娘折磨猴子 -猪突猛進娘、猿を苦しめる-
ソーンの額に「緊箍児」が嵌められた経緯が明かされる……
トリスタン=ワイルドボアーの難点といえば、ただひとつ。
「だーめぇ! ジョーゲンさまはアタシと一緒に寝るの!」
そういって、トリスタンは宿の戸を閉め切ってしまった。
「……俺たちは野宿か。ワイルドインか。おい、ツボってる場合じゃねえよ、ベンジャミン」
どうにも、トリスタンはジョーゲン以外には懐こうとしない。だいぶ心を開いてきてはいるが、ジョーゲン一筋だ。
自分以外の誰か、とくに男はジョーゲンに近づけたくないらしく、宿に泊まるたびにこのような事態に陥っている。
「何で白竜のヤツはセーフなんだろうな……」
白竜は人前では喋らず、ごく普通のパンダで通していた。
トリスタンが加わってからはジョーゲンとも言葉を交えていない。同じ山神であることから、トリスタンの傷に触れてしまうのではないかというジョーゲンの配慮であった。
そこで、専ら白竜の最近の台詞といえば、「パンパン」という不自然な鳴声であった。
「大熊猫はどう頑張ってもそうは鳴かねえけどよ……」
呆けてそこら辺に生えていた雑草を噛むソーンに、窓からジョーゲンが声をかけた。
「トリスタンは寝ましたよ。お入りなさい、二人とも」
「……いや、今夜はここで構わねえよ。居心地も悪くねえ」
ソーンはごろりと草の上に横たわった。
「自分も、段ボールあれば基本大丈夫なんで……」
その隣で、ベンジャミンも臨床体勢に入った。
「風邪を引かないでくださいね……」
ジョーゲンは大きく伸びをして、そっと窓を閉めた。
今夜は月がやけに明るい。こういう夜には、必ず血の騒ぎを抑えられない低俗な輩が闊歩する。その魔手が欲望を謳歌しないように、ソーンは物干し竿を片手に不寝番というのが常だった。
このことはジョーゲンには伝えていない。恐いものは見せない、恐ろしい思いもさせないと誓った。知らなくていい。
「……妖怪からは、俺が守ってやるからな」
ソーンは物干し竿を握りしめた。
「……それ、実家の備品なんですけどね……」
零艇という港を通ったとき、トリスタンがソーンの頭に巻かれた金色の輪を指差して言った。
「前から気になってたんだけどー、ソーンの頭の輪っかって何なの? 天竺のほうから来たひとも、そういうの巻いてるね?」
実は、ソーンにもこの輪の正体は知れないのだった。
金の輪は名を「緊箍児」といった。だがそれだけで、一体これがどうした代物なのかは、誰にもわからなかった。
頭に緊箍児が巻かれた経緯については、ソーンは承知している。
初めてジョーゲンと出会った日の後に、あの宿で横になっている間、頭の傷と出血とを止めておくため、ジョーゲンがこの緊箍児を巻いたのだ。なぜ頭に傷を負ったのかは思い出せないが。
「そういえば、それ以来一度も外してないな」
「ねえ、ちょっと取ってみせてよ」
構わないだろうと思い、ソーンは緊箍児に手を伸ばした。しかし、少しも外れる様子が無い。ゆるく巻かれた環状の頭飾りで、しかも完全な輪ではなく、額のところに隙間がある。
それでも、緊箍児はいくら力任せに広げようとしても、一向に外れる気配がなかった。
「……外れねえ」
それどころか、外そうともがけばもがくほどに、緊箍児はきつくソーンの頭を締めつけるようだった。
「痛ぇっ 痛ててててて!」
「ああっ どうしましょう!」
ジョーゲンは慌てふためき、懐から何かの経文を取り出して唱えはじめた。それは普段もよく唱えている観世音菩薩の経だったが、ジョーゲンの読経とともに、緊箍児はゆるゆると締めつけを緩めていった。
ソーンはようやく深い息をつき、頭の輪を忌々しそうに叩いた。
「とんだ厄介モノを背負い込んだもんだ……」
その隣で、ジョーゲンは納得したように手を叩いた。
「ああ、しつけ首輪みたいなものですね……!」
「あはは、ソーンってば犬みたい!」
「パンパンww」
「……黙れこのエセパンダ。そういえば、ベンジャミンは?」
「カッパさん? りんご剥いてるよ」
「しょり……しょりしょりしょり……しょりしょり……」
ソーンはため息を吐いた。が、口元には笑みが広がっていた。