妙に理解が良い姫島家の女たち
さて、途中から完全に思考を放棄した僕はやっと自室に戻って来た。今すぐベッドに飛び込んで悶絶したい。っていうか、恥ずかしすぎて今にも悶死してしまいそうだ。歳をとったとか関係ないところでかなり寿命が縮んだ気がする。
「で、どうしてお前は当然のように僕の部屋に布団を敷いてやがりますか?」
「……お義母さんには許可をもらっている」
おい、いつお前は姫島家に嫁いだ? 雰囲気に流されてんじゃねぇ!
しかも、わざわざ布団を敷いたのに、どうして僕のベッドで横になりやがりますか。ああ、ゴロゴロするなよ! シーツが乱れるだろうが!
「おいこら、僕のベッドで何をしてる?」
「……マーキング?」
疑問形なのが妙に腹立たしい。お前は動物かよ。
「お前が持ってきた寝袋は必要なかったな。そもそも、どうしてお泊りに寝袋持参してんだよ。お前はアレですか? 枕が変わると眠れない繊細な少女だったんですか? っていうか、寝袋は野宿用の寝具だからな」
「……むぅ、使うもん」
否定されてへそを曲げやがった。もぞもぞと寝袋に入り、転がりながら布団に入る姿はとてもシュールだ。この上からさらに布団を被るのか? 絶対に寝苦しいぞ、それは。
とりあえず面白いので野々山をしばらく足で転がして遊んでみた。
「……んむぅ」
視線で抗議するなよ。
「お前、こうして見るとキュー○ーマヨネーズのたらこマスコットに似ているな」
「……たーらこー、たーらこー、たーっぷりたーらこー♪」
歌うな。マジで吹き出しそうになったじゃねぇか。
「それじゃ、今日は早めに寝るか」
「……ん」
「おい、どうしてベッドに上がってくる?」
たらこの格好でどうやって上がって来やがった? 想像したくもないけど。
「……寝ていたら政宗が眠るベッドの下に斧を持った男がいるのを目撃しちゃうのが怖いから」
「そんな奴が下にいたら僕の方が怖いよ!」
不吉な都市伝説を寝る前に言うなよ。っていうか、もしそんな斧男がいたらベッドに上がったところで問題は解決しないだろう。
「……だからこっちで寝る」
「分かったよ。じゃあ僕が下の布団で寝れば良いんだな?」
「…………(ギュッ)」
おい、たらこ。どこから手を出して袖を抓んでいるんだ? その寝袋、謎が多すぎるだろ。
「……政宗が下で寝たら私が斧男の餌食になる」
「つまり、お前は怖いから一緒に寝てほしいと?」
「…………うきゅぅ」
「仕方ないな。今日だけだぞ」
「……政宗」
「なんだよ?」
「……ありがと」
「……おう」
この「ありがとう」は一緒に寝てあげることに対するものじゃない。きっと、色々な意味がある。
「もう寝るぞ。明日は早起きして基礎を叩き込むからな」
「……ん、おやすみ」
誰かと同じ布団で寝るのはいつ以来だろうか? 確か僕が小学生の頃、怖い話の特番を見た夜に妹が怖くなったと布団に潜り込んできたことがあったっけ? しかも、深夜におねしょをしやがって、その温もりで目を覚ました記憶がある。……過去の黒歴史だ。
あの後、妹のために僕がシーツとパジャマを洗ってあげたから、母さんたちは知らないんだろうな。その恩義を忘れて僕に冷たい態度をとる妹ってどうなのよ?
まぁ、あの頃は妹も幼かったから記憶にないのかもしれないけどさ。それに今さらそんな昔話を掘り返すのは野暮ってもんだ。もう寝よう。
明日は学園で野々山のイメージアップを試みないといけないけれど、僕みたいな嘘つき優等生が一日で不良になれたのだ。人生、何が起きるか分からないものだよな。
うん、しつこくてごめん。早く寝ろよって感じだよな。まだプロローグから二日しか経っていないくらい進行遅いし。でもさ、幼かったあの頃とは違って、今はそれなりに大人の男に成長したわけで、そんな僕が同い年の美少女とひとつの布団の中にいるんだぜ?
