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3.おひとつどうぞ

 翌朝は快晴だった。


 私は出窓に置いたマルトの苗のプランターにじょうろで水をあげた。

 昨日、騎士団本部棟の売店で生活必需品を買い揃えているときに園芸コーナーでこのプランターを見つけて、じょうろと一緒に買ったのだ。

 売店で店番をしていた親切なおばあさんが、苗を一緒に選んでくれた。

 マルトは掌ほどの真っ赤な丸い実をつける春野菜だ。 

 甘くて栄養豊富で、疲労回復にも役立つ。


 つい先月まで通っていた辺境の貴族学院は女子校だったが、細かいマナーから天文学まで、本当に色々なことを教えてくれた。

 そのうちの一つに農業の授業があった。

 華やかな王都の貴族学院とは違い、田舎の貴族学院に通う令嬢たちは地方領主の子が多い。

 将来結婚するにしてもしないにしても、農業や牧畜に関する知識はあった方がよく、それゆえ授業にも取り上げられていたのだ。

 野菜や家畜を育てるのは新鮮な体験で楽しかった。


 出窓のマルトの苗には、早くも赤い実がなっていた。

 丸く艶々としていて美味しそうだ。


「これを、レナード様に差し入れとか……」


 呟いたそばから、ぶんぶんぶんと首を振った。

 ただのファンが差し入れだなんて、そんな大それたことを考えてはいけないわ。


 時計塔から、一日のはじまりを告げる鐘の音が聞こえた。


「そろそろ行かないとね」


 すでに身支度は整えてあった。

 薄茶色の髪は三つ編みにしてあるし、事務員の制服であるクリーム色のワンピースを着て、紺色のローブを羽織っている。

 私は寮を出ると、森の中の舗装道路(ペーブメント)を、総務部のある管理棟へ歩きだした。


 △△△


「えー、本日から新しい職員が入ることになった。エルウッドくん、こちらへ」


 初出勤でドキドキしながら管理棟二階の総務部へ行き、総務部長のスミスさんに挨拶をすると、彼は部署の全員を呼び集めて私を紹介してくれた。

 私も一歩前に出て、自己紹介をした。


「本日付けで総務部に配属されたアシュリー・エルウッドです。よろしくお願いいたします」


 まばらな拍手が起きたあと、総務部の人たちは、波が引くようにサーッと自分の仕事に戻っていった。


 私が殉職した前騎士団長の娘だということはバーナードさんの計らいで伏せてもらっている。

 私も変に気を遣われるのは嫌だった。

 今年の春の入団式は二週間ほど前に終わっていて、新入りの事務員もすでに部署にとけこんでいるようだ。

 私一人が完全にアウェイな空気を感じる。

 しばらくすればきっと馴染めるわよね、と自分に言い聞かせて、私はさっそくスミスさんに与えられた仕事に取りかかった。


 子どもの頃からずっと憧れていた騎士団に関する仕事は、どんな些細なものでも──たとえば敷地内のペーブメントに設置する魔法アイテムのランタンの発注や、あちこちに貼る「魔物出没注意」のポスター作成など──全部やりがいを感じた。

 教育係(メンター)の先輩に教わりながら必死に仕事をこなしていると、あっという間に休憩時間になった。


 一人でラウンジへ行き、備えつけのポットのお湯で苦豆茶(カファ)を淹れる。

 このポットは魔石が埋めこまれている魔法アイテムだ。

 水を入れると、火の魔法が付与された魔石が反応し、たった数十秒でお湯が沸く。


 苦豆茶は真っ黒な苦いお茶だが、砂糖とミルクを入れるととても美味しく、リラックスとリフレッシュ効果がある。

 ラウンジには数種類のお茶が用意されていて、休憩時間にはどれでも自由に飲んでいいことになっていた。

 初出勤で緊張していたのでよけいに美味しく感じる。

 ほっとひと息ついていると、背後から数人の女性の声が聞こえてきた。


「それにしてもあの新入りの子、騎士家出身なんですって? この時期に入ってくるなんて、訳ありの没落貴族ってこと?」


 ……私のことよね?

