4.至福のまかないランチ(1)
朝の日差しを浴びながら、私は今日も出窓のマルトのプランターに水をあげた。
太くなってきた枝には、新しく赤ちゃんのような実がぽんぽんとなっている。
「それにしても、レイさんってどこのレイさんかしら? 今年叙任された騎士にレイという名前の騎士はいないはずなんだけど……」
数日前に魔物から助けてもらった騎士のことを思いだし、じょうろを置いて首をひねる。
念のために図書棟へ行き、最新版の騎士年鑑を最初から最後まで見直してみたのだが、やはり、今年叙任を受けた騎士一覧に「レイ」という名前は存在しなかった。
レイモンドさんやレイヴンさんならいるけど……「レイ」さんはいない。
マルトの実は食べてもらえたけれど、なにしろこちらは魔物から命を救われたのだ。
常識的に考えて、もっときちんとお礼をした方がいい気がするが、所属もわからないのでは捜しようがない。
朝の鐘が鳴った。
「考えていても仕方ないわね」
私はローブを羽織り、部屋を出た。
△△△
総務部長のスミスさんから割りふられた仕事をこなしていると、私の教育係のモード先輩が、ファイルの束を持ってこちらへ来た。
「ねえエルウッドさん、悪いけど、これをお願いしてもいいかしら?」
「なんでしょうか?」
モード先輩はファイルの束をバサッと私の机に置いた。
立ちのぼった甘い香水の匂いにむせそうになる。
彼女は赤い口紅を塗った厚めの唇に、にっこりと笑みを浮かべた。
「あのね、このファイルをそれぞれの部署の担当者に渡してきてほしいの。あたしは他の仕事が入っちゃって……」
申し訳なさそうな顔で「お願い」と頼むモード先輩が、「今日のランチは騎士団の外にできた新しいレストランへ行きましょう」とさっき同僚たちと楽しそうに話していたことを思い出す。
きっとこのファイルを配って歩いていたら、お昼休みにレストランへ行くのに間に合わないのだろう。新しいレストランはここから結構歩くから。
私は笑顔で答えた。
「いいですよ。渡しておきます」
「ありがとう、エルウッドさん!」
モード先輩は満面の笑みを浮かべ、足どりも軽く自分の席へ戻っていった。
私の机には、他にも同僚から頼まれた仕事がいくつか載っていた。
早く仕事に慣れたくて、それに、早く総務部の人たちから認めてもらいたくて、何か頼まれれば断らないようにしている。
山と積まれたファイルと書類を見ると、何から取りかかるにしても、私はお昼を食べそこねるかもしれないと気づいた。
他の仕事を終わらせると、私は部長のスミスさんに、モード先輩に頼まれたファイルを配りに行く旨を伝えた。
すでにお昼近くになっていたので、「終わったら長めの昼休憩を取ってきていいよ」と言ってもらえてほっとした。
ファイルは新年度に刷新された内部規約に関するもので、騎士団本部内に点在する各建物の担当者へ一冊ずつ配らないといけない。
本部の広大な敷地内には、いくつもの建物がある。
中央には一番大きな本部棟が、城塞のようにそびえ立っている。
本部棟の東側に隣接するのは訓練場で、屋内訓練場と屋外訓練場があり、天候などに応じて使用できる。
さらに東には聖堂。施療院と小さな塔、そして墓地が併設されている。
南には総務部の入っている管理棟。
西には図書棟と魔石精製所。
北には男子寮と女子寮。
ちなみに王都からの出入り口は南側にあり、大きな二重門をくぐった来客は、まず管理棟の受付で手続きをする。
森側の出入り口は北側にあるのだが、門の向こうは魔物の跋扈する死地のため、裏では「死の門」と呼ばれ恐れられていた。
ファイルの束を抱えて、私はまず、総務部の担当者に一冊渡しに行った。
一つ減ったがまだまだある。
「あとは、本部棟、聖堂、図書棟、魔石精製所、それから女子寮と男子寮ね……本部棟は最後にして、図書棟からぐるっと回ろうかな」
本部棟には食堂がある。
たくさん歩いてお使いをすませたあとで、遅いランチをゆっくり食べよう。
そう決めて、私は重いファイルを抱え、西にある図書棟へ向かった。
△△△
「ほ、本当に広いわ……」
体力のない私はハアハアと息を切らしながら、ようやく東側にある聖堂にたどり着くと、担当者にファイルを渡してまた外に出た。
出発してからすでに小一時間は経っている。
早足で歩いてるので汗をかき、飲み物を持ってくればよかったと後悔した。森の木漏れ日が気持ちいいが、これではほとんどウォーキングだ。
「でも、あとは本部棟だけ……」
手の甲で汗をぬぐい、舗装道路の向こうに見える巨大な本部棟へ歩きだした。
石畳の道を歩いていると、訓練場に差しかかった。
右手が屋外訓練場、左手が屋内訓練場だ。
本部棟はここを通り抜けた先にある。
屋根のない屋外訓練場の方には、人だかりができていた。
デイドレスの華やかな色彩が目にチカチカする。
集まっているのは女性たちばかりのようだ。
ひときわ大きな歓声を上げているヒーラー女性の集団がいた。
その中に、なんと、セリーナ姉様の姿を見つけた。
驚いて見ていると、彼女も私を見つけた。
そしてギロリとにらみつけてきた。
思わず逃げ出しそうになったが、ハッと思い出す。
「……そういえば今日は、レナード様の公開訓練日だったわ!」