サプライズがすべて嬉しいものとは限らない
というわけで、男子のシャワーシーンなんて誰も望んでいないだろうから四十分後へ早送り。僕の部屋には中央に用意したテーブルの上に去年のノートを広げた二人がいる。
「まずはどの教科から始めようか?」
「……保健体育」
「保健体育の試験なんてねぇよ! どんだけ下ネタを引っ張るつもりだ!」
現実逃避もいい加減にしやがれ! そして僕のベッドの下から見つけた愛の参考書をどうか早急に片付けてください。これはマジでお願いします!
こんな状況にもし母さんが入って来たら絶対に誤解されてしまう。あなたたち、何の勉強をしているの? って言われちゃうから!
「五教科の中で野々山の苦手なものは? それから始めよう」
五教科といっても、国語は現国と古文、社会は日本史と世界史があるのだけど。ちなみに今さらだけど僕らは文系で進級している。
「……国語と数学と社会と理科と英語」
全部じゃねぇか。
このままでは手詰まりだ。考えても仕方ないので、僕の得意な数学から手をつけることにした。数学が得意なのにどうして理系に行かなかったのかは、理系の人が気に入らなかっただけだ。まぁ、僕もどちらかといえば論理的な性格なんだけどね。
「だからこの問いではまずこの公式を代入して、こっちにはこの公式を……おい、ちゃんとついてきてるか?」
「…………うきゅぅ」
ダメだ、頭から湯気が出ていやがる。
数学って基礎的な公式さえ覚えてしまえばあとはそれを状況に応じて当てはめていくだけだから、一番簡単な教科のはずなんだけどなぁ。僕的にはパズル感覚で楽しめる教科だと思うわけなんだが。
少なくともひとつひとつの単語の意味を覚えて、文法の組み立て方次第で意味が変わってしまう英語よりは遥かに覚えやすいと思うんだけど。
「すまない、お前のペースに合わせるから戻って来い。どこが分からない?」
「……分からないところが分からない」
根本的にアウトじゃねぇか。
でも妥協するわけにはいかない。出来の悪い生徒を持った教師ってこんな気分なんだろうな。教育者ってのは凄い人たちだよ。
「じゃあまずは公式の意味を理解するところから始めようか」
これは長い戦いになりそうだ。
ドンドンと扉を豪快にノックされて、僕らはノートから視線を上げる。
「お兄ぃ、姉御、夕飯ができたぜ!」
いつの間に野々山はこのみに姉御と慕われるようになったのだろう? 僕が風呂に入っている間に何があったんだ?
「分かった。今、下りるよ」
僕の部屋は二階にある。いつものように袖を抓まれて僕らはリビングへ向かった。
我が家は野々山家と同じで家族みんな(父さんは不在だけど)が揃ってから食事をするという家訓がある。食卓にはいつもより豪勢な食材が並び、本当に赤飯を炊きやがった母さんを少しだけ恨む。
姫島家には食卓に定位置がないので、席は空いているところに座っていい。ちなみに妹は母さんの隣を定位置にしているので、当然空いている席は僕の隣しかない。野々山は僕の袖を抓んだまま隣の席に腰をかける。
「いただきます」
僕と母さんの挨拶の後にみんなが手を合わせて箸をとる。でも、赤飯にタンドリーチキンはどうかと思うぞ、母さん。しかも、八宝菜と麻婆豆腐があることから考えると、野々山の趣向が分からなかったから、何でも作ってみたというやっつけ感が拭えない。和洋中と世界を跨いだ夕食はこうして始まった。
「秋葉ちゃん、遠慮しないで食べてね。残った分は政宗が全部食べてくれるから」
それは無茶振りだろ。ここはスタイル良いくせによく食べる妹に期待しようぜ。
「……ん、美味しい」
「姉御、この麻婆豆腐も美味しいぜ!」
妹が取り皿に麻婆豆腐をよそって野々山に渡す。こういうところは面倒見が良いんだよな、こいつは。部活でも慕われて部長を務めているくらいだし。
「このみ、僕にも取ってくれないか?」
「はぁ? 自分で取れば?」
……前言撤回! こいつマジでいい性格してやがるわ。妹に侮蔑に満ちた瞳で見られるのは兄としてさすがに辛いぜ。
「……調子に乗ってすみませんでした」
あっさり引き下がる情けない兄がいた。いや、こいつに何を言っても無駄だから引き下がっただけだからな! 決して最近、プロレスにハマって僕に様々な技を試してくるのを軽くあしらえなくなって、上下関係の危機感を覚えているわけじゃないからな!
