虚偽の果実
あるところに、狼というあだ名の女の子がいました。名前は木伏鬼灯。鬼灯の口から出る言葉は嘘ばかりで、目付きも悪く、近づく人はいませんでした。
両親が他界し、一人きりで暮らしています。
そんな鬼灯がいたのは中学校でした。
「なあ、知ってるか!今日転校生が来るんだとさ」
「マジで?男?女?」
「かわいい女の子だったぜ」
鬼灯は雑談を耳にしながら一人で退屈そうに教室から窓の外を眺めています。
「……まだやってんだ、くだんない」
朝から荷物運びをさせられる下級生の姿を見ながらも、鬼灯は関係ないからとただ傍観していました。
――キーンコーン
チャイムと共に教室のドアが開き、やけにニヤニヤと楽しげな担任が姿を現しました。
「みんな、今日から新しい仲間が加わるぞ!……って、もうみんな知ってるよな?」
元気よく高らかに叫んだのは、担任の香良洲瓜です。
「先生があと十年若ければ付き合いたいくらい、かわいい女の子だぞー」
瓜は真面目で素直なため、思ったことが口からポロリと出てしまいます。ひねくれものの鬼灯とは正反対の性格なので、鬼灯は強い劣等感を抱いていました。
「ほら、市井」
名を呼ばれて入ってきたのは、本当にかわいらしい女の子でした。村では見たことがない、オシャレな装飾品を付けています。
「市井、亜佐です……」
人見知りでうじうじとする亜佐が気に障る鬼灯でしたが、急にニヤリと笑みを浮かべました。
瓜はそれを決して見逃さなく……
「木伏!市井のこといじめるなよ!」
「いじめないっての!」
彼だけが、対等に鬼灯のことを見てくれる。鬼灯はそんな現実を少し悲しんでいました。
「よし!」
瓜はいつも唐突に思い付きをすることを知っているため、鬼灯の額に汗が垂れていました。
「市井のこと頼むぞ、木伏!」
「……はぁっ!?」
☆☆☆
昼休みになり、鬼灯は校庭で昼食を取ろうと、さっさと教室から離れようとしていました。けれど、服が突っ張り、振り返ります。
「あ、あの……木伏さん……」
俯きがちに服の裾を摘まんでいたのは亜佐でした。
「なに?」
少し不機嫌気味に鬼灯が訊ねます。
「職員室の場所がわからなくて……」
「二階」
ぶっきらぼうに廊下の先を指差すと、鬼灯は亜佐に圧力のある言葉を告げました。
「あたしに関わんな」
意外なことに、亜佐は一瞬強張るも、すぐにへにゃっと笑いました。
「突っ張らなくても大丈夫ですよ」
心の内を見透かされたような感覚に、鬼灯の額を汗が垂れました。
「……怖いんですよね、必要以上に踏み込まれるのが」
亜佐は村に来たときから、一匹狼の噂話を聞いていました。
昔から嘘ばかりで、子供の頃は気を引くためだろうと言われていましたが、いつしか信用を失ってしまいました。そして、今のように孤立してしまったのです。
鬼灯のことを、亜佐は本当の意味で理解できていました。転校前の自分を重ねていたのです。
「そんなことあるわけないでしょ」
亜佐の言葉をバッサリと切り捨て、鬼灯は歩き出しました。
「私なら!」
背中にかかる声に対し、鬼灯は聞こえぬふりをします。
「あなたと友達になれると思います!」
一瞬だけ、鬼灯は嬉しさに顔を綻ばせました。けれどもすぐに悲しみに支配されてしまいます。
「…………っ!」
告げられた心の叫びを、亜佐は聞き逃しませんでした。
鬼灯は何故自分がそんなことを言ってしまったのかわからず、逃げるように去ってしまいました。
「嘘で傷つくのは自分だけで充分、か」
そう呟いたのは瓜でした。偶然にも聞いてしまったようです。
「職員室になかなか来ないから探したよ」
瓜は亜佐に数枚の書類を渡しました。追いかけようとするのを、亜佐が止めます。
「先生が行っても、意味ないんじゃないですか?」
「確かにそうかもしれない。正反対で、全く違う人生を歩んでいるんだからな。でも」
グッと拳を握り、瓜は続けます。表情は真剣そのもので、心は熱く燃えていました。
「木伏は俺の教え子だ」
教師には役目があります。それは単に勉強を教えるだけではなく、親の代わりに子供たちと向き合い、正しく導いていくということです。
最近では親御さんとのトラブルを考え、干渉を避けることが一般的ですが、瓜は律儀にそれを守っていました。
瓜の素直さがあってこそ、大きな問題にはなっていません。
鬼灯に特別関わろうとする理由は、そこにありました。
「木伏!」
