6-7「竜の背に乗って」
私達がサクラの背に乗りル・ロイザへ赴こうとリア・ベスタを離れて数刻が過ぎていた。
しかし、まだサクラは竜化していない。今はまだ、徒歩で街から人気の無い森の中へと向かっている最中だ。
何故かなどと問うまでもない。
街中で竜化でもされたらパニックが起こる事は明白だ。しかも今、リア・ベスタは多くの強者が集う地。勘違いからサクラが討伐されかけでもしたら笑うに笑えない。
その為、街を離れ人目に触れない場所に移動する必要があったのだ。
数度、魔物との会敵を経て、鬱蒼と茂る森の只中に開かれた空間を見つける。
サクラが竜化するのに丁度いい広さと人気の無さ。
理想的な場所の発見に、早速サクラは竜化の準備に入った。
時間がかかるのを見越し、私とミリーは周囲の警戒に当たる。何せサクラが竜化するには一時間以上の時を要する。その間は無防備なので目を離せない。
「でさ、結局レイニーはサクラに乗ってみたかったの?」
警戒は緩めずとも暇を持て余した様子のミリーから無遠慮な質問を投げかけられる。
私はため息をもって返答としたかったが、頓珍漢な推測をされるのも癪だと思い直した。
「二人だけで行かせるのが心配だっただけよ」
これは本心だ。サクラは良識があるようでスーパーロボットに関する事だとタガが外れやすい。そして常識に関してはやや欠けている面があると言わざるを得ない。ミリーは常識を弁えているが、感情を優先しがちな点はサクラよりも顕著だ。
目の届かない場所で何をしでかすか分かったものではなかった。
「またまた~。別に恥ずかしがる事ないじゃーん」
「あのね……私が言わなきゃ考えなしに街中で竜化しようとしてたでしょ!?」
無自覚なミリーに、既に起こしかけていた未遂の愚を指摘する。
そう。サクラたちは何も気にせず、リア・ベスタの中で竜化して飛び出そうとしていたのだ。
実際の所、私が止めずとも竜化を完了する前に二人のどちらかが問題に気付いたとは思う。それくらいの信用はある。しかし、もし理解が間に合わなかったらと思うと怖くて仕方がない。
「んぐっ……それはそれでしょ。だったら別についてこなくてもいーわけだしさ」
「前科があって目を離すのが怖いって言ってるんだけど?」
「むむむ……分かったよぉ。そういう事にしといたげる」
ミリーはいまいち納得していない様子だったが、それ以上は不利と悟ったか口を噤んだ。
――本当の所はどうだろうか。
確かに心配はしている。しかし、ギリギリで踏み止まるであろうとも思っている。
どちらも私の本心だ。では、何故私は二人を信じて任せようとしなかったのか。
あの時の状況を思い返す。
二人で行くとミリーに告げられた時、私は思わず動揺した。
何故動揺したのか。心配したからか?
それともまさか、寂しさを感じたとでもいうのか。二人に置いてけぼりにされるのを嫌がるような子供じみた感情があったとでもいうのか。
――それを否定できるほど、自分自身に嘘はつけなかった。
ただ、仲間外れが嫌なのか、それともサクラとミリーが二人きりになるのが嫌なのか、そこまでは自分でも断定できなかった。
自分の感情すらままならない様にため息の一つも出そうになっていた所で、不意に大きな影が全身を覆った。振り返ると、そこには見慣れた竜が立ち尽くし、こちらを見下ろしていた。
「すまん、待たせたの」
「また少し時間かかるようになった?」
無事、竜と化した様子のサクラに茶々を入れる。半分は自身の感情を誤魔化す為でもあったが、半分は真実の疑問でもあった。以前に比べ、竜化に至るまでの時間が長いような気がしたのだ。
「うむ。やはり我にとって真の姿は人間の方という事だの」
「なに言ってんだか」
当人であるサクラは然して気にしていない様子だった。竜の姿を忌み嫌っているという感じではない。ではないが、人の姿である事に重きを置いている発言は以前から見られており、少し気にかかっている。
私から聞くつもりはないが、いつか話してくれるなら嬉しいとは思う。
サクラがこちらに背を向け、尻尾から全体にかけて身を屈める。
「では乗るが良い。快適さは保障できんがの」
「じゃあ……失礼するわね」
「おおー、思ったより温かい」
サクラに促され、私とミリーはその背中へとよじ登った。
ミリーが感心するように、掌で触れるサクラの背中は温かい。
「我は一応火竜に属するらしいでの。冷えとは無縁なのはありがたい限りよ」
「あはは、なにそれ。冷え性知ってるみたいに言うじゃん」
「まあ、そういった話はよく聞くからの」
無邪気に笑うミリーに対し、私は引っ掛かりを覚えていた。ミリーの指摘は的を射ている。
どうしてこうも気にかかるのか。お互いに、望まない詮索はしない事は決めていた。誰しも隠し事の一つや二つはあるものだ。大切なのは今とこれからなのだと、納得したはず。
だというのに、いつの間にか気にしている。一つ引っ掛かる度に、その気持ちが強くなる。
――私の中に、サクラに対する猜疑心があるのだろうか?