渋々取り皿を用意すると、野々山が取り分けてくれた。
「……ん」
お前は良い奴だよな。どうでもいい奴だなんて思っていて悪かったよ。お前は思いやりがあって、ノートでは『まさむねくん』を必要以上に虐めるとか(虐殺というべきか)、時々行き過ぎたことをするけれど、本当は素直で優しい良い子なんだよな。
「……政宗、あーん」
うん、それはやり過ぎ。
「お兄ぃ、早くあーんしなよ」
「ほら、政宗。男なら女の子にこれ以上恥をかかせるものじゃないわよ」
いや、僕の方が恥ずかしいんだけど。え、何これ? 周りが全員女性で男が極端に少ないと、女たちの妙な連帯感を感じるときってあるよね。今の心境を四字熟語で例えなさいという問題があるなら、僕は迷わず「四面楚歌」と答えたい。
どうして僕が恋人でもない女子に食べさせてもらわないといけないんだよ。そもそも昼間にあーん(野々山が一度口に含んで出した厚焼き玉子を無理やり口に入れられた)はやっただろうが。
もう間接キスどころか間接ディープまで僕は奪われたんだぞ?! そんな僕にこれ以上の辱めを与えるおつもりですか、このドS少女は!
「……ふーふーしてあげる」
やめろおおおおおおぉッ! 姫島家の女性陣がマジで僕らの関係を恋人だと誤解するじゃねぇか! さっき恋人じゃないって言ったのもまだ信じてもらえてないっぽいんだぞ!
僕は家では結構信頼があると思っていたのに、ここにきて色々設定をブチ壊すのやめてください。幻想殺しならぬ現実殺しをしないでくれ!
野々山の新たな能力が覚醒したところで、周囲の期待に満ちた視線に急かされた僕は仕方なく口を開く。さすが母さん、伊達に長いこと主婦やってねぇよ。麻婆豆腐の素を使わずにこの味を出せるとは。
「……どう?」
「うん、美味しいよ」
べ、別に野々山に食べさせてもらったから美味しいわけじゃないんだからねっ! だからそこの二人、ニヤニヤするな!
その後、妹の怒涛ともいえる快進撃ならぬ快進食のおかげで食卓に並んだ料理は綺麗に完食された。
「じゃあ、アレを用意するわね」
「お、待ってました!」
アレって何だ? この反応を見ると妹は知っているみたいだけど。
母さんが台所へ向かい、それに続くようにこのみも席を立つ。残された僕と野々山はわけが分からず席を立てない。この後も勉強があるので、早く済ませたいのだけど。
そこで突然、電気が消えた。
え、停電?
「お待たせ」
母さんが蝋燭に火を灯したケーキを持って現れる。アレとはこのことのようだ。ということは、電気が消えたのは妹の仕業だな。でも、どうしてこんな手の込んだことをするんだろう?
食卓の真ん中にケーキが置かれる。ケーキの中央に乗せられたチョコレートのプレートに書かれた文字を見て、ようやく僕は今日が何の日だったのかを理解した。
『政宗、十七歳の誕生日おめでとう』
「あ、そうか。すっかり忘れてたよ」
そう、今日は僕の誕生日だった。そんなことも忘れてしまうくらい、僕は野々山に執心していたわけか。いきなり過ぎるサプライズに顔が熱くなる。考えてみれば、中学のバスケ部で部長を務めている妹があんなに早く帰宅しているはずがないのだ。
僕の為にわざわざ部活を休んでまで早く帰ってきてくれたんだ。そんな気遣いをまったく知らずにいい気なものだよな。これじゃエリザベスに溜息を吐かれてしまうわけだ。
「誕生日おめでとう、政宗。素敵な彼女と一緒に祝えて良かったわね」
「おめでとう、お兄ぃ。まさか誕生日に彼女を連れて来るとはとんだサプライズだよな」
だからお前は自己紹介に失敗するくらい動揺していたわけか。
「……おめでとう」
祝福はありがたくいただくけど、こいつは僕の彼女じゃないから。っていうか、お前も否定しろよ!
「それじゃ、せっかくだから主役に切り分けてもらおうかしら」
「よっ、待ってました!」
「はい、二人とも気をつけてね」
言いながら僕と野々山にナイフを渡す母さん。あれ、二人ともって言ったよね?
「二人にとって初めての共同作業です。皆さん、温かい拍手で彼らの門出を祝福してください」
調子に乗った妹がフォークをマイク代わりにして声をあげた。このまま刺してやりたいと思ったけれど、悪気があってやっているわけじゃないと分かるのでそれも出来ない。
……いつからここは結婚式場になったんだろう?
ツッコミ所が多すぎて眩暈がする。どうせ僕には拒否権なんてないんだろう? 野々山も何故か乗り気みたいだし。
嬉しいはずのサプライズなのに、人生最悪の誕生日だよ。このまま野々山と挙式でもあげちまおうか、あはは……ちくしょう。
ケーキ入刀はこうして恙無く進んだ。
一部始終を妹に色々な角度から写メをバシャバシャ撮られた(一体、何回撮られたのだろうか)のは今後、僕の黒歴史の証拠として無理難題を要求するためだろう。この歳で妹に弱みを握られる兄の気持ちがお前らに分かるか?
そして僕と同じ歳で妹に弱みを握られてしまった憐れな同士がいるなら、この痛みを分かち合おうじゃないか。きっと夜通し飲み明かして僕らは親友になれるだろう。
ケーキはめちゃくちゃ美味しかったのに、思い出はとても苦いものになりました。