21.ここにいていいんだ(2)
「アシュリーから手を放してください」
気がつくと、赤いポニーテールが私の目の前にあった。
ライラが私とロバート様の間に立ちふさがっている。
「なんだきみは。無礼ではないか」
「いきなり相手の職場に乗りこんできて仕事中に連れ去ろうとする人と、どっちが無礼なんですか?」
「は? 平民風情が何を……」
ロバート様の声が険しさを増す。
そこへ、私の教育係のモード先輩が、明るい笑顔で割って入った。
「まあっ、貴族の方がこちらへいらっしゃるなんて珍しいですわねえ。この騎士団には魔物の研究所があって、捕まえている魔物がときどき脱走して人を襲うんですよ? 先日も一般の来客の方が襲われたばかりで。お一人でいらっしゃるなんて、本当に勇気がおありですわねえ~」
「なっ……」
モード先輩の言葉に、たちまちロバート様の顔が青くなった。
一刻も早く帰りたそうな目つきで、私の腕をつかむ力を強める。
「ア、アシュリー、行くぞ!」
「ですから、私は……」
そのとき、私の隣に誰かが立ち、ロバート様の手を引きはがした。
隣を見上げ、目を疑った。
鮮やかなハニーブロンドに、凛々しい翠玉色の瞳。
白地に金と緑の、唯一無二の騎士服。
「緑陰の騎士」レナード様が、今までに見たことのないほど冷徹なまなざしをロバート様に向けていた。
強い力で腕を払いのけられたロバート様は、帯剣した騎士のレナード様から向けられる冷たい敵意に一瞬ひるんだ。
だが、相手が階級章を着けていないのを見て取ると、平民出身と踏んだのか、居丈高に叫んだ。
「そこをどけ! たかが騎士のくせに……私は子爵家の者だぞ!」
レナード様はまったく動じずに言葉を返した。
「それなら、生家の紋章に黄金の剣が入っている俺は、きみをたかが子爵家の者、と呼ぶべきだろうか」
レナード様は、胸ポケットから紋章の刻印された懐中時計を取りだした。
それを見たロバート様が、たちまちサーッと青ざめる。
紋章に黄金の剣を入れることを許された貴族家は限られている。
それは王国創立時に王家のために戦った証であり、数ある家門の中でも、五つの公爵家と十の侯爵家だけがその紋章を有する資格を持つ。
つまり、ものすごく高貴な家柄だということだ。
どうがんばっても子爵家が太刀打ちできる相手ではない。
うっとりするほど壮麗なレナード様の騎士服に階級章がついていないのは、貴賤を問わず人々の身近な存在でありたいという「緑陰の騎士」のコンセプトゆえだということを、ロバート様は知る由もなかったのだろう。
もちろん、レナード様がそんなに身分の高い貴族だなんて、私も知らなかったのだけれど。
レナード様は力強く命じた。
「今すぐここから立ち去り、二度と彼女の前に顔を出すな」
「は……はいっ!!」
ロバート様はほうほうのていでその場から逃げ去った。
総務部は、しんと静かになった。
それから少しずつ、通常の業務時間の喧騒が戻ってくる。
私は今しがた目の前で起きたことにぽかんとしていた。
レナード様が、さきほどとは打って変わった優しい声で私に尋ねる。
「ア……エルウッドさん、大丈夫?」
「は、はい、レナード様……あの……助けていただいて、ありがとうございました」
「間に合ってよかった」
彼は麗しいほほえみを浮かべた。
どうしよう、私はロバート様に会ったショックでおかしくなってしまったのだろうか?
こんなにかっこいいだけでなく、家柄まで非常に高貴であるらしいレナード様が、ただの事務員の私を助けに駆けつけてくれたなんて……そんなこと、現実に起こり得るのかしら?
ライラとモード先輩もそばに来て、声をかけてくれた。
「アシュリー、腕は平気?」
「災難だったわねえ」
「ありがとう、ライラ。モード先輩も、ありがとうございます」
お礼を言うと、温かな笑みを向けられた。
「まあ、同期が変な男に連れ去られそうになってたら助けるわよね」
「そうよ~。エルウッドさんはかわいい後輩だもの」
なんだか夢を見ているようだった。
総務部の同期と先輩が、そして憧れのスター騎士様が、理不尽に押しかけてきたロバート様から私を守ってくれたということがまだうまく信じられない。
ほんの二か月前まで、私は本当に一人ぼっちだったのに。
じわ、と滲みそうになる涙を必死にこらえた。
モード先輩が、レナード様を見上げて首をかしげた。
「でも、どうしてレナード様がここに?」
先輩も同じ疑問を抱いていたようでほっとした。
どうやらここにいるレナード様は、私の願望が見せた幻覚などではなさそうだ。
彼は、少し離れた場所にいるスミスさんをちらりと見てから言った。
「訓練場にいたら、総務部の人が走ってきたんです。総務部長のスミスさんからの伝言で『エルウッドさんの緊急事態なので、至急来てもらえませんか』と言われました」
「スミスさんが!?」
私とライラとモード先輩は、同時に叫んでスミスさんを見た。
総務部長が顔を上げて、悪戯っぽく笑った。
「レナードくんが今日訓練場にいるのは把握してたから、救援要請を送ったんだよ。うちの大事な職員が変な男に連れ去られたら困るし、貴族には貴族を、がセオリーだからね」
職員の私的ないざこざなどにはまったく興味を持たず仕事していたように見えたスミスさんが、まさか「緑陰の騎士」レナード様を呼んでくれていたなんて、驚きだった。
役職上、レナード様の実際の身分も知っていたのだろう。
さすがは総務部長だ。
でも、あんなに我関せず、という顔をしていたのに……。
ライラとモード先輩も、レナード様までも同じ気持ちだったようで、私たちは顔を見合わせ、声を出して笑い合った。
そのとき初めて、自分はここにいていいんだと、心から思えた。
父様を亡くして、生まれ育った屋敷も生きていくための財産もなくて、寄る辺のない不安に押し潰されそうだった。
でも今は違う。
ここが私の所属する場所で、私は皆と同じ騎士団のメンバーで、しっかり守られているんだと。
そう思えた。
△△△
それからレナード様はすぐに訓練場へ戻った。
私は何度もお礼を言い、彼を見送った。
スミスさんにも、お礼と仕事時間中に迷惑をかけたお詫びを言いに行き、声をかけてくれる同僚たちにもぺこぺこと頭を下げながら席に戻る。
みんな労わるような言葉をかけてくれて、この職場で働ける私は本当に幸せだとしみじみ思った。
夏至祭直前の忙しいときに個人的な事情で職場を騒がせてしまったので、それを埋め合わせるかのように、私はがむしゃらに仕事に集中した。
当日の展示用の装備品リストを確認して、一般客の立ち入り禁止区域の張り紙を作成し、来場者の動線を考えながら各出店の並び順を決める。
そのほかにもこまごまとした雑務が山ほどあり、一通り片づけたときには、すっかり夜が更けていた。
すでに総務部の人も皆帰ってしまっていた。
がらんとした居室の魔法ランタンの明かりを消して、扉に鍵をかけて一階の警備員に渡し、管理棟を出た。
空には明るい月が浮かび、星も輝いている。
だがその下の舗装道路にはまったくひとけがなく、フクロウの鳴き声だけが夜の森に響いている。
……いや、針葉樹の巨木の下に、人影が一つあった。
それを見たとたん、背筋がスッと冷えた。
まさか、ロバート様がまだいるの?