鬼灯を見つけた場所は屋上でした。風により、フェンス越しに校庭を見下ろしていた鬼灯の髪がなびきます。
「なんの用?」
相変わらず鬼灯の態度は、冷たく突き放すようです。それでも瓜がめげることはありません。
「僕はこの学校に……木伏に出会うまで嘘を知らずに育った……」
「先生って、箱入りのお坊っちゃんだしね」
「でも、だからこそ君に憧れていたんだ」
真っ直ぐな視線に鬼灯の心がどきりと高鳴りました。
「僕は狼少年とは反対に、素直すぎることで信用を失った人間だ。だから木伏の気持ちがわかるし、憧れてる」
鬼灯はとても寂しそうに微笑んだ。
「あたしも、その素直さには……」
伏し目がちに飲み込まれた言葉を、瓜は切なげに見つめます。
鬼灯の本音を表情だけが伝えました。
瓜は大きく頷き、リンゴよりも真っ赤で小さい果実をポケットから取り出しました。
「禁断の果実。これに願いを託してみないか?」
鬼灯が驚愕する理由は『禁断』に近づいてはいけないという暗黙のルールを知っているからでした。
「少しでも希望があるなら……」
「試してみよう」
嘘と真。二人を足して割ったらきっと……
なんの根拠もないとわかっています。それでも淡い願いを込め、果実を二人の手が包みます。
二人の顔がゆっくりと接近し、両側からかじりつきました。
果実が砕けて光の粒子となり、二人ごと周囲を照らします。
ふっと光が消えると、二人は自身の変化を探します。
「おお!願い事とは違うけど、先生ちょっと身長が伸びたかも」
低身長な鬼灯が恨めしそうに瓜を睨み付けると、瓜は苦笑します。
「冗談だ、冗談……て、あれ?」
「冗談ってことは……」
「本当のことじゃ、ない……?」
二人は顔を見合わせると、楽しそうに笑い合いました。
「さあ、教室に戻るぞ、次は僕の授業だからね」
「次は遠藤先生の古典でしょ」
そんな二人が屋上を出ようとした時、ドアの向こうには亜佐がいました。
「見てた……?」
冷ややかな声に対して亜佐は静かに首肯しました。けれど二人が亜佐を咎めることはありません。
それどころか、鬼灯はとても晴れやかな清々しい気分でした。
「ねぇ、市井さん」
「は、はい」
亜佐はギクシャクしつつ返します。
瓜は鬼灯の頭をポカンと叩きました。
「わ、わかってるよ」
きちんと亜佐に向き直り、鬼灯は照れ臭そうに赤くなっていました。
「あたしと、友達になってくれる?」
亜佐はパアッと顔を輝かせ、鬼灯の手を強く握りました。
「喜んで!」
鬼灯と亜佐が放課後に遊びに行く約束を交わすのを聞きながら、瓜はにこにこと楽しげに笑いました。
「じゃあな、木伏、市井」
職員室へと帰った瓜は、禁断の果実をかじった場面を思い出していました。
自分と全く違う生き方をしていながら、ある意味では似た者同士。何か惹かれるものがあるからか、額同士が触れ合いそうな距離まで近づいた時、瓜の心はときめいていたのです。
「もし俺がもう少し遅く生まれていたら……」
ほぅとため息をついた後も、あまり仕事に集中できずにいました。
考え事によりあっという間に過ぎた時間。気づけばホームルームを開く時間でした。
「よし、教室行くか」
負の思いを断ち切り、瓜は教室へとやってきました。気合いを入れて中へと入り込みます。
「あ、香良洲先生!」
「香良洲先生ってさぁ、やっぱ彼女とかいんの?」
突然の振りに瓜はキョトンとしながら黒板を見ます。すると、恥ずかしそうにもじもじと俯く鬼灯と、にこにこ微笑む亜佐、そんな鬼灯達を囲むように座るクラスメイト。瓜は一瞬にして状況を悟りました。
「彼女ならいないよ」
ホッと胸を撫で下ろし、鬼灯は口を開きます。
「先生、あたしはせ」
鬼灯の唇を人差し指で押さえると、優しく笑いかけました。鬼灯は不安そうに目を瞬かせます。
「いくら好きな人でも教え子のうちは応えられないからさ、卒業したら告白してくれるかい?」
次の瞬間、拍手と歓声が飛び交いました。鬼灯にとっての小さな一歩は、今までのクラスメイトとの溝をみるみるうちに埋めてしまい、自然と輪に溶け込めるようになっていました。
賑やかさから離れた場所で、ポツリと言葉が出ました。
「よかったね、鬼灯」
瓜と鬼灯のやり取りを見守った後、廊下で一人、亜佐は立っていました。片手に真っ赤に熟した果実を携えて……
木伏鬼灯=キブシ、鬼灯
花言葉…キブシ=嘘、鬼灯=偽り
香良洲瓜=烏瓜
花言葉…烏瓜=実直