意識するなっていう方が無理だろう。決して野々山相手に興奮したり、欲情したわけじゃないけれど、首筋にかかる彼女の吐息とかさ。気になるんだよ。後ろにぴったりひっついて離れないし。
何度も後ろにいるのはただのたらこだと自身に言い聞かせてはいるんだけど、なかなか眠れないものだな。僕も一丁前に男ってわけだ。
というわけで、明日から学園でどのようなイメージアップをしていくのかを具体的に考えることにした。
この日、僕が眠りについたのは日付が変わり、深夜三時を過ぎた頃だった。
翌朝、五時に僕は目を覚ました。昨日に引き続き、自然に起きたとはとても言い難い目覚め方だった。
「のおおおおおおおおおおおああぁッ?!」
思わず奇声をあげてしまったけれど、飛び起きるには至らなかった。というより、僕にはそれができなかった。
詳しく説明しよう。現在、僕は野々山にがっちりホールド(たらこ姿のままで)されていて、首筋に吸い付かれている。これではたらこというより蛭だよな。
静かに寝息をたてながら僕に吸い付き続ける野々山は、ちゅるちゅると効果音をたてながら起きる気配がまるでない。これぞまさしくサイレントヒル……って何を言っているんだ、僕は。
「いい加減に起きろ」
無理やり押し剥がそうとして、手が柔らかいものに触れた。
「…………あんっ」
艶かしい声を出さないでくれ。姉妹揃って同じ反応かよ。寝袋ではどこを触ったのかもよく分からないんだから。どうにか押し剥がすことには成功したけれど、寝ぼけた野々山は再び僕に襲いかかってくる。一体、どんな夢を見ているのだろうか。
「…………かぷっ」
吸い付かれて思考が止まる。だって、そこはお前。
「…………んちゅー」
「あばばばばばばッ?!」
奪われた。別に大切にしていたわけでもない僕のファーストキスが見事に散った。
「お兄ぃ、すごい声が聞こえたけど大丈夫かッ?!」
僕の悲鳴を聞いて駆けつけてくれた優しい妹は、扉を開けたまま硬直する。一番見られたくない瞬間をまたしても妹に目撃されてしまった。
「ご馳走さまでしたぁッ!」
深々と頭を下げた妹は静かに扉を閉めた。いや、助けてくれよ。扉の向こうでは後から来た母さんの声がする。
「え、このみ? 何があったの?」
「お母さん、今は最中だから邪魔しちゃダメだぜ。初孫が見られる日も案外、近いかもしれないぜ。あー、この歳であたいも叔母さんになるのか」
待て、とんでもない誤解をされている。ああっ、二人の足音が遠ざかって行く!
「…………ッ?!」
そこでようやく目を覚ました野々山は目を丸くして飛び退いた。出来ることなら妹に目撃される前に目を覚ましてほしかったよ。
声にならない声をあげながらベッドの上をのたうち回った野々山はしばらくしてぴたりと動きを止めると、故障したようにたらこの頭部にあたる部分からふしゅーと湯気が出ていた。
おかげさまで僕の黒歴史は絶賛更新中ですよ。
「……初めてだったのに」
「それは僕の台詞だ」
むしろ被害者は僕なんだけど。
「とりあえず顔を洗おうぜ。その後すぐに勉強開始だからな」
夜に勉強をするよりも朝にした方が効率的に覚えられるからね。階段を下りると、母さんたちがリビングで寛いでいた。
「あら、早いのね」
何だろう、この余所余所しい感じは。絶対に誤解されているよな。さっきから二人とも目を合わせてくれないし。
「このみ、さっきのアレは誤解なんだ。あれは野々山が寝ぼけてしたことであって、決して合意の上でしたことじゃない。つまり、事故だったんだ」
「いいんだ、皆まで言うな。あたいだってお兄ぃたちが何をしていたか理解できない歳じゃないんだぜ。赤ん坊を運んでくるコウノトリは実在しないってことくらい知ってるさ」
「大丈夫、お母さんたちはあなたたちの関係を悪く思ったりしないから。もう高校生だもの。そういうことを求め合う気持ちは分かるわ。でも、自立するまではちゃんと避妊するのよ」
ダメだ、こいつらまるで話を聞いてねぇ。
「だから何もしてないって! 寝ぼけてキスされただけだよ! なぁ、野々山?」
「…………うきゅぅ」
赤くなっている場合じゃねぇよ! 自分の立場を守るためにお前も少しは釈明しろよ! このままだと学園でも家庭でも誤解されたままになってしまう。
「秋葉ちゃんみたいな可愛くて素直な子ならうちも大歓迎よ。今日から私たちのことを家族だと思ってちょうだい」
「あたいも姉御ならお姉ちゃんにしてやってもいいぜ。冴えない奴だけど、お兄ぃのことをよろしく頼むよ」
おい、誰が冴えないだって? 僕だってこう見えてやるときゃやるんだぜ!
「……あぅ、ふつつつか者ですがよろしくお願いします」
よろしくすんなよ! 動揺しすぎて「つ」がひとつ多いんだよ!
こうして不本意ではあるけれど、野々山は我が家に打ち解けることが出来た。洗顔してバナナと牛乳をもらい、再び自室に戻ってたっぷりと勉強をしてから、朝食を食べて僕らは家を出た。
でも下ネタから始まった朝にバナナと牛乳ってどうなのよ。いや、深くは言わないけどさ。
一年生の復習は自宅で出来るので、学園では学園でしか出来ないことを優先しようということで僕らは野々山のイメージアップに力を入れることにした。昨晩、練りに練った作戦の出番だ。