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Legend played west.  作者: 天秤屋
2/8

遇到山神的娘 -山神の娘-

 一行は、苅生香(かろうこう)の町でひとりの少女と出会う。

 かくして奇妙な面子の旅は続いている。

 ソーンがベンジャミンを宿場ごとに放置しようと画策したことは言うまでもないが、それでも、彼がベンジャミンを見直したところが二つほどあった。ひとつは、果物や野菜の皮を剥くのが異様に早く、調理に役立つこと。もうひとつは、いかなる状況下においても、決して正確な方角を失わない感覚を持つこと。

「次、こっちです……」

「物凄く投げやりに棒を倒した感じがするが、大丈夫か?」

「ソーンは心配性ですね、人を信頼することから絆は生まれていくのですよ。信頼とは、ときに賭けに踏み切る勇気です!」

「賭けちゃってる時点でだめだと思うぞ。特にこの場合は」

 ジョーゲンを乗せた白竜が笑う。

「ソーン、ずいぶんお喋りになったよなあ」

「口を挟まないと破綻する会話ばっかりだからな」

 そうして和気藹々と進む道に、不思議と疲れも不安も感じなかった。

 ソーンは初めて、仲間というものは良いものだと思った。ジョーゲンの言った「絆」というものが、少しずつ繋がってきているのかもしれない。

 一行は実に一年の歳月を経て、ようやく往路の三分の一ほどの距離に来ていた。

「それにしても、不思議なものですね」

 ジョーゲンは旅の空を見上げながら、ぽつりと呟いた。

「これまで、滝から落ちたり落雷にあったり私が人買いに置き引きされかけたりと様々な苦難がありました……」

「ああ、生きてるのが嘘みたいだ」

 ソーンは清々しく合いの手を入れた。

「それも御仏の導きでしょうか。私、御仏にお仕えする身でありながら、実はずっと恐れていたものがあるのです。ですが、様々な苦難を乗り越えてこられたように、その脅威にも終ぞ一度もまみえることなく、こうして一年無事に……」

 ジョーゲンは胸の前で数珠を合わせ、御仏に感謝の言葉を述べた。その様子を温かく見守りながら、ソーンは何気なく問うた。

「そんなに恐いものがあったなんて知らなかった。いったい、何に会うと思ってたんだ?」

「笑わないでくださいね……?」

 ジョーゲンは恥じらい、遠慮がちに目を伏して告白した。

「よ、妖怪」

 ソーンもベンジャミンもきょとんと目を丸くして、互いの顔を見合わせた。白竜は変わらずゆっくりと歩みを進める。

「ほ、ほら……よく天竺までは、往来でも妖魔が出ると言いますし、都にいるあいだ噂を何度も耳にしましたから。山や川を通るときは夜になると恐くて……でも、会わなくてよかった」

