3-15「コンラッドの失望」
コンラッド・デイブスは困惑していた。
リーベンの暴走はまだ良かった。コンラッドの望みとはかけ離れた行動を取られたとはいえ、結果としてはリックドラック・サンディルムをほぼ孤立した状態で眼前に連れてくることが出来た。
期待した展開に持ち込めた以上、過程には目を瞑ろうと思えたのだ。
リーベンの個人的な野望についても、どうでもよかった。せいぜい、引き込みやすい願望があって助かったと思う程度だ。リックドラックと戦いたい故にアルディス竜帝国への裏切りを決めたのは分かり切っており、そこさえ厳守すればリーベンは有用に使えると理解していた。実際、人質などという暴走はしても概ねコンラッドの想定通りに動いてくれた。
そして同時に、リーベンがリックドラックに敵わない事もコンラッドには分かっていた。
不満を覚えながらも何一つ変えようとしない。変わろうとしない。全てを壊す方向へと感情を向けていた。そんな輩が、リックドラックに勝てるはずはない。コンラッドはある意味でリックドラックを信じていた。
だからこそ、最終的に数の力を見せつけるというコンラッドの理想の邪魔にはならないと踏んでいたのだ。
故にリーベンが暴走しようがリックドラックに敗れようが、それは些細な事だった。
そしてもう一つ。
リックドラックに突如として生えた右腕。鋼の義手についても、コンラッドはむしろ歓待するつもりになっていた。五年前の意趣返しをするのに、相手が万全でないのは些か不満があったのだ。
戦力差を限界まで縮めていたのも、その分のハンデのようなものだ。そうして前回と極力変わらない状況にしようという意図があった。
だが。
「だが、これは違うだろう!?」
思わず声に出るほどに憤る。
コンラッドの瞳に映るのは、義手を飛ばして楽し気に笑うリックドラックの姿だった。
そのあまりに予想外な状況に困惑しながら、同時に激昂していた。
これは望んだ光景ではない。理想を汚す冒涜だと、コンラッドは吼える。
誰がこのような無作法なものをリックドラックに渡したのか。
目の前で吹っ飛ばされる無数の兵達のその奥で、リックドラックより更に奥で、高笑いする自称竜人の姿を捉えた。
『それ』がこの舞台を捻じ曲げた張本人だと確信したコンラッドの掌は、爪が食い込むほどに握り込まれていた。
その怒りが、コンラッドを逆に冷静にさせた。
既に理想の舞台は壊された。空飛ぶ義手をどうにかしなければ状況は変えられない。
だが、高速で飛び交う鋼の義手を破壊するには相当骨が折れる事は考えずとも分かる。
「十三番隊を出せ! リックドラックに直接ぶつける!」
コンラッドの指揮下の兵は、リックドラックとサクラを包囲している。コンラッドを基点とし、時計の形で番号を割り振っていた。つまり正反対であるル・ロイザに最も近しい場所が六を指す。
そのいずれにも含まれない十三番隊とは、後方に控えていた伏兵だ。他に十八番まで小分けした部隊が控えている。
ル・ロイザを攻めている兵数は実のところ二千ではなく、三千。スパイを通じてル・ロイザ側に伝えた戦力配分には僅かな嘘があった。ランテとリステに送った兵数は五百ずつ水増ししており、その分をこちらに回していたのだ。
理由はこうした不測の事態に備える為。
そしてもう一つ、温存した部隊には秘蔵の魔道具を持たせていた。リリディア神聖国を象徴する紋章を模した形の魔道具だ。その名も無敵鎧。
リックドラックが使う義手ほどのトンチキさはないが、安定した出力を誇る強力無比な魔道具。
コンラッドの前に、総勢百名程度の兵士が立ち並ぶ。
彼らこそ新しい魔道具を装備した精鋭中の精鋭。
何故ここまで隠していたかといえば、コンラッドの意地があったからだ。個人の力を数で圧倒したいという願いが、彼らを前に出す事を忌避させていた。
しかし、既に理想の舞台を壊された以上、温存する理由はなくなった。
「魔道具展開! 総員突撃せよっ!!」
コンラッドの号令によって、それぞれの兵士が魔道具に魔力を込める。
たちまち紋章から兵士たちの全身へと魔力が広がり、形を作っていく。あっという間に兵士の全身が淡く光る魔力で覆われた。
物理攻撃を無力化し、魔法攻撃にも一定の耐性を持つ防御結界だ。
コンラッドとて五年の歳月を、ただ五年前の再現の為だけに動いていたわけではない。
理想はあれど、それとは別に確実にリックドラックを討ち果たす為の手段も考えていたのだ。
そうして得た結論が、無敵の剣を無力化する手段を講じる事。それこそがこの魔道具を開発した意図だった。
魔道具の展開を終えた兵士たちが続々と走り出す。
コンラッドが残る後続を展開しようとした所、慌てふためく兵士の姿が目に入った。
「て、敵襲! 敵襲うう!」
「何事か!」
息せき切って近寄ってきた兵士に早急な報告を求む。
「ランテの方角より敵襲あり! その数およそ五百!」
「八から十一番隊に応戦させろ! その間に十四から十八番隊を援護に回す!
