1-4「魔竜戦」
「さて、作戦は覚えたな?」
我と草原の導き手の三人は、洞窟を抜けて山肌に立っていた。
冷たい風が肌を撫でる。ずっと惰眠を貪っていた身としては、目覚ましにちょうどよかった。
作戦会議は既に終わり、今は魔竜の住む方角を眺めながら作戦開始のタイミングを計っているところだ。
「ああ、問題ない」
ラウルを先頭に、ニーダとルーナも確かな決意を込めて頷いていた。
「では魔竜退治を始めるとしようぞ」
作戦の開始を宣言する。
いざ、魔竜退治に出発――
「……」
出発――
「…………?」
出――
「どうか……したんですか?」
ルーナがきょとんと首を傾げ、ラウルとニーダが怪訝な表情を向けてきていた。
何も起こらない状況に疑問を持つ三人の気持ちはとても理解できる。
だが、我には我の事情があった。
さて。
どうしたものか。
「あぁ、いや。ちょっと気合を入れてた」
無論、これは嘘だ。
今、我は重大な問題に直面していた。
それは、竜への変身の仕方が分からない事だ!
どれだけ踏ん張っても、体は一向に人間の少女のまま変わる様子がなかった。
作戦は数パターン用意していたが魔竜の下へ向かうまでは共通で、我が竜化して飛んでいくつもりだった。
その最初の一歩に詰まってしまっている。
何故だ。
先ほどは自然に竜から人へと変化できていたというのに。
今はどれだけ竜へと変身しようとしても欠片も体が変わる様子は無かった。
落ち着こう。
一つ一つ状況と原因を考えていけば答えが見つかるはずだ。
そもそも、人化の魔法とは何か。
この世界ではどのような姿をしていようと、対話が出来る知恵と心があれば『ヒト』と認識される。その『ヒト』同士のコミュニケーションを円滑にすべく生まれたのが人化の魔法と言われている。
そして、魔法とはイメージを魔力が具現化するものである。
長ったらしい詠唱も、複雑怪奇な魔法陣も、イメージをより鮮明にする為の補助的存在でしかない。
それがこの世界の共通認識であったはずだ。
では、我が『できそこない』と呼ばれた理由は何か。
今ならばその答えが分かる。前世の記憶だ。
魔法はイメージ。それは『魔法などあり得ない』と思っていたら永遠に使えないとも言い換えられる。
我の前世は科学が支配していた。魔法など架空の存在でしかなかった。その前世の記憶が、心の奥深くに根付いていたのだ。
だとしたら何故、急に人化する事が出来たのか。
これも答えは簡単だ。前世の記憶が戻ったからだ。
前世の世界には人間しかいなかった。勿論、我も人間だった。
痛烈に舞い戻った前世の記憶が、無意識に我の姿を人間に変えたのだろう。
前世の姿と似ても似つかぬ少女の姿になったのは、竜人チェリーの魔力によるものだ。
魔力とは、個々人によって遺伝子のように情報が異なるものらしい。
故に、人化の魔法とは決して好きな姿になれるわけではなく、魔力に刻まれた情報を元に肉体を構築するものだそうだ。
ここまで振り返れば、いよいよ本題に戻る事が出来る。
我は今、どうして竜の姿になれないのか。
答えは既に出ている。前世の記憶だ。
我は今、自分が人間であると心の奥底から思ってしまっている。
竜としての自分を無意識に否定してしまっているが故に、竜への変化が出来ないのだ。
現状分析完了。
解決策は実に単純だ。今一度、竜としての自分を鮮明に思い出せばいい。
前世の記憶がいかに強かろうと、その倍近く竜の姿で生きてきた。惰眠を貪り無為に日々を過ごしてきたとて、その事実は変わらない。
深呼吸し、目を瞑る。
一つ一つ思い起こそう。