 総務部の女性事務員たちが、真後ろで、私の噂話をしている。

 ここで立ち上がって場所を移るのも不自然なので、そっと息を殺した。


「あれ、絶対コネで入ってるわよね。こっちは必死に試験を受けて狭き門をくぐり抜けたっていうのに」

「そうよねえ。どうせ騎士と結婚して辞めようとか浮ついた考えで入ったんでしょうけど、そういう人がいると迷惑なのよね」

「ほんとほんと」


 コネなのはその通りなので申し訳ない気持ちになる。

 でも騎士と結婚だなんて、そんなことは考えもしなかった。

 ただ屋敷を追い出されたから、憧れの騎士団で働きたかっただけなのに──


 悲しい気持ちのまま休憩時間の終わりまでやり過ごし、彼女たちが立ち去ったあとに、急いで職場へ戻った。

 訳ありなのはその通りなので仕方がないけれど、総務部の人たちに認めてもらうためにも、人一倍しっかり働こうと心に誓った。


 △△△


「こんなに遅い時間になってしまったわ……」


 初日から仕事をがむしゃらにこなし、他の人の分まで手伝っていたら、すべて終わる頃には夜になっていた。


 騎士団本部は王都北西の森林地帯の中にある。

 魔物対策に使用する魔石を大量に精製するため、初代騎士団長が綺麗な水の湧き出る森の中に建立したそうだ。


 曲がりくねったペーブメント沿いには、光魔法を付与された魔石で光る魔法ランタンが点々と灯っている。

 だが明かりの届かない木立の奥は真っ暗闇だ。

「魔物出没注意」のポスターもあちこちに掲示されている。


「……魔物なんて、出ないわよね……?」


 王都全体と同じく、騎士団の周囲も、高い城壁で囲われている。

 そのため「騎士団内部には魔物は出ない」と昔、何かの本で読んだから、きっと大丈夫なはずだけど──


 道の先に女子寮が浮かびあがり、ほっと安堵しかけた、そのとき。

 突然、木立の間から何かが飛びだしてきた。


「ひぇっ……!」


 グウウゥゥ、と低い唸り声を上げ、赤く光る目でまっすぐに私を視界に捉えているのは、ブラックグリズリー。

 野生のクマを一回り大きく残虐にしたような、恐ろしい魔物である。

 熟練の騎士なら一人で倒せるかもしれないという、中級レベルの強敵だ。

 思わず肩にかけた仕事用のメッセンジャーバッグを抱きしめたけれど、そんなもので身を守れるはずもないし、相手は人間よりずっと足が速いので逃げるのはまず不可能だ。


 せっかく騎士団に入れたのに、私の人生はここで終わるの……?

 私は魔物の攻撃を覚悟して、ぎゅっと目をつぶった。


 すると、横から軽やかな足音が聞こえて。

 グオオオォォォ、という恐ろしい断末魔が闇を切り裂いた。


「……?」


 おそるおそる目を開ける。

 そこには、ローブを身にまとい、剣を手にする背の高い後ろ姿と。

 ついさっきまで私に襲いかかろうとしていたブラックグリズリーの(むくろ)があった。


「……あの……」


 助けてくれたらしい男性に声をかけると、彼はこちらを振りむいた。


 目深に被ったフードとアッシュブロンドの長い前髪で目元が隠れていて、表情は見えない。

 けれど、相手からは私が見えているようだ。

 彼は薄い唇を開いて尋ねた。


「あんた、新入り?」

「あ、はい」

「騎士団の敷地内でも夜は魔物が出るって教わらなかったのか?」

「えっ? 城壁があるので敷地内に魔物は出ないと以前読んだ本に書いてあったので、大丈夫なのかと……」

「それ、かなり昔の本なんじゃないか? この頃は城壁内の森の中でも瘴気が発生して魔物が出現する。夜は特に、誰かと一緒に歩いたほうがいい」

「そ、そうだったんですね……でも私、友達がいないので……」


 正直に答えると、彼は一瞬黙りこみ、気を取り直したように言った。


「じゃあ、結界石は? 当然持ってるよな?」

「結界石って、城壁と街道に埋め込まれているものですよね? あれ、普通に買えるんですか?」


 私は目を丸くしたが、彼も呆れたようだった。


「……結界石にはいろんな種類があるけど、俺が言ってるのは魔物を寄せつけない効果のある結界石のこと。本部棟の売店で売ってる」

「明日買ってきます……」


 騎士団に関する知識は人一倍持っているつもりだったが、やはり実際に来てみると知らないことがたくさんあるらしい。

 結界石が売店で気軽に買えるなんて、さすが魔物と戦う最前線だ。

 私はまだお礼を言ってないことに気づき、あわてて口を開いた。


「助けてくださってありがとうございました。私は先日総務部に配属されたアシュリー・エルウッドと申します。命を助けていただいたお礼がしたいので、お名前と部署をうかがってもよろしいですか?」

「別に礼なんていいよ。魔物がいたら倒すのは当たり前だし」

「でも……」


 彼はくるりと向きを変え、すたすたと歩きだした。


「行こう。寮まで送る」

「あ、ありがとうございます!」


 女子寮は目の前だったので、すぐに着いた。

 私は彼を見上げて聞いた。


「少しだけ、ここで待っていてくださいませんか?」

「いいけど……」

「すぐ戻ります!」


 全速力で階段を駆け上って部屋に入り、プランターの一番丸々とふくらんで赤く色づいたマルトの実を、鋏で枝からちょっきんと切り取る。

 そしてまた急いで寮を出て、待っていてくれた彼に、マルトの実を差しだした。


「これ、私が育てているマルトの実です。栄養豊富で疲労回復にも役立つので、もしよかったらおひとつどうぞ」


 たいしてお礼にならないかもしれないけれど、助けてくれた騎士様に食べてほしかった。


 私が差しだしたその実を彼はしばらく見つめて、ひょいとつまんだ。

 そして豪快にかぶりつき、またたくまに平らげてしまった。

 見事な食べっぷりだ。

 思わず見とれていた私に、彼は口角を上げて言った。


「うまかった。ありがとう」

「いえ、こちらこそ」

「レイ」

「え?」

「名前。俺も今年入ったばっかりだから同期だな。よろしく」

「あっ……はい! よろしくお願いします、レイさん」


 私を見下ろしてほほえむレイさんの目が、一瞬、前髪の隙間からわずかに見えた気がした。

 でもすぐに彼は踵を返すと、「それじゃ」と片手を上げてペーブメントを戻っていった。


「ありがとうございました! お気をつけて!」


 私はぶんぶんと手を振りながら、彼の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。


 ▲▲▲


 アシュリーと別れて来た道を戻っていくレイが、小さく呟いた。


「あれがアシュリー・エルウッド……アレンさんの娘か」


 そのとき、一陣の風が吹いた。

 レイのフードと前髪をびゅうっと後ろへ吹き流し、彼の顔をあらわにする。


 もしも誰かがそれを見たなら、気がついたかもしれない。


 金髪に、翠玉色(エメラルド)の瞳。

 思わず誰もが目を奪われてしまうほどに整った顔立ち。


 レイが、「緑陰の騎士」レナードその人である──ということに。

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