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13.雨の日(2)

 私はちょっと驚いて、その男性を見上げた。


 こんなに空いているのにわざわざ私の隣に座ろうとするなんて、私に用があるということだろうか?

 その人が着ているのは騎士服でも事務員の制服でもない。

 とても上質な仕立ての、洗練された──宮廷服?


 輝く銀色の髪に、知性を感じる銀色の瞳。

 女性と見紛うほどの綺麗な顔立ち。

 年齢は、私とさほど変わらなそうだ。


「失礼ですが……もしかして、ルシアン第二王子殿下でいらっしゃいますか?」


 思い切って尋ねると、苦豆茶(カファ)を飲みかけていた彼はむせた。


「……すごいね。私の顔を知っていたんだ?」


 正解だったようだ。


「いえ、殿下が騎士団の参謀アドバイザーでいらっしゃることは騎士年鑑に載っていましたし、年齢的にも服装的にもそうかなと」

「騎士年鑑……? あの鈍器のような本を読む人間が実在するのか……」

「はい、愛読してます」


 褒められたようでうれしい。

 ルシアン王子は気を取り直したようにカファを一口飲むと、私に尋ねた。


「きみはレイの恋人?」

「えっ!? ち、違います。ただのご飯友達です」


 いきなり何を言い出すんだろう。

 私がレイさんの恋人だなんて、そんなことあるはずがないのに。


 王子はじっと私を見つめると、誘うように蠱惑的なほほえみを浮かべた。


「へえ。じゃあ、私がきみを王宮の舞踏会に誘ったら、一緒に踊ってくれる?」

「もしかして潜入捜査のお誘いでしょうか?」

「違う」


 即座に否定された。残念だ。

 それでは、第二王子がただの事務員である私に、なんの用だろう?


 ……ひとつだけ心当たりがあった。

 私が第三王子を庇って殉職した騎士団長の娘だから。

 父様は、ルシアン王子が大切にしているという弟君のキース王子を反乱分子から守り、命を落としたのだ。

 胸の奥がずきりと痛んだ。


 騎士の仕事に危険はつきものだということはわかっている。

 誰かの過失というわけでもないし、反乱分子はその場で近衛騎士たちに捕らえられ、すでに処刑されている。

 けれど、唯一の肉親を失った悲嘆は消えないどころか、強くなっているようにさえ感じる。

 そこに、ついに父から認めてもらえなかった自分の不甲斐なさと無念が加わっているから、よけいにたちの悪い痛みだった。


 父の面影を振りはらう。

 王子はそれ以上何も言わず、黙ってカファを飲んでいる。

 私は無難な質問をした。


「殿下は、レイさんのご友人なのですか?」

「ああ。貴族学院の幼稚舎からの付き合いだ」

「そうだったのですね。ではレイさんは、貴族学院から士官学校という、騎士の中でも一番のエリートコースを進まれているということで……将来は尉官以上は間違いないですね」

「まあ、そうなるだろうな」


 自分で言っていて寂しくなった。

 少尉から呼び出しを受けたというのは、つまりレイさんがただの新兵ではなく、生え抜きの士官候補ということだ。

 幼稚舎から第二王子の学友だったという事実がそれを物語っている。

 きっと生家はかなり高位の貴族なのだろう。


 レイさんは今は気軽に私とランチをしてくれるけれど、きっと、そのうち離れてしまう。

 彼が大尉になったときにも、私はただの事務員をしているのだろうから。


 私はよほど残念そうな顔をしてしまっていたのだろうか。 

 殿下が言った。


「きみも出世を目指せばいいだろう」

「出世?」

「ああ。よその騎士団には、女性の騎士団長も女性の事務局長もいる」


 考えたこともなかった。


 騎士団の長はもちろん騎士団長だが、事務方の長は事務局長だ。


 私は父様のような騎士にはなれなかった。

 父様を失望させたまま、死に別れてしまった。


 でも、もしも私が騎士団の役に立ち、事務局長とは言わないまでも、出世できたとしたら──

 そういうはっきりとした形で自分の力を示せたら──

 雲の上で、父様も喜んでくれるかもしれない。

 私を、認めてくれるかもしれない。


 黙りこんだ私を見て、殿下が釘を刺した。


「言っておくが、私が便宜を図るわけではない。努力次第で可能だということだ」

「……はい、もちろんです。ですがもし私が出世をしたら……騎士様たち全員に栄養のある差し入れし放題……? 五十年前のデザインのままの騎士服もリニューアルできる……? あっ、訓練場のくたびれきった武器と防具もごそっと新調できるかも……!」


 熱に浮かされたようにぶつぶつと呟き続ける私に、ルシアン王子が呆れたような視線を向ける。


「……きみの騎士団への愛はよくわかった」


 そこへ、レイさんが戻ってきた。


「ルシアン!? おまえ、ここで何して……」

「レイ。奇遇だな」

「何が奇遇だ。さっきの呼び出し、おまえの仕業だろう!」


 レイさんはなんだかとても不機嫌そうな顔で吐き捨てた。

 さすが幼稚舎からの付き合いだ。王子様を呼び捨ての上に「おまえ」呼ばわりなんて、普通ならできない。

 彼が生粋のエリートだという事実を改めて突きつけられ、私との距離を感じる。


 けれどそんな気持ちは押し隠して、レイさんに笑いかけた。


「おかえりなさい、レイさん」

「ただいま」


 レイさんがこちらを向き、ふわりと口の端をほころばせた。

 思わず、そのほほえみに見入ってしまう。


 きっとそのうち、離れなければいけない人。

 でも、今は、一緒にランチを食べられるこの時間を大事にしよう。


 それにもしかしたら、私が死ぬほど頑張って出世をすれば、これからもレイさんとご飯を食べられるかもしれないし。


 料理はすっかり冷めてしまったけれど、いつものようにおしゃべりをしながら、レイさんと私は楽しくランチを食べはじめた。

 そんな私たちを見て、ほおづえをついて苦豆茶(カファ)を飲むルシアン王子がぼそっと言った。


「……本当に付き合ってないのか?」

「何かおっしゃいましたか?」


 私が振りかえると、彼は生温い笑みを浮かべ、「なんでもない」と答えた。

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