どんなものも簡単にかみ砕ける顎と牙。薙ぐだけでそこらの魔物を八つ裂きにできる爪。鉄も炎も弾き返す強靭な紅蓮の鱗。振り回すのが意外と楽しい長大な尻尾。大空を飛び回る為の巨大な翼。何のためにあるのか正直わからない無駄にいかつい角(だがかっこいいから気に入っている)。
そして、人間を優に見下ろす圧倒的な巨体。
「ルオオオオオオオオオ!!」
気付けば。
自然と咆哮が口から漏れていた。
瞼を開く。視界が高くなっていた。我は竜と化した。
長くなった首を回し、眼下へと視線を下げる。周りにラウルたちが控えていた。
「ア……あー……」
声帯が変わったせいで言葉が出し難い。何度か発声練習の真似事をして調子を整える。感覚を掴んだところでラウルたちに向かって声を発した。
「乗るがいい」
首の動きでラウルたちを背中へと誘導する。三人は顔を見合わせ、順に我が背中へと登ってきた。
「すまない。お願いする」
「うおおお……竜の背中に乗れるなんて夢みたいだ」
「本当は『ヒト』に乗るのはとんでもなく失礼な事なんですけど……」
真摯に振舞うラウルと驚愕に目を輝かせるニーダの後に続き、ルーナが申し訳なさそうに背中に跨った。作戦会議の最中にも出た話だ。
姿形を問わず心ある者を『ヒト』として扱うこの世界では、同じ『ヒト』を虐げるような行為は憚られるものとされるらしい。尤も、全ての国がそうであるわけではないそうだが。
「先にも話した通りだ。我は気にせぬし、有事である今は安全こそ優先されよう」
「そう……ですね。すみません。お気を遣わせてしまいました」
話が纏まったところで、一度大きく翼をはためかせた。
それは作戦開始の合図。
「では今度こそ魔竜退治だ!」
三人の冒険者を乗せ、我は大空へと羽搏いた。
魔竜の住む山は二つ隣。人間が徒歩で向かえば数時間はかかっただろう。だが、竜の飛行速度は人間の足と比べるべくもない。
ものの数分もかからずに一つ山を越え魔竜の住む山の上空に辿り着いていた。
空から山の中腹を見下ろす。眼下からは鋭くこちらを睨み返してくる視線があった。
魔竜だ。
我のより暗くくすんだ色をした鱗、一回りは小さい体躯、大きさや見た目で判断するのは愚の骨頂とは理解しているが、それでも十分に勝てそうな雰囲気はあった。
既に向こうもこちらに気付いていたようだ。今にも飛び上がってきそうな体勢で低く唸り声を上げている。
「これは……気づかれているな」
「見りゃ分かる事わざわざ口に出すんじゃねーよ」
我の背中でラウルとニーダが言い合っている。
「この場合はパターンC……ですよね?」
「うむ。その通りだ」
二人の後ろからルーナがおずおずと訊ねてきた。
魔竜との戦闘に向け、我らは事前に作戦を話し合った。魔竜が眠りこけていたならパターンA、起きていても不意をつけそうならパターンB。万が一先制攻撃を受けたならパターンD。そして敵に気付かれいた場合……すなわち今の状況ならパターンCというわけだ。
「彼奴も待ちくたびれておる。行くぞ!」
今はまだ威嚇するだけに留まっている魔竜だが、こちらが既に敵意を向けている以上、攻勢に出てくるのは時間の問題。
そうとなれば先制攻撃を仕掛ける方が得策というものだ。
背中からの返答を待つより早く、魔竜目掛けて急降下を行う。
魔竜もこちらの動きをただ見ているだけではない。
すぐに口を大きく開け、火山の噴火を思わせるような強烈な勢いの火炎……『ブレス』を吐き出してきた。
だがそれは予測済みの行動に過ぎない。
我は本来であれば無防備である腹を下に向け、全身でブレスを受け止める。
多少の熱さは感じながらも、我の鱗もまた炎の祝福を受けたが如き耐性を持っていた。魔竜のブレスでは大したダメージにならない。それは同時に、背中に乗せている冒険者たちの安全を確保する事にも繋がていた。
