1-6「佐倉頼善」
西暦2XXX年。某所。深夜。
外は僅かに雪が降っており、月の光は雲に隠れている。
そこは真っ暗闇の空間だった。
光源はたった一つ。コンピュータのディスプレイだけ。
その唯一光を放つ画面には、複雑怪奇な文字が延々と打ち込まれ続けていた。
ディスプレイの前に、老いた男が一人。立ったまま一心不乱にキーボードを叩き続けている。
ギョロギョロと光る目は血走り、食事を忘れているのか頬は痩せこけ、着ている白衣は薄汚れていた。
そんな身なりを気にした様子なく、男はひたすらディスプレイと格闘していた。
男の名は、佐倉頼善。奇才と称される孤高の科学者だった。
呼吸すら忘れ、何かに憑りつかれているかのようだったその表情から、急に狂気が消えた。
一秒とて休む事のなかった指先が、まるで時間が止まったかのように動かなくなる。
その鋭い眼光だけが、ギラリとディスプレイの一点を見つめていた。
佐倉頼善が見つめるそこには0:00という数字が映っていた。
「……タイム……リミット……か」
佐倉頼善の全身から、糸が切れたように力が抜ける。立位すら保てず、落ちるように椅子に腰かけた。
そのまま背もたれに寄りかかり、呆然と天井を仰ぎながら誰にも届かぬようなか細い声を漏らす。
それは佐倉頼善が七十五歳の誕生日を迎えた事を告げる合図だったのだ。
佐倉頼善は目を瞑ると、遠い遠い過去へと想いを巡らせた。
佐倉頼善が初めてスーパーロボットと遭遇したのは、幼少の時分。テレビアニメだった。
地球を侵略しようと現れる宇宙人が放つ残虐な作戦と凶悪なロボットの群れ。既存の軍隊は成す術なく壊滅し、人々は蹂躙される。そんな中、唯一つ宇宙人のロボットに立ち向かう存在。それこそがスーパーロボット!
常識を超越した強力な兵器を全身に内蔵し、圧倒的な戦力で敵のロボットを駆逐していく。そのダイナミックな描写と清々しいまでの正義感を伴ったヒーローのかっこよさは、幼い佐倉頼善の心の奥深くにまで突き刺さった。
そうして幼き佐倉頼善が少年へと成長する頃、最初の分岐点があった。
スーパーロボットが現実には存在しない、という事実に対してどう向き合うか。
佐倉頼善少年の前に提示された選択肢は二つだった。現実の兵器……戦闘機や戦車のパイロットを目指す道が一つ。もう一つは自らの手でスーパーロボットを作り出すという道だった。
理想と現実の狭間で、佐倉頼善少年は悩んだ。大いに悩んだ。その間、実に三十秒。
選んだのはスーパーロボットの開発。既存の兵器に乗った所で、己が夢は果たされない事を理解していたからだ。
それから佐倉頼善少年が青年に、そして中年を経て老人となるまで、一直線のレールをひた走ってきた。その過程で幾つかの新技術を生み出し、幾つかの特許を取得し、幾らか世間から評価を受けていたが、まるで意に介する事は無かった。
天才奇才と持て囃された事もあった。俗世間から見た功績を鑑みればそれらは十分受け入れるに足るものであったはずだが、夢を叶えられぬままそう呼ばれた所で空しいだけだと一蹴した。だが、それまでの経緯を卑下するのもまた違うと思い直し、認められる点は認めるべきだと自覚した。
だからこそ佐倉頼善は『もう少しで天才』を自称した。
そうして夢を叶える為に走り続ける事半世紀以上。諦める事を知らない身でありながら、佐倉頼善は一つだけ限界を決めていた。
佐倉頼善にとって、夢はあくまでスーパーロボットを自在に操る事。決してスーパーロボットの開発ではない。操るには卓越した操縦技術と、激しい動きに耐え得る体力が必要となる。
七十を超え、老いさらばえていく身体でスーパーロボットの操縦が出来るものか。
だからこそ、佐倉頼善は七十五歳をタイムリミットと決めていた。そしてその瞬間が訪れる一秒前までスーパーロボットの開発に全力を注いだ。
だからこそ、七十五歳になった瞬間に全てをスッパリと諦める決断を下した。
佐倉頼善は脱力しながら、ぼうっとディスプレイを埋め尽くす文字の配列を眺める。
これまでの努力の結晶であるそれを、保存する事無く消去した。
代わりに。
隅に隠していたデータを引っ張り出す。
「これを使う日が来るとはな……いや、最終手段を使う事になるのもお約束か」
それは、無数の技術を世に出した佐倉頼善が、唯一誰にも見せる事のなかった研究成果だった。
その内容とは『魂の存在の実証』。佐倉頼善は魂が実在する事を証明していた。
同時に、魂の保全と記憶を刻み込む理論も完成していた。
魂の存在は、スーパーロボットに搭載する動力源の研究中に偶然発見された。それを世間に公表しなかったのは、悪意を持って利用すれば恐るべき事態になる事が予見された為だ。
それでもデータそのものを消去しなかったのは、それが必要となる日が来る事を予見していたからに他ならなかった。
魂に記憶を刻みそれを保全すれば理論上、転生が行える算段だった。
そう。今世での夢が潰えても、来世に賭けるという選択肢がまだ残されていたのだ。
ただし、あくまでそれは理論上の話。実験が行えるわけもなく、テストも不可能。ぶっつけ本番で挑むしかないものだった。
それでも、佐倉頼善に迷いはなかった。
現世にしがみついた所でただ朽ちていくのみ。ならば未知であってゼロではない可能性を選ぶのは必然だった。
「そうとも。私の夢は終わらない……私は夢を諦めない!」
――それからしばらくして、佐倉頼善は誰にも知られる事無くその人生を終えた。