「いや……」

 口元を笑みで綻ばせたソーンに、ジョーゲンは慌てて手を振り、首を振り、一所懸命に弁明した。

「そ、そんなものいるわけがないって、よくわかっています! でも恐いものは恐くって……い、いけませんか?」

「いや、恐いのは構わないんだが……妖怪、会ってないか?」

「えっ? あ、会ってませんよね……?」

 ソーンはベンジャミンと再び顔を見合わせた。

「……いや、会ってるぞ」

「はい」

「え、ええっ? ど、どっどどどどうどどこで!?」

 ジョーゲンは途端に取り乱し、危うく白竜から落パンダするところで踏みとどまった。くるくると目を回す勢いで動揺するジョーゲンを宥め、ソーンはゆっくり話を進めた。

「ほら、先日、大沼で会った貴族風の男……」

「えっ あの親切な御仁がどうかしたのですか?」

「その次の日に川に出た大鯰と同一人物だ。問い詰めたらあいつが落雷の犯人だったから、とっちめた」

「その夜に食べたのがその大鯰です」

「え、ええぇ~!? そんな、そんな食べちゃったなんて! だめですよソーン! ベンジャミンも、そんな簡単に……っ」

「いや、あんたを嫁に欲しがってたしな。それに美味いうまいって喜んで食ってたろ、ジョーゲン」

「あ、あう~……」

「ありゃあ美味かったな!」

「茶化さないでくださいっ 白竜!」

 膨れ面で抗議するジョーゲンに苦笑しながら、ソーンは続ける。

「なあ、そんなに恐いか、妖怪ってやつは?」

「こ、恐いですよ……僧侶として恥ずかしいこととは思いますが、恐いものは恐いのです……」

「嫌いか? 妖怪は」

「ど、どちらかと言えば……す、好きでは、ないです」

 ソーンはそうか、と頷いた。

「じゃあ、俺たちがジョーゲンを妖怪から守ってやるよ。どんなことがあっても絶対に、お前に恐い思いなんかさせねえよ」

 法冠をずらし、ソーンはジョーゲンの頭を撫でた。

「ちょっと、ソーン……子どもではないのですよ」

 ジョーゲンは慌ててソーンの手を離し、身なりを整えて白竜の手綱をとった。

「さあ、先は長いのですから、気を引き締めて参りましょう」

 取り繕った高尚な横顔を見つめながら、ソーンは物干し竿を担ぎ、ベンジャミンは愛用の段ボールを抱え、西へと歩き出す。



 一行の立ち寄った苅生香(かろうこう)という町で、ひと騒動があった。

「また出たぞ!」

「追い込め! こんどこそ逃がしてなるものか」

 村人たちが血走った目でねめつけていたのは、ひとりの少女だった。体躯に見合わぬ豊満な胸を揺らし、少女は必死に村人たちの鍬や鋤から逃げていた。

「あれです、法師さま!」

「そんな……」ジョーゲンは言葉を詰まらせた。「あれは、まだ幼い娘ではありませんか……」

「とんでもない! あれこそが作物を荒らし回っている憎い妖怪ですよ! さあ、退治してくださいませんかね」

 戸惑いを隠せないジョーゲンの肩をソーンが引いた。

 妖怪の少女は、見た目にはほとんど只人と変わらなかった。妖怪などというものは大概がそうだ。見た目では何者とも判断がつかない。時にそれはかけ離れた次元の姿をしていることもあるし、ごく身近な人間に生き写しのこともある。

 正体のないもの、それでも忌み嫌われるもの。

 泥だらけで、所々に血を滲ませながら、少女は必死に走り回っていた。その腕に抱えきれないほどの農作物を抱えて。

「ええ、意地汚え妖怪っこですよ!」

 村人が怒りのままに石を投げつけた。少女にそれが命中し、額に赤いものが走る。

「むごい……!」

 堪らず駆け出そうとしたジョーゲンの肩をもう一度引き、ソーンは首を横に振って進み出た。

「俺が行ってくる」

 ジョーゲンはソーンの背中を見送りながら祈りの経を唱えた。

 ソーンは逃げる少女の前に立ちはだかった。村人の集中砲火が止む。

 少女はやっと息をついて、目の前の大男を睨んだ。

「何だっ!」

「……お前が食い物を盗むんだと、村の連中が怒っている」

 少女はぐっと歯を食いしばり、精一杯強がって嘶いた。

「要るんだよ! 食べ物がたくさん要るの……!」

「そうか。じゃあ行けよ」

 ソーンはあたり前のように、少女を通り過ぎ、その背後……村人と少女との間に立った。少女はその背中を振り返り、躊躇していた。

「ほらどうした、さっさと行け」

「おい、どういうことだ! ふざけるな!」

 村人の怒号など気にもとめずに、ソーンは少女のための壁となった。少女は何度も振り返りながら、転げるように山の中へ消えた。


 血気盛んな村人が少女を追おうとすると、ソーンが物干し竿を薙いで(いさ)めた。

「やめておけ。山の中じゃ勝ち目はない」

 勿論、村人は誰もこの行動に納得などしなかった。なぜ、みすみす弱らせた目の仇を逃がしたのかと、皆で一行を責めた。

「これは、ソーンにも考えがあってのことです」

 必死に仲間を庇うジョーゲンの言葉も届かない。ソーンは面倒そうに進み出て、村長にこう尋ねた。

「あの妖怪が食い物を盗もうとして、本当に盗んだのはこれが初めてだったんじゃあないのかい」

「そうだが……」

 これまで必死に畑を守ってきたのだから、と、村長は胸を張って答えた。

「じゃあ、もうアイツは二度と此処へは現れねえだろうよ」

 村長はがっくりと腰を折られて、ソーンを見上げた。

「なんだって? え、何だってそんなことが言える?」

「アイツが急に現れたと言っていたが、最近、この辺で大猪を罠にかけたりはしなかったかい」

 村長は黙って頷いた。

「……そいつは、この村で祭られていた山神だよ。今のはその子どもだろう……猪の妖怪といえば、まず間違いない」

 この言葉には、村長以下、誇りを持って畑を耕してきた村人の誰もが何も言い返せなかった。皆一様に地面へ両膝をついて、ある者は友と顔を見合わせ、ある者は妻と抱き合ってへたれこんだ。放心しきっているところを見ると、村人のほうにも確かな心当たりがあるらしかった。