竜の生体は、人魔問わず変わらない。竜は高い魔力を有しているが、その肉体を維持する事にコントロールの多くを取られる為、そのほとんどが魔法は不得意である。つまり口から吐き出す『ブレス』としてしか魔法を体外に出す手段を持たない。
そして、竜の鱗はその色で大よその属性が示されている。我や眼前の魔竜は赤の系統。つまり炎。
これらの知識は全て、幼い頃に竜の里で聞いた事だ。
これだけの事前情報が揃っていれば、魔竜が『ファイアブレス』を放ってくる事は予想出来て当然だった。
初手のブレスを耐え切り、地表との距離が縮まったところで我は背中に合図を送る。即座に三人の冒険者が方々へと飛び降りていった。
魔竜の頭上を我が抑えている間に、三方向から取り囲む算段だ。
我はそのまま地表に降り立ち、正面から魔竜と取っ組み合う。
すぐさま左右からニーダの矢とラウルの風魔法が放たれた。ラウルは近接戦を主とする戦士のはずだが相手が魔竜……それも我が前衛を担っているなら接近する意味は薄い。
魔竜の背後からはルーナが氷の矢を生み出し射出していた。
ニーダの矢やラウルの風魔法に、硬い竜の鱗を貫く威力は無い。相性的にも最も効果がありそうなのがルーナの氷魔法だった。
「グオオオオオオオオオオ!!」
――が、魔竜はまるで彼らの奮闘を意に介する様子なく、我と向かい合っていた。
当然か。現状、彼らの攻撃は魔竜の歯牙にもかかっていない。
であれば最も脅威となる我に意識が集中しておかしくない。
しかし、それは我にとっては些か都合の悪い展開でもあった。
《草原の導き手》を共に連れてきたのは、彼らに活躍の場を設けてもらう為だ。竜退治を代わるだけなら我一人で十分だった。だがそれ故に、身動きが取り難くなっている。
さて、どうしたものか。
可能性があるとすればルーナの氷魔法だと思うのだが――
「ニーダっ!!」
「分かってらぁ!」
魔竜の左右から叫び声が轟いた。同時に魔竜の右目に向かい鋭い矢の一撃が迫る。
幾ら頑強な竜の体とはいえ、眼球は柔い。勿論、人間のそれと比べれば大きな差はあるのだが、迫る矢に対し咄嗟に顔を逸らすぐらいはする。
だが、それも予測済みの行動だったようだ。ラウルの放つ風の魔法が魔竜の左目を切り裂く。魔竜の動きに合わせ射線を整えていたらしい。
流石はユニオンを組む仲間といった所か。両名の息の合った動きに感嘆しながら、我もまた動き出す。
左目を負傷したじろぐ魔竜。その隙を逃さず喉元に喰らいかかる。
「グギャアアアアアアアアアア!!」
耳を劈くような叫び声が上がった。同時に魔竜の首が、尾が激しくのたうち回る。ルーナを初めラウルやニーダが大きく距離を取っていた。無理もない。もし一撃でも喰らえば致命傷となる威力が無差別に繰り出されているのだ。
だが問題は無い。敵の気を逸らすという十分な功績を得て、彼らの役目は終わった。後は我が魔竜の首を噛み千切れば事足りる。
一瞬、顎に全力を込める。勢いをつけて放り投げるように首を振ると、ぶちぶちと鈍い音を立てながら魔竜の首と胴体が分断された。
ズズゥゥゥゥン――
頭を失った魔竜の巨体が力なく倒れこむ。もうもうと砂塵が舞い上がった。
「終わったな」
我の一言で、砂塵の向こうで顔を覆っていたラウルたちがゆっくりと魔竜の方へと視線を向けていた。
「お……うおおおおおおお!!!」
「やった! やったぞおお!!」
「凄い……本当に魔竜を……」
三者三葉の驚嘆の声を聞きながら、我は一仕事を終えた実感を胸に空を見上げた。
太陽が沈みかけ朱色に染まりかけた空に、どこか郷愁の念を抱きながら――