ル・ロイザからも本隊が来る。四から七番隊は撤退! 急げ!」
報告を聞いたコンラッドはすぐさま状況を理解した。ル・ロイザは監視しているので、そこから兵が出てきたとしたらすぐに把握できるはず。
にも関わらず不意を突かれたという事は、全くの別方向から進行してきた増援とみるべきだ。
ランテ方面から来たと言う事は、考えられるのはランテに向かっていたと見せかけ、一部を戻したという事。恐らく総数五百というのは間違いないと考えられた。それ以上の戦力をこちらに割いては、ランテの防衛が危うくなるからだ。
つまり、敵の総戦力は千五百。まだ十分な戦力差がある。
だがしかし、楽観視できる状況でもなかった。伏兵が動き出したと言う事は、本隊にも動きが見られて然るべき。城壁内に籠る千の兵力がいつ動き出してもおかしくなかった。
その為、挟撃に晒される危険性のある部隊に撤退指示を出す事にした。広範囲に展開した部隊はどうしても動きに遅れが出る。敵が姿を見せてから撤退を始めては遅いのだ。
包囲網が崩れる事よりも、味方の安全を確保する事を優先する。敵の大将が孤立している絶好の機会を手放す事は指揮官としては愚策と言えたが、コンラッドは躊躇わなかった。
それは味方の兵士に対する慈悲からくるものではない。
現状、形式的には包囲しているものの、木っ端の兵士では足止めにならない事が判明している。それならば無為に戦力を失う方が無意味だと考えたのだ。
コンラッドの指揮、そして兵の動きは的確かつ迅速だった。
伝令から命令が伝わるとすぐに対応した形を作っていく。
そこにミスは無かった。誰のミスも無かったのだ。
コンラッドが見守る中、ついに十三番隊の精鋭たちがリックドラックと邂逅しようとしていた。
接近に気付いたリックドラックが剣を構えて飛び掛かる。超速で降り下ろされた剣は、先頭の一兵士の頭に当たるもそこで急ブレーキがかかったように押し止まった。
リックドラックの瞳に驚愕の色が映る。
同時にコンラッドはほくそ笑んだ。魔道具が正しく機能している事に満足していた。
リックドラックはすぐさま後退し、警戒を露わに態勢を整える。
数で押し切る事は敵わずとも、リックドラックを倒す事は可能だとコンラッドが確信を持ったその瞬間――
ビシュウウン――
一筋の閃光が、無敵の結界に守られているはずの兵士の肩を貫いた。
「ぐあああああっ!!」
たちまち兵士の悲鳴が上がり、崩れ落ちる。
何事かと見開いたコンラッドの目に、得意げにメガネの縁に手を当てるサクラの姿があった。
「馬鹿な……! 魔法耐性も十分な結界だぞ!?」
目の前の光景を信じられず思わず吐き出した絶望とともに、コンラッドは思い出した。
盗聴防止の結界を透過する閃光の脅威。それはつい先ほど味わったばかりのものだ。それがまさか無敵鎧さえも貫通する特異性を持っているとは露ほどにも思わなかったのだ。
コンラッドが驚愕に震えている間、今度はリックドラックが無敵鎧に包まれた兵士の胸元に向けて義手を飛ばしてきた。当然、無敵の結界が機能してダメージは受けない。
ダメージは無い……はずだった。
「うああああああああああああっ!!?」
止められて尚、前へと進もうとし続ける義手が、やがて兵士の身体ごと遥か天上へと飛び上がっていく。
そうして転身した義手が、空中に放り出された兵士を上から地面に叩きつけるように落下した。
物理攻撃を無力化できるといっても限界はある。落下の衝撃までは抑えきれない。
強引に無敵鎧を突破してくるその様は、正に五年前を思い起こさせる所業だった。
サクラとリックドラック、二人の攻撃で無敵だったはずの精鋭たちが成す術なくやられていく。