 これ以上の長居は無用だと白竜が切り上げて、一行は茫然と立ち尽くす村人たちを残し、山中へと分け入った。

「あの少女を追うのですか?」

「そうしないと、気が済まないんだろう」

 ジョーゲンは、はい、と言って項垂れた。

 いくら妖怪が恐ろしくても、目の前でああも痛めつけられ、蔑まれ、憎まれている様を見ると、慈悲の心もまた痛めつけられた。妖怪といっても、同じ生きているものに変わりはないのだ。

 その見てくれや性質が悪いのではない。理解しようとしないことが悪いのだ。

 ジョーゲンは気を引き締め、白竜の手綱を握った。



 しばらく獣道を登っていくと、中腹あたりに古びた祠があった。大猪が住まうには小さな木の家だったが、その後ろに巨大な洞があった。恐らく、この洞が本拠なのだろう。

 ソーンたちは注意深く洞の中を進んだ。

「……おい、ベンジャミンはどうした?」

「面倒くせえしなんかおっかねえから、って言って、入り口で段ボールに篭ってるぞ。りんご持ってたからな、戻るまで篭りっぱなしのパターンだろ」

 聞くだけ虚しい思いをして、ソーンはふと真顔になった。

「空気の流れが変わった。そろそろだ」

 その言葉通りに、一行はすぐ巨大な猪と遭遇した。

 年老いて白い毛並みになった大猪はつらそうな呼吸をくり返し、時おり咽るように体を揺らしていた。背中やわき腹には鉄で負った傷が赤々と浮かび上がり、目は薄らとしか開かれていなかった。

「もうトシなんだな、それで、傷を治すのにめいっぱいの食い物が要ったのか」

「人々に忘れられ、供物も捧げられずに傷つけられた山神……何と哀れな……」

 ジョーゲンが経を唱えはじめると、山神は目を細めてそれを聞いているようであった。

「何をしてるの!」

 背後から、壁を反響する少女の声が鋭く問うた。

「ととさまに近寄るな!」

 薬草の山を抱えて、少女が一行と山神との間に滑りこむ。小さな体を精一杯張って、横たわる山神を庇おうと必死だった。

「……娘や、この者たちは何もしない」山神はゆっくり首を起こし、続けた。

「心の正しきものたち……わしはもう長くはない。どうか、この娘を連れていってやってほしい。此処に残っても、きっと娘はまた追われて、惨めな思いをするだろうから……」

「そんな、ととさまと離れるなんてイヤ!」

 泣きじゃくる少女の背を、そっとジョーゲンが支えた。

「どうか弱気にならずに、山神さま……あなたはもう長くこの山を治めておいでなのでしょう」

 しかし、山神はジョーゲンの励ましに曖昧な笑みを返しただけだった。山神は娘の頭に鼻を押しつけ、撫でる仕草をした。


 そしてそれきり、山神は巨躯を洞の大地へと横たえ、僅かも動かなくなった。

 静かになった山神の胸や首にすがり、少女は泣いた。痛いほど泣いた。そのうち涙も枯れると、何度も山神の体に頭を擦りつけた。そうすることで、父親の体に残ったわずかな思いも、温もりも、愛情もすべてその身に移そうとしていた。



 三日目に、少女は洞から出てきた。ジョーゲンは毎日山神に花を手向けに行っていたが、その日、少女を伴って戻ってきた。泣き腫らした赤い目元を、湯につけた温かい布で拭ってやり、ぼさぼさになった髪の毛を根気良く梳かし、撫でつけてやった。

 そうした甲斐々しい世話の賜物なのか、少女は十日目に、一行について行くということを決めた。

「山神さま、あなたの娘のことは私たちが守ります……どうか、安心して極楽浄土へと導かれますよう……」

 旅立ちの日、ジョーゲンは洞に向かって手を合わせ、長い経を唱えた。大切な命を確かに預かったと、何度も洞に向けて誓いを立てた。

 その儀式を終えて、山神の娘を加えた一行は西へと旅立った。

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