6-11「宿屋の一時」
ギルドマスターから正式にランクアップ試験の依頼を受注した我らは、一先ずレイニーと待ち合わせした宿屋へと戻った。
既に客室に戻っていたレイニーが我らを迎えてくれる。
「お帰り。ランクアップは出来そうだった?」
「うむ。それが少々厄介そうだ。実はの――」
冒険者ギルドであったあらましを説明する。ミリーは説明を全て我に任せていた。彼女の中で咀嚼する時間がまだ必要なのだろう。敢えてそこには触れない事にする。レイニーも内容から大よそは察してくれている様子だった。
「……そう、二人が受ける事になったのね」
一通り説明し終えて、レイニーからの反応がそれだった。
「なんだ。知っておったのか」
「ええ。今の領主であるジャミエル・ロウバン卿に挨拶に伺った時に聞いたのよ」
元領主の右腕とはいえ、ル・ロイザを去った者に裏の事情を聞かせるとは。それだけレイニーが重用されていたという事か。それとも実はそこまで隠す事でもなかったのか。
「そっか。ねぇ、レイニーはどう思う?」
それまで沈黙を保っていたミリーが口を開く。迷った末に、レイニーの意見を聞く事にしたようだ。我も、レイニーならばどうするつもりかは少々興味がある。レイニーにとっても長年睨み合ってきた仇敵なのだから。
「それは依頼を成功させるべきかどうかという事?」
「うん……」
「待て。その答えは今聞くべきではないのではないかの」
レイニーが口を開くより早く、我は待ったをかけた。
興味がある事と今それを聞くべきと思うかは別の話だ。人の意見を踏まえるのは決して間違った行いではない。しかし、今回の試験内容を思えばそれには当てはまらないと思われた。
「……そうね。それが貴方達の昇格試験なのでしょう?」
「うう……そっか。そうだよね。あたしも分かってるんだ。どうするべきか考えるのが、あたしたちの試験なんだよね」
今回のランクアップ試験で最も厄介な事は、何が正解かが分からない事だ。依頼通りコンラッドを無事に護送する事か、同盟国の要望を受け入れてコンラッドを引き渡すか。
判断基準の内容によっては最悪の場合、我とミリーで昇格の合否判定が異なる可能性すら考えられる。であれば、周囲の意見に左右されないフラットな状態こそ最適解になる気がしてならなかった。
それに、期限的に余裕がない今の状態で考えるのは少々のん気が過ぎるかもしれないが、今後の成長を考えるなら、己の力量を推し量るという試験本来の役目を全うすべきだとも思われた。
ここで思い悩む事は、きっと後々の為になる。似たような答えに窮する事態に直面する可能性は、いつだってあり得るのだから。
「そういうサクラは大丈夫なの?」
「あぁ。我は問題ない」
レイニーから心配されてしまった。だが、我は既に答えを出している。
それが試験的な意味で正解となるかは分からないが、我ならばどちらを選ぶか、と問われれば最初から答えは決まっていた。
「そういえば、レイニーの用事とやらは済んだのかの?」
こちらの話は凡そ語り終わった。なので、今度はレイニーの用事について訊ねてみる。
我の問いかけにレイニーは本を一冊取り出した。
「ええ。ほら、この本を探していたの」
「なにこれ」
ミリーが何気なく手に取りページをめくりだす。中身を読んでいるという風ではなく、気まぐれに覗いているだけという感じだ。
色々と気を紛らわせたい気持ちもあるのだろう。
「メイナ・キューシオンが遺したとされる魔導書について記された本よ」
「メイナ……確かその名は聞いた覚えがあるの」
いつだったか確かに聞いた。だが、すぐには頭に浮かんでこない。
我が記憶を辿っていると、すぐ横でミリーが手を上げた。
「あれだよね、ほら。地獄への路で見つけた『黄の本』の著者」
ミリーの解答で思い出す。魔道具を開発したりあらゆる属性を使いこなしたりした伝説の魔法使い……だったはずだ。その著書を見つけた事でレイニーの普段する事が無いような歓喜の様相を見られた事が記憶に刻まれている。
「おお。よく覚えておったの」
「へっへー! 今回はあたしの勝ちだね!」
「勝負だったのか……」
どうやら早押しクイズだったらしい。とはいえ、元々勝負の気もなかった我に悔しみはなく。得意げに勝ち誇るミリーを微笑ましく眺める。
多少の気分転換にはなったようだ。この調子でミリーなりの答えに辿り着けられれば良いのだが。
「勝負じゃないから。えっと、『黄の本』を見つけるまで、この本の信憑性は薄いと思っていたの。だから置いてきたんだけどね」
「空想か妄想の類だと思っていたわけだの」
「そういう事。けど、本物が見つかったでしょ。なら、この本の内容も改めてみる価値があるんじゃないかと思って」
「ふむ。一つの発見によって価値が変化するというのはよくある話だの」
御伽噺だと思っていた物が現実に即した内容だった、などといった部類の話は枚挙にいとまがない。レイニーもそうした可能性を捨てきれず、フィクションだと思っていた本を手放せずにいたのだろう。
