党又対着紅月 -一行、再び紅月と相対す-
ジョーゲン一行とルージュらの全面衝突。
無事、トリスタンを救うことはできるのか?
シリアスな展開が保たれるのか?
三蔵法師一行は、ルージュの住まう孩児聖嬰大王洞にたどり着いたが、そこは既にもぬけのからであった。
「見てください、ソーン!」
その壁には、まるで暗号のように、みみずがのたくったような字で、
「たすけて、この先で待っています。迷子にならないように『→』をたどってきてね! イノシシ娘より」
と、書いてあった。
「ここまでわかり易いことをやらかすなら、どうして正々堂々と来ないのか、甚だ疑問だな」
「ええと、これはさすがに私も騙されません」
「イノシシ娘、か。ナンセンスな低能ぶりだな」
「オイ、こっちにその『→』とやらが点々と……」
一行は屏風の裏に続く道をたどって、素直に矢印に従い、広々とした暗い広間に到着した。
「ジョーゲンさまあっ!」
そこでは、ひょうたんから解放され、代わりに檻へ入れられたトリスタンが待っていた。
「トリスタン、無事だったのですね!」
「よかったあ、来てくれたってことは、あの壁のメッセージ、読んでくれたんですよね!」
嬉し泣きするトリスタンを前に、一行は硬直した。
「あの……トリスタン、壁に書いてあった……というのは」
「ジョーゲンさまとその他が迷わないように、しっかりとメッセージを残せって言われて……なるべくわかり易くしたつもりだったんですけど、何か間違ってましたか?」
ソーンは額を押さえながら、呆気に取られるジョーゲンの肩を引いて、尋問役を交代した。
「とりあえず今の『その他』発言は置いておくとして、お前、なんだよ『イノシシ娘』ってのは……」
「本名で書くよりあだ名で書いたほうが、むしろ本物っぽいかなと思ったんだもん!」
「浅知恵だなあ、つーか小娘、そりゃあだ名っていうよりは完全に悪口の領域じゃねえか」
「ああっ パン吉ひどい!」
やれやれ、と首を振り、ソーンはやけに冷静なベンジャミンを振り返った。
「お前は驚かないのか、低能とか言ってたけどよ」
「ええ、最初からわかっていましたよ、あれはイノシシ娘の字でしたから……そのうえで、ナンセンスな低能と言ったのです」
「カッパさんまでぇ~!」
一行がわいわいやっていると、タイミングを見計らったかのように、自分の縄張りへ侵入してきた野良猫を窓越しに発見したときの家猫的な威嚇音が響いた。
「シャーッ! いい加減に緊張感というモノを持つにゃっ」
「にゃんにゃん言ってる奴に緊張感とか言われてもな……」
「黙れ、美猴王! お前だって三蔵を狙っているんだろう、そうはさせにゃー!」
ルージュの合図で、甲冑に身を包んだふたりの随従が、ゆらりと暗闇から姿を現した。
「今日は、ひょうたんは使わねえのか?」
白竜がジョーゲンの前に進み出て問うと、シルバはやんわりと笑って答えた。
「ええ、その必要はないもの」
その声を合図に、トリスタンを捕えていた檻が反転し、ジョーゲンを捕えた。
「しまった!」
いくらソーンやトリスタンが力任せに引っ張っても、檻の鉄はこの世のものとは思えないほど固く、ぴくりとも動かない。
「アンタが美猴王と知っていれば、最初っから手加減なんてしなかったのよぉ~?」
シルバは微笑みながら一行との距離をつめてくる。反対に、ソーンたちは後ずさった。ただならぬ気配が、金銀の兄弟からは発せられている。
「手加減、だと……?」
物干し竿を構えたソーンに、シルバは指を唇に当てて答えた。
「……楽しかった? アタマの足りない貴方たちと同レベルのお芝居は……今度は、貴方たちがアタシたちのレベルに合わせてちょうだいね……」
言うなり、シルバはソーンの懐に飛び込んでいた。間合いの内側で銀色の剣がきらめく。とっさに、ソーンは刃を緊箍児で受けた。額に一筋の傷が刻まれる。
「へえ、ちったァできるじゃねェか!」
シルバの顔に狂気の色が浮かぶ。
「そうだよなァ、そうじゃなきゃ、詰まんねェだろうが!」
あろうことか、細身のシルバに、ソーンが力負けしている。彼ら兄弟が実力のかけらほども、今までに出していなかったことに、ソーンは歯がみした。
差があり過ぎる。
「どーしたどーした美猴王よォオオ!」
いかにも繊細な太刀筋で、技量で相手を圧倒しそうな印象のシルバだったが、その技は剛力に任せた力押しだった。そのことがソーンの意表をさらについて、手も足も出させない。
「いけない、圧倒されては……ソーン、あなたの、本来のあなたのやり方で戦うのです!」
