台所は乙女の戦場
さて、前章で綺麗にまとめたので、これでクライマックスしてしまったと思っていた人たちには悪いが、まだまだ続くんだ。
語り部として上手く物語をまとめられるかの予行演習を行っただけなのだ。
そもそも小説や漫画、ゲームみたいな最終回っていうものは人生にはないんだよ。有終の美を飾るなんていうのは腰に刀を提げたお侍さんがすることであって、僕たち現代人は最終回という死の瞬間が訪れるまで惨めに這い蹲って生きていくしかないのだ。
物語というものはその中で辛うじて他人に見せられる綺麗な部分を抜粋して繋げただけの謂わばお伽噺のようなもの。リアルを生きる僕たちには無縁の世界のことなのだから。
とはいえ、ここに書き記せないあれやこれがないとは言わない。実はあんなことや、こんなことがあったりするのが人生である。
僕の名誉のために言わないけどね。
というわけで、僕はいつもと違う天井を見上げながら目を覚ました。
自然に目が覚めたと言いたいところだが、この物語は汚く、醜い部分の方が多いことをこれまでの話で大体理解してくれているだろう皆さんの期待に応えるように、騒々しい寝覚めだったことをここに記しておこう。
カッコ良くいかないものなんだよ、人生ってやつは。
これまでの僕のヘタレっぷりに好感度が下がっていないか不安になるくらいだ。
ちなみに僕は何かの爆発音に飛び起きた。
居間である。自宅ではなく野々山家の。
皆さんは三人川の字になって一晩を過ごしたという素敵な就寝を期待しただろうけど、現実はこんなものだ。
彼女たちにはそれぞれの部屋があり、僕は客なのだから。
一応、例の如く「……政宗は私の部屋で寝る」という野々山の我が儘があったけれど、さすがにこればかりは断固として拒否した。野々山にとっては納得できなくても、人生無理なものは無理なのだという良い勉強になってくれたであろうことを切に願う。
居間とは襖一枚しか離れていないのに、何度もこちらを覗き込んで「……寂しくなったらこっちに来て」と催促された夜は記憶に新しい。というか真新しい。本当に心細かったのは野々山の方だろう。
愛い奴め。という感想は嘘として、そのせいで眠るのが遅くなってしまったので、爆発音が聞こえるまで台所が戦場と化していることに気が付かなかったのだとここに釈明させてほしい。
いつから野々山家は爆心地になったのだろうか。一一○番に通報するべきか、一一九番にかけるべきか迷う。
だって爆発だぜ?
何か重大な事件が起きているに違いない。とはいえ、ここにいても事態は変わらない。
事件は会議室で起きているんじゃなく、現場(台所)で起きているのだから。
窓を開けて換気をして、煙が立ち込める台所へと足を踏み入れる。
……冗談抜きで視界が悪い。
「ごほっ、可憐さん! 大丈夫ですか?!」
返事はない。闇雲に手を動かして可憐さんの無事を早く確認したいところだけど、この煙の中では意識を失っている可能性が高く、僕は四つん這いになって手探りする。
倒れているなら足元を探すべきだし、何よりバカと煙は高いところが好きだと小学校の防災訓練で教わった知識がここにきて役に立つ。
高いところと言えば、野々山が空に憧れて屋上から飛び降りようとしたことを考えるとバカが高いところを好むというのは強ち間違いではないのかもしれない。って、今はそんな悠長なことを考えている場合じゃないな。
ぷにっ。
「ん、何これ?」
何か柔らかいものに触れた。
「……あんっ」
甘い声が聞こえて僕は思わず手を離す。目を凝らすと所々焦げたエプロンを着た可憐さんであることが確認できた。
もしかして今の感触は可憐さんの胸?
僕は十六歳にして初めて母親以外(赤ん坊時代を含め)の胸に触れたことになるのか?
しかも可憐さんみたいな美人のおっ、おっぱいを……はっ、少し取り乱してしまった。この感触と甘い声は脳内フォルダに鍵付きで永久保存しておこう。
「可憐さん! 大丈夫ですか?! 敵はどこの国ですかッ?!」
ちくしょう、どうしてこんな健気な二人姉妹の家をピンポイントで狙うんだ! 奴らには道徳ってものがないのか?!
怒りを露にする僕に可憐さんは優しく、力なく微笑む。
「政宗くん、気にしないで。秋葉のこと、よろしくね」
「何を弱気なこと言っているんですか!」
可憐さんの軽い体をお姫様だっこして玄関の外へ避難させたところで、僕は重大な見落としに気がついた。
「……野々山ッ!」
あいつはまだあの部屋の中で助けを待っている。さすがに酸欠で頭痛が激しいけれど、僕は意を決して再び部屋に突入する。
居間を通り、野々山の部屋の襖を勢いよく開けて叫んだ。
「野々山、無事か?!」
「……ん」
あれ? 思考が止まる。衣装箪笥の上に並べられた何かの賞状やトロフィーは一面を埋めている。きっと可憐さんの分もあるのだろう。っていうか、今はそれよりも野々山の返事は確かに聞こえたはずだ。間違いなくすぐ近くにいる。それなのに野々山の姿が部屋のどこにも見当たらない。
いやいや、まさか。昨日飛び降りたときにアイツだけ死んじゃったってオチ?