「というか、そんなものがあるならもっと早く言ってくれて良かったのだぞ」
レイニーの夢に近づけるかもしれない貴重な本。『黄の本』が見つかった時点で、本当なら取りに戻りたかったのではないか。
《蒼穹の夢狩人》のリーダーは確かに我が担わせてもらっているが、ユニオンとしてのありようは互いの夢を叶えるべく助け合う事。そこに遠慮は不要のはずだ。
「遠慮してたつもりはないわ。ル・ロイザに戻るって聞いた時まで忘れてたし」
「それならよいのだがの」
果たしてそのレイニーの弁は嘘か誠か。追及する程の事ではない故、誠であるとしておこう。
「ああ、闘技大会まではサクラたちのフォローを優先するから安心して」
「ふふ、そこは別に気にしておらんかったのだがの。そう言ってくれると助かる」
レイニーの夢を優先させてあげたい気持ちはあるが、今は闘技大会まで時間が無い。毎度の事だという自覚はあるが、此度もレイニーの言葉に甘えさせてもらうしかない。
「あのさ、コンラッドの護送は二日後だよね。それまではどうするの?」
ミリーから質問が投げかけられる。レイニーは今しがたの話通り、闘技大会に向けた準備に奔走してもらう事になる。だが、我はミリーと同じくランクアップ試験に臨む身。本来であれば、試験に対する備えをするのがベストだろう。だが、我は既に答えを決めている。護送任務そのものへの備えをしようにも、詳しい情報は秘匿されているため、対策の立てようがない。出来る事と言えば普通に武器と旅用品を用意する事くらいだ。そしてそれは数時間もあれば準備が出来る。
となれば、いっそ試験よりも闘技大会に備える方が賢明と言えた。
「我はガゼットの所に行こうと思う」
ル・ロイザに滞在していた時、長く世話になった相手であるガゼット。今回もまた、彼の協力を得ようと思ったのだ。
「ガゼット……工房主の方だったかしら」
「うむ。闘技大会に向けた準備の為にの。リア・ベスタでは最低限のものだけ依頼したが、ガゼットに頼めばもう少し色々用意できる事に気付いたのだ」
闘技大会に向けて、レイニーやリア・ベスタの鍛冶師に協力を要請して準備を進めている。しかし、それが考えられる全てではなかった。
他にも闘技大会を戦い抜く為のアイデアはあったのだが、納期や諸々含めて諦めていた物があった。しかし、ル・ロイザに戻ったならばガゼットの手を借りられる。少しでも闘技大会の勝率を高めるべく、協力を要請する事はレイニー達に報いる為にも必要な事だった。
あとは状況次第でランテのトムソンも訪ねたいところだ。とはいえ、竜化するには近すぎるし徒歩で行くにはやや遠い絶妙な距離の為、ガゼットの下を訪ねた後で考えるとしよう。
「二人とも予定ありかぁ。あたしはどーしよかなー」
ミリーはつまらなさそうに体を揺らす。暇を持て余していると言いたげだ。
「迷っているなら、考える時間にあててはどうかの」
気分転換も悪くない選択肢だが、いっそ迷いに迷う時間を設けるのも意味のある行為だ。少なくとも今回の試験においてはその方が正道だろう。ミリーに負担を強いるわけではないが、暇つぶしに難儀するくらいならと提案してみた。
我の提案に、ミリーは一度首を傾げ、それから意味深にニコリと笑みを浮かべた。
「ん? ……あぁ、大丈夫。ほんと言うと、あたしの答えは決まってるんだ。それでいいのかなって不安がないわけじゃないけど、多分考えても答えは変わらないから」
意外……でもない返答だった。ミリーは歳こそ幼いながらその実、冒険の経験は我らに勝る。似たような事態に直面するか、遭遇した経験もあったのだろう。
ただ、そこにミリー自身の選択が介入したかどうかは別だ。己で選んだ責任の重さを体感していないからこそ、今は迷いを抱えているのだと察する。
「そうか。なら、幾つか我の知るレシピを提供しようかの」
答えが決まっているのなら、これ以上迷えと言っても意味は無い。我がすべきは思考を研ぎ澄ませ、己が選択肢を信じられるよう安らぎの一時を与える事だけだ。
そしてミリーにとっての安らぎとは、やはり料理と向き合う事だと考える。そこで力になれる方法と言えば、前世から引き継いだレシピを提供する事以外浮かばなかった。
「アイスクリームとか? 貰っちゃっていいの?」
「別に秘匿しているものでもないからの。それに料理ならミリーの方が上手いであろう」
実際、我が驚きを提供できたのはこの世界において珍しい食べ物だったと言う点がほとんどだ。同じものを作るなら我よりミリーの方がよほど美味しく作れるに違いない。
食材を無駄にしない実力も含めて、ミリーに再現を頼む方が効率的というものだ。
「……試食はちゃんと私も呼んでよ」
「分かってるって! えっへへ、楽しみに待ってて!」
レイニーの冗談のようで恐らく本心な激励もあって、ミリーは満面の笑顔を咲き誇らせた。
こうして、我らはランクアップ試験に向けて、そして闘技大会に向けてそれぞれの準備を進めるのだった――