問題事は転がっている
ガタガタと揺れる馬車は心地良い眠りにつけた。王都へ向かっている三日間、私はほぼ眠りについていたのは言うまでもない。
父から王都への許しが出たのは、それから一週間後のこと。
心の傷も癒えていないのに、何故彼がいる王都へ行くのか、彼に会いに行くのかと、質問を繰り返し投げられていた。
そもそも、大事な一人娘を王都という都会に行かせたくないようで、「ダメだ」と首を振っていた。
心配してくれるのは嬉しいのだが。
私の恋心は当に冷めきっている。
笑うことさえ忘れて問答無用に「違います」と言い続けたのは、記憶に新しい。
そんな必死の説得あってか、父の許可はおりたのだ。
あっぱれである、私。
そうして、父から見事巻き上げたお金に馬車に見張り役と共に、私は王都へと向かった。
「わぁ、王都って人がいっぱいいるのね!」
王都の境にある検問を超えた時、はしたないにも馬車から顔を出して声を上げた。
辺境伯の名だけあって、王都とはかけ離れた場所に領地を持っていた我がアーディルト領とは打って変わり、大勢の人で賑わっている。
橋を渡り、貴族が通るように作られた道を走り、馬車は屋敷へと向かっていく。
貴族が住む屋敷を超えて行けば、その先には城壁があり、王城がある。
遠くからでもわかるほどの大きなお城に、感嘆の息が漏れた。
「この国の中心部でもありますからね。王都には、たくさんの人々が住んでいます」
前から声をかけたのは、父が付けた見張り役のレイヴィンである。
馬の手綱を持ちながら、こちらを振り返っているが、大丈夫なのだろうか。
暇になったら話せるようにと、窓を開けていたので、返事をくれたようである。
「わかっているわ。ただ、領地ではこんなたくさんの人が賑わっていることなんて、なかなかないじゃない」
「お嬢様は王都の方がお好きなんですか?」
その言葉に思い出したのは、父の顔だ。
「お父様に領地に早く帰させるように仕向けろって、言われたの?」
父の回し者である彼は、絶対に何か言われているはず。
反応を伺うようにレイヴィンを見たが、もう彼は前を向いていた。
「いえ。そのようなことは何一つ言われてませんよ」
頭に思い浮かべたのはレイヴィンに「早く帰らせてね!」と、必死に頼み込んでいる父の姿だったのに。
しかし、予想に反して、一切私のことは何も言わなかったらしい。
意外である。
しかし、これで父からの早く帰って来いという催促が来ないことを知り、思わず駆け回りたくなった。
ここへ来る前は、どうやって父からの催促をかわそうかと思っていたけど、余計な心配だったみたい。
嬉しくなり鼻歌を口ずさむ。
気分はミュージカル映画のヒロインだ。
上半身を馬車から乗り出して、王城に目を輝かす。
調子に乗って手を広げた私は、そのまま馬車から落ちてしまった。
落ちる時に視界の端に何かがよぎったが、それがなんなのかは、確認を取る気も起きなかった。
そうして、盛大に何かにぶつかった。
「いってぇっ!」
「いたたた……」
突如目の前に走る閃光とともに、身体に走る激痛……はない。
頭をぶつけたみたいではあったけど、それでもさほどの痛みは感じなかった。
「ったっく、なんだよ、お前! いきなり、落ちて来やがって!」
背中から聞こえてきた怒声に、身体がピシリと固まる。
あれ? そういや、私地面に激突した記憶がないぞ?
しかも、背中からは地面の冷たさではなく、人肌のような温もりを感じる……。
恐る恐る振り返ると、そこには押しつぶされた少年がいた。
金色の瞳と目が合う。
不機嫌そうに歪んだ瞳はこちらを睨み付けていた。
「重い。早くどけ」
「なっ!」
途端に突かれた言葉に顔が赤くなる。
な、なんとまぁ年頃のレディに対して、失礼なことを言う奴だ!
年齢は私と対して変わらないのに、むかつく。
これまでにないくらい迅速に立ち上って、相手に何か一言文句を言ってやろうではないか。
後ろを振り返ると、少年の容姿をはっきりと確認できた。
だけど、私は言葉を紡ぐことはなかった。
あまりにもその少年の容姿が整っていて、口を開くことさえ忘れていた。
服装からして、ぶつかった少年は庶民の子供のようだった。
しかし、少し薄汚れた服装なのにも関わらず、どこか気品が漂っている。黒い髪はボサボサにされているが艶があった。
泥で顔が少々汚れているが絹のように透き通った白い肌に、つり上がった瞳はあどけなさが残る。生意気なその瞳の奥には、底知れない何かを感じた。
実にとても綺麗な容姿をしていた彼からは、どこかの貴族の子供のような雰囲気が漂っていた。
それにしても、どこかで見たことがある。
確か記憶によると前世の時ーーーー、そうだ。思い出した。
この世界の王子様にそっくりなんだ!
「ええええっ!?」
急に大声をあげた私に、少年はいきなりなんだというように睨み付けられる。
その綺麗な顔は歪められ、不機嫌そうだった。
「……ってぇ……」
「え、怪我しているの!?」
立ち上がろうとして座り込む彼に駆け寄る。
見えないように足を隠しているけど、きっと足を怪我したんだ。
「ちょ、ちょっと待って、い、医者!!」
「そんなことはいいから、静かにしてとっととどっかに行け」
そう言って意地でも立ち上がろうとする彼に私はいてもたってもいられなくなる。
慌てる私を他所に彼はズルズルと足を引きづりながら、橋の方へと足を進めていく。
レイヴィンが馬車を引き連れて、戻って来るのを待つ間に彼はどこかに行ってしまいそうだった。
さすがに彼がいれば、治癒魔法ですぐに治せたのだが、私は使えない。
放置するのはまずい。
咄嗟の判断だったが、私は少年の手を掴み引き止めた。
「ねぇ!そのままじゃいけないから治癒をさせて!」
「いらねーよ、こんくらい舐めときゃ治る!」
「なっ、さすがに治らないわ! って、待って、どこ行くの!?」
そのまま引きづるように無視して歩いて行かれ、躓きそうになった。
しかし、こちらだって手を離す気はないのだ。
「あー、もう! なんなんだよ、お前!」
振り払おうと少年が大声をあげたその時。馬の蹄の音がどんどんとこちらに近付いてくる音が聞こえた。
音は軽快なリズムのようで、うちの馬車ではない。
焦ったように少年は近くの橋まで走って行く。
わけがわからない状態のまま、手を離すこともできずに引きづられながら彼の背中を追った。
「とっとと、手離せ。どーなっても、知らねーからな」
「えっ?」
大地を蹴った後、さぁっと血の気が引いた。
何がどうなっているのかはわからないが、どうやら川へ飛び込むつもりらしい。
それに気づいた時、私の身体は宙に浮いていた。
「って、なんでお前離してねーんだよ!」
「そ、そんなの知らないよぉおおお!」
落下する感覚に喉から、ヒュウと音が漏れる。
少年は私が今だに手を離していないことに気付いたが、もう遅い。
落ちる速度はどんどん上がっていき、川が近付いて来る。
こんな時に思い出すのは、やはり前世の記憶で。
走馬灯が流れた瞬間、三回目の人生の終わりを覚悟した。