ジョーゲンの声が耳に届いても、ソーンは動けなかった。手にしているのは木製の物干し竿が一本。辛うじて額の装飾品で受けている刃を返す手立てはない。
助太刀に入ろうとした白竜を、ゴールが阻んだ。
「山神、お前の相手はこの僕だ!」
「やま、がみ……?」
トリスタンはじっと白竜の背中を見つめた。ふわりと揺れる白い毛並みが、父の背中と重なって見えた。
「ジョーゲン、解放だ!」
「はいっ」
ジョーゲンが『フトンガフットンダー』を唱え、白竜の姿が再び本来の龍神へと変化した。白竜とゴールとがその巨体をぶつけ合い、爪や牙で激しく争う脇で、いまだにソーンは動くことができない。
その間隙をぬって、ルージュが一足飛びにジョーゲンの檻へと近づいた。
「さあ、その血肉で俺の呪いを……」
「ジョーゲン!」
刹那、ソーンは再び「美猴王」の姿をとって、ジョーゲンとルージュとの間に立った。
過去のもの、として忌まわしく思い、無意識に封印していた「美猴王」としての力。自分のためには決して甦ることのなかったその力が、仲間のためなら、ジョーゲンのためなら遺憾なく発揮できた。
「ふ、またしても邪魔をするか、美猴王……」
「……間違うな。俺は美猴王じゃねえ……俺は、ソーン。ソーン=サルエテクーだ!」
対峙していた相手を失ったシルバが吼えた。
「このエテ公がぁあッ! 戻れ、戻って来い!」
すかさず、シルバの前にベンジャミンが立ちはだかった。
「よう、河童野郎。川から上がってきてもいいのか?」
ベンジャミンは無言のまま、腰の後ろから二本の鎌を取り出し、シルバの剣戟を受け止め、流し、一気に間合いを詰めた。
「自分、基本的に火とか無ければ大丈夫なんで……」
「この……っ」
未知数のベンジャミンの実力に焦ったシルバは、本性を現そうと体を光らせる。その一瞬の隙を逃さずに、ベンジャミンの鎌がシルバの首を前後から捕えた。
「まだ生きたければ、動くな」
先ほどまでの威勢はどこへ消えたのか、シルバは半泣きの顔をルージュに向けた。
「ルージュ様ぁ~!」
龍神と牛頭との戦いも、軍配は白竜に上がっていた。
「ふん、情けにゃい声を出すにゃ!」
ルージュは巨大な火焔の球を作り出していた。
「邪魔者はすべて消す。それから三蔵法師に取りかかるほうが、確実にゃっ」
しかし、ルージュが火焔を放とうとした瞬間、横からすさまじいとび蹴りが入り、ルージュは吹き飛んだ。
「ぎにゃーっ!」
「トリスタン……!」
ソーンが呼びかけると、トリスタンは、ふん、と鼻を鳴らした。
「情けないわね、さっさとジョーゲンさまを助けなさいよ!」
どうやら彼女は、父と同じ山神である白竜の戦いに勇気づけられたようだった。
「痛いにゃ……すさまじい横槍を食らったにゃ……」
よろよろと立ち上がったルージュは、新たに火焔の球を作り出そうと構えた。
「待ってください、ルージュ!」
そこへ、ジョーゲンの声がかかった。
「あなたが仰っている呪いというものは、この私の血肉をもってしても解けるものではありません!」
「にゃ……っ?」
ルージュは構えを解き、疑惑の視線をシルバに向けた。
「ど、どういうことにゃ?」
「えっとぉ……アタシが聞いてたのは、あくまでも噂ですし~……ほら、噂が本当だったら、みたいな~?」
シルバは困ったように舌を出して笑った。
「でも~、食べられたくないからそんなこと言ってるだけかも知れませんよ~?」
ぐっと首筋に鎌を近づけられ、シルバはそれ以上、一言も喋ることはなかった。
「いいえ、嘘ではありません。その証として、あなたの呪いとやらを解いて差し上げましょう」
ジョーゲンの申し出に一番驚いたのは、ソーンだった。
「正気か? こいつの呪いを解いたところで、俺たちが無事に戻れるとは限らないんだぞ!」
猫の姿のままなら、この程度なら、炎の術さえ使う隙を与えなければ充分に勝てる相手だ。倒してしまうつもりなら、呪いがかかっていたほうが好都合だった。
あのシルバにすら敵わなかったのだ。本来の姿に戻ったルージュと対峙したところで、ソーンたちに勝機がないことは目に見えていた。
「大丈夫ですよ、ソーン」しかし、ジョーゲンは疑いもなく言った。
「困っている人々を救うことが、私たちに課せられた本当の修行であり、人として当然の行いであるということを、忘れてはなりません……」
言って、ジョーゲンは経を唱え始めた。
「トーキョートッキョキョカキョクナンテブショハナイデス……ナマムギナマゴメナマタマゴハナマゴミ……」
「この女、本気にゃあ……? にゃっ」
