創始の果実
――数年後の阿瀬比村。
ナズナは花束を手に、診療所を訪れていました。
「いらっしゃい、ナズナちゃん」
迎えてくれたのは茜です。高校を卒業した後、この診療所に就職したのです。
「茜さん、就職おめでとうございます」
「就職って言っても、ただの事務仕事だけどね」
苦笑した茜はそう言うと、一枚のハガキをナズナに渡しました。
「まぁ、四葉も頑張ってるみたいだし、負けられないよね」
四葉は卒業後に父親の会社を継ぐために村を出ました。当然ながら執事である楓も同行しています。どうやら今は帝王学や経営学などを学んでいるようです。
楓は父親が足を洗った後、正式に離婚を申し出るために村へと戻ってきたことを知り、家に戻ってくることを望みました。父親の改心により両親は仲良く過ごせているようです。
「茜姉ちゃんいるー?」
バタバタとやかましくやってきたのは、茜の弟的立場である蒼でした。
「診療所では静かにするように!」
「はーい」
蒼は茜の通っていた高校に進学し、今ではいじめっこであった空木と友人として接しています。
「茜姉ちゃんさ、いい加減彼氏とか作んないの?」
「仕事が忙しいうちは恋愛とかしてらんないの!」
「ふーん」
嬉しそうに蒼は茜へとにやけ面を向けます。
「なに?」
「べつにー」
楽しげな二人の会話を聞きながら、ナズナは目を細めました。
「そういえばナズナちゃん、お兄さんが探してたよ」
ナズナは時計を見ると、額に汗をかいていました。
「蒼さん、ありがとうございます」
ペコリとお辞儀すると、ナズナは慌てて診療所を後にしました。
民家や畑などの先にある洋館まで歩いていると、ようやくナズナは義久の姿を発見しました。
「お兄ちゃん!」
「ナズナ、やっと見つけたぞ」
義久は呆れたように頭をボリボリと掻くと、ナズナの前に紙袋を突き出しました。
「大事なもの忘れるなよ」
「ありがと……」
兄だとはわかりながらも、男性の優しさはナズナを照れさせるには充分でした。頬が紅潮し、ほんのりとリンゴのようです。
義久は高校卒業後に絵本の作家として活動を始めました。ナズナに読ませるため、たくさんのお話を作っていたようです。
「それじゃあ、俺は帰るから」
「うん、応援してる」
自転車で颯爽と駆けていく背中を見送ると、ナズナは中学校へ向けて歩き始めました。
「あれ?」
中学校の手前の公園には見覚えのある姿があり、その二人を見つめるように草むらに隠れる人影がありました。
思わず携帯を取り出すナズナを止めるように人影がジェスチャーを送ってきます。
「こんなところで何してるんですか?」
ジェスチャーしなくとも小声が届く距離まで寄ると、監視をしていた空木は胸を撫で下ろしていました。
「実は俺の愛しの姐さんが香良洲元先生と婚約することになったのはいいんだが、最近はちょっとした痴話喧嘩ばかりで」
空木は鬼灯の子分として学生生活を過ごし、その後はバイト先を転々としながらフリーター生活を続けていたのです。
どうやらバイトが続かない理由はこの二人を監視しているからのようです。
こっそりと、ナズナも公園の中を覗きます。
「だ・か・ら!なんでお前はそんなしょうもない嘘ついてんだよ!」
「本当にあれは教え子だったんだって!」
「あんな子見たことないけどな!」
ふんと二人してそっぽを向いてしまいます。
瓜はまだ中学校の先生を続けており、今はナズナの担任でもあります。
鬼灯は瓜と婚約するということで、家事の中でも一番大事な、料理スキルを磨いているそうです。
「家から出ない君が悪いんだろう!」
「はぁ?」
バチバチと二人の間で火花が散りますが、ナズナはため息をつくだけでした。
「放っておいていいんですか?」
「いつものことだからな、問題ない」
「でも……」
空木は自分にとって一番カッコいいと思うポーズをとって笑います。
「ここは、俺に任せて先に行け!」
ちなみにこの時点で空木の下手な尾行は鬼灯達にバレたようです。
その事を知ってか知らずか、ナズナは逃げるようにその場を立ち去りました。
ようやく中学校にたどり着くと、懐かしい人物が迎えてくれました。
「ただいま、金雀枝」
ナズナは花束を宙へ放り投げると、力強く亜佐を抱き締めました。
「おかえりなさい!」
あの後、亜佐は診療所で治療を受けたものの、親御さんから村に連れ出されてしまっていました。亜佐の意識が戻った後は一度も二人は対面していなかったのです。
「私に本当の終焉は訪れなかった……その意味が、金雀枝にはわかりますか……?」
少し意地悪っぽく亜佐が聞くと、ナズナは首を横に振りました。
「あなたが私に生きたいと、人生が終わらないでほしいと思わせてくれたからです」
「え?」
記憶からすっぽりと抜けてしまっていたナズナですが、亜佐はきちんと覚えていました。
「私を助けたいと願ってくれたから、私はそれに応えたかった……自分が生きることに意味を持てたんです……」
爽やかな笑みで感謝されると、ナズナは紙袋を亜佐に渡しました。
「これからまた、よろしくお願いします」
「うんよろし――」
ナズナは途中で言葉を切ってしまいました。けれど、いつもよりも綺麗な姿勢で、凛とした声を出します。
「私は芥子ナズナ!よろしくね!」
「……よろしく、ナズナ」
もしも果実を口にしなければ、自然災害は起こらなかったかもしれません。
けれど、子供たちが幸せになれたのは『禁断』の果実――願いのカケラのおかげです。
この村の子供がおじいちゃんおばあちゃんになった時、村のシンボルである『禁断』は『祝福』と呼ばれるようになりましたとさ。
阿瀬比村=馬酔木
花言葉…馬酔木=犠牲
高校組
先輩…我妻義久・絃杉楓
後輩…祈菖蒲四葉・夕狩茜
中学校組
教師…香良洲瓜
同級生…木伏鬼灯・市井亜佐・花菱蒼・水仙空木
小学生
芥子ナズナ