奥の手が通じない想定外の事態に、コンラッドは次の手を考えあぐねていた。
「デイブス司令! あ、あれを! リックドラックが!」
だが、刻一刻と変わる状況はコンラッドを休ませてくれない。
いつの間にかコンラッドとリックドラックの間に阻む物が何もなくなっていた。数多の兵士が倒され、吹き飛ばされ、正面の守りを失っていたのだ。
開かれた視界の先に映るもの。それは真っ直ぐ鉄腕をこちらに向けるリックドラック……ではなく、その腕に首根っこを掴まれた竜人サクラの姿だった。
不敵な笑みを浮かべ、両刃の斧を構えるその姿はコンラッドを恐れさせるに十分だった。
「どーーんと行くぞーー!!」
サクラの嬉々とした声とともに、高速の鉄腕が発射される。掴まれたサクラをそのままに。
斧を振りかぶりながら一瞬で詰めり寄るサクラに、コンラッドは反射的に剣を構えた。
「くっ!?」
だが、加速度だけでなく元々のパワーでもサクラに分があった。力任せの一撃で、コンラッドの剣はあえなく宙を舞う。
サクラは鉄の腕から離れ、軽やかに空中で一回転し、無防備を晒されたコンラッドの前に降り立った。
「我はこう見えて平和主義での。すまんが、主を連れて行くぞ」
勝利を確信したように笑うサクラに、コンラッドは拳を振りかぶった。
「貴様の好きにやらせるものかよ!」
「その気概や良し。だが、素直に受けるわけにはいかんでの」
胴を狙ったパンチは、あえなく止められる。そのまま掴まれた腕を捩じられ、コンラッドは拘束された。
「は、離せ!」
「ハハハ、言われて離すと思うか? ……待った、これは悪役の台詞だの」
サクラは笑っていたと思えば急に眉をしかめる。その意味が分からず、コンラッドは一瞬呆ける。
その間に複数のリリディア兵をぶちのめしながら旋回してきた鉄腕が、背後に迫っていた。
鉄腕は再びサクラを掴む。サクラが拘束したコンラッドごと、持ち主であるリックドラックの方へと戻っていく。
数名のリリディア兵が止めに入るが、コンラッドを半ば盾にされた状態に対応が遅れる。僅かな躊躇は高速で抜き去られ、あっという間に鉄腕はあるべき主の右腕に、サクラとコンラッドを降ろして戻っていた。
「総員突撃! 私に構うな!」
コンラッドは声を張り上げる。例え自身の命が危うくなろうとも、それは彼にとって敗北ではなかった。
リックドラックを打ち倒す事で、個人の力が数に勝るなどという馬鹿げた出来事が、間違っている事を証明できさえすればよかったのだ。
しかし。
その思いが部下に伝わるかどうかは別だった。
コンラッドの視界に映る部下の誰も彼も、手を出そうにも出せず、混乱している様相を見せていた。
「何をしている! 私の身一つとこいつらを放逐する危険性、どちらが国の脅威となるか考えろ!」
故にコンラッドは部下を鼓舞する。コンラッド自身の戦力は低いとは言わないが決して高くもない。
それに対してリックドラックは言うまでもなく、竜人たるサクラも十分に上澄み。
どちらを優先すべきかは明白だった。少なくともコンラッドにとっては。
だが、それでもコンラッドごと敵を叩こうと前に出る者はいなかった。
それは敵を恐れてか、あるいはコンラッドの喪失を恐れてか。
理由が何であれ、コンラッドの目にはそれが臆病としか映らなかった。だからこそ、今一度叱咤の声を張り上げようとした時、その首筋を手刀が襲った。
「――がっ!?」
コンラッドの意識が急激に薄れゆく。
「そこまでにしておけ。よい部下ではないか」
完全に意識を失う刹那、サクラの煩わしくも優しい声がコンラッドの耳に触れた――