ルージュの体を、柔らかな光が包み込む。
「シンシュンシャンソンショーアカマキガミアオマキガミキマキガミ、カエルピョコピョコミピョコピョコアワセテピョコピョコムピョコピョコ……喝っ!」
ぼふ、という不穏な音がして、光が破裂した。もうもうと立ち込める煙が晴れると、ルージュのいた場所には。
「けろけーろ」
緑の合唱団員がちんまり鳴いていた。
「嫌ァアアアッ!? ちょっと、アンタうちのルージュ様になんてことしてくれてんのよぉおおおっ」
「パンパンwwwww」
ソーンが呆気に取られて見守るなか、ジョーゲンは慌てふためき、檻に頭をぶつけたりしていた。
「きゃああっ どうしましょう、間違えてしまいました……!」
ばたばたする中で、ジョーゲンの読み上げていた巻物からはらりと半紙が落ちた。
「ああっ 何かおかしいと思っていたら、お経どうしがくっついていましたよ! こっちです、こっち」
嬉々として巻物を取り直し、ジョーゲンは正座して、再び朗々たる声で経文を唱えはじめた。
「ナウボウ バキャバテイ バイセイジャ グロ バイチョリヤ ハラバア ランジャヤ タターギャタヤ……」
ソーンはそっと白竜に耳打ちする。
「なあ、えらくマトモな真言を唱えてるんだが」
「あたり前だろうが、坊さんだぜ」
「……アラカテイ サンミャク サンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ バイセイジャ……」
ルージュの体を、再び柔らかな光が包み込んだ。
「サンボドギャテイ ソワカ」
ジョーゲンの詠唱が終わると、ルージュを包んでいた光は数倍にも膨れ上がり、はらはらと花びらが舞うように散っていった。光の晴れたあとに立っていたのは、すらりとした体躯に、紅の髪を揺らした、美しい青年だった。
「ああっ ルージュ様、ついに本来のお姿に……!」
鎌から解放されたシルバは、胸の前で手を組み、ため息を吐いた。
「シルバ……あとで覚悟しておけよ」
「ありがとうございますぅ」
「この変態がァアッ! 二重人格の怪力オネェがっ!」
「ぐれーぷ!」
牛頭状態のゴールの頭突きを食らって、シルバは何か叫びながら壁の反対側まで飛んでいった。
ルージュは檻を取り払い、三蔵法師の肩に手を置いた。
「すまなかったな、礼を言う」
その佇まいには威厳が溢れていた。
「同一人物には見えねえなぁ……それより、いいのかエテ公。とられちまうぞ?」
白竜に小突かれたが、ソーンは顔を背けた。
本性をさらけ出してまで守ろうとするほど、大切に思っているのに、この感情を言葉にする術が見つからなかった。
そこへ、銅鑼の音が三度、鳴り響いた。
「牛魔王さま!」
ゴールが牛頭の姿を解いて、あわてて跪いた。いつの間にか隣に控えていたシルバもそれにならう。
「父上……」
ソーンたちとルージュは、立ち尽くしたまま彼を迎えた。
「旅の者よ」牛魔王と呼ばれる妖魔王は、ルージュの半分も年のいっていない少年のような姿をしていた。
「此度は、身内のものが騒がせたようだな。この場で非礼を詫びよう……時に、そなたたちは天竺を目指していると聞くが」
ジョーゲンも、ソーンも、その場にいた誰もが牛魔王に釘づけになっていた。
イヴィル=ブルッキング、通称「牛魔王」。かつて人間たちの理想郷と謳われた伝説の都、桃源郷を滅ぼし、この世の理想郷といわれた場所をすべて焼き払い、世を混乱と恐怖の渦に沈めたという妖魔の大王。
彼は幼い表情を曇らせ、目を伏せて言った。
「天竺から持ち帰ったもので、第二、第三の桃源郷をつくるようなことはせぬと、誓え」
なぜ、とジョーゲンが声を上げた。
「なぜでしょうか。なぜ、あなたは桃源郷を滅ぼしたのですか」
それは抗議ではなく、純粋な問いかけであった。
「……この世の安寧のために、桃源郷はあってはならぬものだと判断したからだ」
牛魔王は、ため息混じりに言った。
「桃の里を見つけた男が、約束を守れなかったように……理想郷などというものは実在しないほうが世のためよ。良いか、第二、第三の桃源郷を、決してつくってはならぬ」
そう言い置いて、牛魔王は一行に背を向けると、奥間へと戻っていった。残されたジョーゲンは、牛魔王の言葉の意味を噛みしめ、数珠を握った。
「そう、かも知れません。理想というものは、それぞれに異なるもの。必ず実現されるべきものではなく、目標となるもの。それに向かって努力し続けることが、本来の幸せ……完成された理想郷などというものは、まだ、私たちには早い代物でしょう」