! 似ていると思ったのよね!」
「可憐さんとお知り合いなんですか?」
「ええ、親友よ。幼稚園から大学までずっと一緒だったの。ミスコンでは毎回、僅差で負けちゃったけれど、可憐は美人だから仕方ないよねー。これでも三年連続準ミスなのよ」
よく喋る人だ。そういえば、可憐さんもよく喋る人だったな。
それにしても皮肉なものだ。姉同士はとても仲良しなのに妹たちは現在、いがみ合っているのだから。その原因になった僕が言えることじゃないんだけど、やっぱりちょっと悲しいよな。
「どうぞ、あがって。志穂、お友達がお見舞いに来てくれたわよー」
玄関に入ると、早苗さんは二階にある釘宮の部屋へ案内してくれた。ノックしても返事がないので、早苗さんは勝手に扉を開ける。おいおい、いいのかよ。
「ちょっ、どうして勝手に入って来るの?!」
パジャマ姿の釘宮はベッドの上で抗議したが、すぐに僕らに気が付いて気まずそうに背中を向けて布団に潜ってしまう。
「じゃあ、お茶いれてくるわね」
早苗さんが退室してしまい、部屋には重い沈黙が訪れる。釘宮は芋虫みたいに頑なに背中を向けたまま黙っているし、野々山は相変わらず無表情で僕の袖を抓んで黙っている。
何となく部屋に視線を泳がせると、ピンクを基調にしたレイアウトで、カーテンや絨毯はもちろん、布団や壁紙にも気を配っているようで、衣装箪笥の上には賞状やトロフィーがずらりと並んでいた。そういえばこいつって昔、有名な選手だったんだっけ。今でもそうだけど。
でも、少しだけ違和感を覚えた。だって普通なら優勝記念に仲間と集合写真とか撮るだろう?
彼女の部屋には記念写真どころか、写真立てひとつ見当たらないのだ。まるで自分の過去を見ないようにしているみたいに。
それともうひとつ、これだけは見逃せなかった。
お前が寝ている布団からはみ出している抱き枕、何かプリントされているよな?
それってもしかして僕の等身大プリントじゃないのか?
自意識過剰だと思われたくないから口にはしないけれど、さっきからプリントされた男の子の右目と視線が合って気まずいんだよ。どう見ても今朝、鏡で見た僕と目元がそっくりに見えてしまうのは気のせいだよな?
「釘宮、お前に話したいことがあるんだ」
「聞きたくない」
取り付く島もない。でも、ここで退くわけにはいかない。
「あのな、釘宮」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
お前がうるせぇよ! とりあえず話を聞けよ。
「誤解をしているみたいだけど、僕と野々山は付き合っているわけじゃない」
「嘘だッ……!」
「いや、マジだ」
「でも、同棲しているんでしょ? 親公認なんでしょ? チューもアレもしちゃったんでしょ?!」
アレって何だよ。矢継ぎ早に紡ぎ出される攻撃的な口撃にひとつずつ答える。
「野々山は僕に勉強を教わるために泊まりに来ているだけだ。泊まることを親は公認している。キスはただの事故だし、それ以上の関係もない。僕らはあくまで友達であって、恋人じゃないからな」
「そんなの信じられるわけがないじゃん! あたしなんてママのアドレスも家も知らないんだよ?! どうして野々山さんの方がママのこと詳しくて親しげなのよ?!」
知るかよ、こいつが強引過ぎるだけだ。
そこに扉をノックされて早苗さんが戻ってきた。ティーセットを部屋の中央にあるテーブルに広げて、気まずそうな僕らを見ると、空気を読まずに言いやがった。
「あら、修羅場? なになに、秋葉ちゃんも姫島くんのことが好きで、昼ドラみたいに奪い合いになってるの? ちょっとお姉ちゃんにも聞かせてよ」
「お姉ちゃんには関係ないでしょ! 出てって! もうみんな出てってよ!」
「あら、また逃げるの?」
「……ッ?! に、逃げてないもん!」
「逃げているわよ。だって姫島くんは志穂の誤解を解くために来てくれたのよ。どうでもいいって思っている子にそんなことをするはずないでしょう? 大切に思ってくれているから、仲直りしたいから来てくれたのよ。それにちゃんと向き合わないのは逃げているのと同じよ」
全部聞いていたんですね。まるでここに可憐さんがいるみたいに見透かされていた。
「じゃあ、ママはどうして野々山さんのためにそこまでするの?」
「友達だからかな」
友達だから、こいつのことをよく知りもしない奴らが悪い噂をしているのが堪えられない。こいつが辛い思いをしていたことを知ってしまったから放っておけない。敵しかいなくて、笑顔の作り方さえ忘れてしまった野々山をただ守りたくて、それだけなんだ。
だから、同じように苦しんでいる今の釘宮も放っておくことが出来なかった。釘宮、お前も僕にとってはもうかけがえのない友達なんだよ。
「納得いかない」
駄々をこねる子どもみたいに釘宮はこちらに背を向ける。スリムな太股に挟まれた抱き枕が窮屈そうにこちらを見ている気がした。
「野々山さんばかり贔屓されてつまんない」
ガキかよ! じゃあ、どうすればお前は納得するんだよ。
「勉強を教えるのだってそうじゃん。あたしだって成績悪いもん。野々山さんだけお泊りしてずるいよ!」
頭が悪いことをこんなに胸を張って主張できるバカが世の中にいることを僕は初めて知った。ある意味尊敬するよ、お前。
「……釘宮志穂」
この部屋に来てからずっと隣で静観していた野々山がついに口を開いた。突然、名前を呼ばれた釘宮は驚いた表情でこちらに振り返る。
「……それは私も不公平だと思う。……だから、あなたも政宗の家に来ればいい。……そうすれば勉強もできるし一石二鳥」
「おい、無茶言うなよ」
マジでさ、どうしてお前はいつも当人の意見を無視して勝手に決めようとするかな。うちはそこまで裕福な家庭じゃないっつうの。それに、部屋に空きがないからお前は僕の部屋でたらこに変身しているんじゃねぇか。ちょっとは考えて発言しやがれ。
「それだ! あたしもママの家に泊まる!」
「……ん」
ん、じゃねぇよ! そして釘宮も乗るな。
「面白いことになってきたわね(ダメよ、志穂。姫島くんが困っているじゃない)」
「早苗さん、本音と建前が入れ替わって出ちゃってますよ」
「それであたしもママと一緒に寝る!」
「……むぅ、政宗と寝るのは私の特権」
いつからだよ。特権じゃなくて特例として昨日限定で認めただけだからな。
「異議あり! 公平にするならあたしもママと寝るべきだよ! だからあたしはママとチューもするのだ!」
「…………めっ!」
「なんでさ?!」
「おいおい、僕を置いて勝手に話を進めるなよ」
「とにかく! あたしは今日からママの家に泊まるから!」
「しかも今日からかよ?! まだ許可した覚えはないぞ!」
「いいじゃない。志穂もそれで納得出来れば二人を邪険にすることはないでしょう? 姫島くんへの誤解を解くためには、一緒に生活をして二人を理解してもらうのが一番早いと思うのよ。それにその方が面白いし」
半分以上が建前で、最後の一文が紛れもない本音だろう。他人事だと思って好き勝手言いやがるぜ。