今さら過ぎて笑えねぇって! 今、何ページ目だと思っているんだよ。
「どこだ?!」
「……ここだ!」
背後から肩に触れられて僕は本気で飛び上がる。心臓止まるかと思ったじゃねぇか!
振り返ると、そこには所々焦げたエプロンを身に着けて、頬とか煤だらけになった野々山が無表情で立っていた。その右手には何故かおたまが握られていて、左手には煙を巻き上げている元凶であるフライパンが現在進行形で大量の黒煙を生産していた。
なんだ、フライパンをおたまで叩きながら起こしてくれようとしていたのか?
なかなか乙女チックなところあるんだな。漫画の読み過ぎだぞ、きらりん☆
なんて想像に至ることが出来たらどれだけ人生楽しくなるだろう。
「犯人は貴様か」
つい地獄の底からやってきた断罪者のような低い声を出してしまった。
「……バレてしまっては仕方ない」
ノリが良いっていうのは時として残酷に人を苛立たせてしまうということを彼女には知ってもらいたい。少なくとも今の僕は苛立ち以上の殺意を覚えたのだから。
その後、近所の通報を受けた消防車がやってきて、隊員の皆さんに誤解があったことを必死に謝って、元凶のフライパンの適切な処理方法とその他諸々の注意を受けて事件は解決した。
現在、三人で卓袱台を囲み、僕は容疑者と見られる二人から事情聴取をしている。
可憐さんはしょぼんと小さく項垂れて、その隣で野々山は真犯人のくせに堂々と無表情を貫いている。これじゃ、どっちが犯人なのか分かったものじゃない。
「で、野々山」
「はい」
「……ん」
もうこのやり取りって定着してきたよね。いちいちツッコむ気にもならねぇよ。
つーかお前ら、僕が何でもツッコんでやると思うなよ!
「……秋葉さん。お前は一体、どうして台所で爆発物の処理に挑んだ?」
「待って! この子は何も悪くないの! 悪いのはこの時代なのよ!」
ええい、黙らっしゃい!
「……爆発物の処理なんてしてない。……私は料理してただけ」
何をどう料理しようとしたら台所が爆心地になるのか詳しく聞かせてほしいものだね。
「秋葉は料理の才能がないだけなの! こんな時代だから女の子が料理出来ないなんて珍しくないでしょ?! それでも自発的に料理をするって言ってくれただけでも褒めてあげるべきだと思うの!」
本当に嬉しかったのだろう。可憐さんが瞳に涙を浮かべて野々山を必死に弁護する。しかし、こいつのせいであんただって危うく命を落としかけたんだぞ。
元はといえば僕が彼女に弁当を作れと命令したのが原因なわけだからそこまで強くは言えない。まさかここまで料理スキルが壊滅的なんて思いもしなかったからな。
お前、女子力がないにも程があるだろ。
料理を作るときに爆発を起こせるのは漫画やゲームの世界だけだと思っていた分、その衝撃は計り知れない。
現実の世界にも台所を爆心地にすることが出来る女の子がここにいるぞ。料理が苦手な女の子のみんな、これからは自信を持って挑戦してほしい。少なくとも、こいつより酷いものが出来上がることはないだろうから。
つまり、今僕らが囲んでいる卓袱台の上にちょこんと置かれた弁当箱は、あの惨劇の置き土産というわけだ。当初は二人分を作る予定だったらしいけど、あの爆心地の中で二人分も生存者がいるはずない。
この弁当箱の中には、あの爆心地を生き残った英雄たちの勇気(一応、食材……だと思う)が詰まっている。
「……反省はしているけれど、後悔はない。……次は上手くやる」
次があるんですか?! 僕にはその方が恐ろしくて仕方ないんだけど。でも後悔はしような。絶対に失敗作だぜ、これ。
消防隊員の方々に再びお世話になる日はそう遠くないらしい。
衝撃的な朝を迎え、可憐さんが作り直してくれた朝食をありがたく拝みながら食べて、僕らは学園へと向かう。無事に朝食を食べられるありがたみを改めて実感しながら、自宅に戻ったらこれから朝食はきちんといただこうと心に誓った。
「いってらっしゃいのキスはいるかしら?」
「……めっ!」
是非お願いします! と言う前に袖を抓んだ野々山に窘められた。お姉さんっ子の野々山は姉を奪われた気分で拗ねてしまったのだろう。