いや、それは違う。それだけは断言できる。私の胸中に渦巻いているのは、そういった不快な黒いもやもやではない。
妹と再会した後、サクラは言った。時が来たら話す、と。だから、だろうか。その時を待ち望むが余り、一層気になってしまうのは。
「さて、そろそろ出発するぞ。しっかり掴まっているようにの」
出発を告げるサクラの声に、私は現実に引き戻される。
そうだ。今は余計な事を考えている場合ではない。
「ルートは覚えているわよね?」
「無論だ。人目に触れて騒ぎを起こさないよう注意せねばの」
サクラとミリーの二人だけでは心配だと告げたばかりだ。しっかりしなければ面目が立たない。
サクラには事前に、人通りの多い街道などを外れるルートを伝えてあった。理由は勿論、余計な騒ぎを起こさない為だ。
竜が通る事を事前にギルドに伝える手もあったが、サクラは竜人である事を隠してこそいないが公にもしていない。隠れる方向になるのは必然だった。
「それじゃ、出発しよー!」
「うむ。ではゆくぞ!」
ミリーの楽し気な宣言と共に、サクラの翼が大きくはためく。
ふわり、と宙に浮く感覚を覚えたのは一瞬だけ。
そこから急速に高度を増し、気付けばかつて経験した事のない高みへと浮上していた。
高さを確認しようと下を覗き込もうかと思った矢先、再びサクラの翼が力強く羽搏いた。
正面の風を切り裂くように加速する。
「あぼぼぼぼぼぼぼ!?」
あまりに急激な加速に、引き剥がされそうになる。
背後から私の腹部にしがみつく両手が伸びてきた。ミリーだ。ミリーもまた、吹っ飛ばされないよう踏ん張ろうと必死なのだろう。
二人して死に物狂いで耐えようとする中、更なる衝撃が私達に浴びせられる。竜の速度に追いつけない風が私達に直撃してきたのだ。
「ちょ……ま……」
何とかサクラを止めようとするも、声が上手く紡げない。
このままでは私もミリーも空に放り出される。そんな危機感に、私は何とか片手を前に突き出して魔力を練った。
「くっ……風の盾!」
風属性の防御魔法を展開する。本来は弓矢などの投擲物から身を守る為の魔法だが、周囲を覆うこの防壁が上手い事私とミリーを風の猛威から護ってくれた。
一先ずの安全が確保され、私のお腹を掴んでいたミリーの腕の力が緩む。
「あぶぶ……死ぬかと思った」
「サクラッ! 私達の事も考えなさい!」
ミリーの無事を確認し安堵したところで、サクラへ叱咤をぶつけた。
「うおう、すまぬ。ついはしゃいでしもうた」
つい、で命の危険に晒されてはたまったものではない。
それはそれとして、スーパーロボットに関する事以外ではしゃぐなど珍しい事もあるものだ。ましてや竜として空を飛ぶなどサクラには珍しい事でもないだろうに。
……いや、理由が違うのか。空を飛ぶことにはしゃいだのではないとすれば、何だろうか。
特別な事があるとすれば、私達が乗っている事か。まさか、本当にそれが理由だとすれば、許してしまうかもしれない。
「全く、ちゃんと気を付けてね……やっぱり私も一緒で良かったわ」
いや、何を私は気を緩めているのか。今後また同じような事をやらかさない為にもここは気を引き締めさせなければ。
自戒の意味も込めて、注意を促す。
「うん……レイニーごめん。あたしが間違ってたよ」
危うく身体ごと命を落とすところだったミリーも、私の言葉が正しい事を理解してくれたようだ。
サクラがこちらの方を伺うように振り返る。私たち二人の共感する様を、どこか気まずそうに眺めていた。多少は反省してくれているものだと信じたい。
「あー……では、少し速度を落とす代わりに高度を上げるかの。暫し景色を楽しむといい」
言うが早いか、サクラが大きく飛翔した。今までも山一つ軽く超える程の高さだったが、更に未知の領域へと昇っていく。私達は一瞬で、もう少ししたら雲も掴めそうなほどの高みに至っていた。
「うわぁぁぁ! すっご! 全部ちっちゃーい!」
「これが竜が見ている世界なのね……」
思わず私もミリーも遥か眼下へ視線を向けていた。
ミリーの言葉通り、何もかもが小さく見える。木々の一つ一つが葉っぱ一枚よりも小さく見える程だ。
手を伸ばして握れば、私達が住む町まで一掴み出来そうな気がしてくる。
こんなものを常日頃から見られるのであれば、それは他の種族など歯牙にもかけなくなるだろうと納得してしまう程に、全てがちっぽけに映る。
空を飛べるヒトは竜人だけではない。獣人の一部や魔人も飛べる。しかし、これほどの高度に至れる者は獣人や魔人の中には存在しないだろう。それだけ特別な光景なのだ。それを竜人はいつでも気軽にみられるのかと思うと、少しばかり嫉妬も覚える。
「そこまで見慣れているわけではないがの」
それほど凄くはないと言わんばかりにサクラが苦笑する。確かに、サクラは人間の姿である事を好んでいるし竜の力に然程興味もなさそうだ。空を飛ぶ事も便利だという事以外の感想を持ち得ないのだろう。
結局、どんな姿であろうとサクラはサクラなのだ。当たり前の事だけれど、改めてそれがわかったようで何故だか肩の力が抜けるようだった。
どんどんと変わりゆく景色の果てには何があるのか。期待と不安を胸の奥に秘め、私達はル・ロイザへと向かうのだった――