3-14「正解」
「な、ななななな」
『私』がそれを見たのは、戦場から離れた木の上だった。
サクラのかけている眼鏡のようなものは初めて見たが、片眼鏡は一部の好事家が愛用している。そのモノクルを模した青色第二系統の氷魔法がある。遠視。
親指と人差し指で作った輪の中にレンズを作り、遠くを正確に見られる魔法だ。道具で代用できる為、使い勝手がいいとは言えない魔法だが、今この時は重宝する魔法だった。
裏切ったラギルを処した後、私は五百の兵を伴って転進した。真の決戦の地であるル・ロイザへの加勢の為に。
予測はついていた。コンラッド・デイブスの目的が何なのか、何故五年の月日を待った今に動いたのか。それらを考えていく中で徐々にだが形が見えてきた。
確信を得たのはリリディアの戦力配置を聞いた時だ。
そもそも、確実にアルディス竜帝国に侵攻したいのなら、ランテかリステに一万三千の兵を動員すればいい。
それだけでこちらは反対側の都市に常駐している千五百の兵は無駄になるし、ル・ロイザから出兵できる限界の六千を足しても七千五百。戦争は守る側が有利とはいえ、大した防壁もないランテやリステではほぼ倍の戦力差があれば敗北は濃厚だった。ただし、双方の被害も相応に大きくなっていただろう。
翻って、実際の動きはランテに一万、リステに千、ル・ロイザに二千だった。これの何がおかしいか。リリディア側にとって、どこを攻めるにも決め手に欠けるのだ。こちらが適切に兵を配置したら、防ぎきれてしまう。
とても五年をかけて練った策とは思えなかった。
もちろん数字が虚構である可能性も考慮したが、大きな嘘はすぐにバレる。ラギルというスパイに二重の罠を仕掛けた上、更に罠を仕込むとは考え難かった。
だから気付いた。ラギルの裏切りと真の戦力配置に気付くまでは言わば試験。こなせて当然の前提であり、突破できなければその時点で見切りをつける。
そして突破したその先に本命があるのだと。それこそがリックドラック・サンディルムとコンラッド・デイブスの直接対決だ。
敵大将であるコンラッドがル・ロイザ方面にいる事がその証左だ。本気で侵攻する気があるのなら、ランテの指揮を執っているはず。本隊を偽装する囮になるつもりだったとしても、元々サンディルム卿がル・ロイザを離れられない以上、その期待値は低い。
そこまで状況を見れば、後はもう答えは導き出せたようなものだった。
五年を費やしたのは、兵力の増強を待ったのではない。内通者の確保とサンディルム卿を引きずり出す手段を調達する為のものだったのだろう。
そうして五年前と同じ状況を再現する。
答えを見出した私は、相手のペースにまんまと乗ったふりをした。私とキミークがランテに向かえば、敵もその派兵が本気だと思うはず。その後、まだ引き返せるギリギリのタイミングでキミークから五百の兵を借りて反転した。
ランテの戦力比が七千五百対一万から五百減ったとしても防衛は可能だ。逆にル・ロイザの戦力比は千対二千から千五百対二千になれば、迎え撃つには十分な戦力となる。
その為にル・ロイザの近辺に戻った所でリリディア兵の哨戒を確認し、私一人が先行して状況の推移を見守っていたのがつい先ほどまでの状況だ。
内通者が他にいる事は予想がついていたが、状況を見るにリーベン・ソローだったらしい。かつてル・ロイザを守った英傑の一人が裏切った事は少なからずショッキングな出来事ではあった。
だが、それ以上に。
義手とは言え両手で二振りの長刀を自在に操るサンディルム卿の雄姿が、私の胸を昂らせていた。
噂にしか聞いたことのなかった最強の傭兵の姿を、この目で見られている。
数多の兵士を薙ぎ払い、強力無比なはずのリーベンを子供のようにあしらう。
五年間、夢にまで見た光景が現実のものとなっている事実が、私の目をくぎ付けにしていた。
それだけに。
「なんなのよあれぇぇぇぇぇ!?」
リーベンが突如サンディルム卿の娘であるミリーの方へと駆け出した直後。
サンディルム卿の義手が文字通り『飛んだ』事で、私は思わず叫んでしまった。
義手はリーベンを殴り倒し、次いでミリーを抱えていた兵士をノックアウト。大きく弧を描くように反転し、ミリーを抱えてサンディルム卿の右腕へと戻っていった。
その間、誰もがその状況を呆然と見つめていた。
当の本人であるサンディルム卿までも。
笑っていたのはサクラだけだ。
製作をしたのは私だが、こんな機能がついているとは露ほども知らなかった。
形状から義手である事までは分かっていたし、仕様にも腕の代わりとなる魔道具である事は記されていた。だからこそ、私はその発案に乗る事を決め、盗聴器を除けば最優先で開発を推し進めた。
完成すれば起死回生の切り札になると信じられたからこそ、サクラの設計に乗ったのだ。
それがどうだ。確かに私の想像通りに、見事に義手としての役割は完璧に果たしていたし、切り札になっていた。隻腕になって弱体化したと散々に噂されたサンディルム卿が、往年の姿を取り戻し無双する様を見せつけられた。
だがまさか、それだけに及ばないなどと誰が想像したか!
腕そのものが飛んでいくなど、誰が予想するものか!
そもそもサクラが設計する魔道具の詠唱文は難解が過ぎるのだ。
『電子回路』だとか『神経接続』だとか、分からない言葉だらけにも関わらず機能しているのが不思議どころか理不尽さすら感じている。しかも長い。一般の魔道具に比べ、五倍以上の文章が刻まれている。
一般に普及しているマジックバッグや盗聴防止魔道具などの詠唱文の分かりやすさを見習ってほしいものだ。
半ば呆れる私の見ている中で、サンディルム卿はミリーをサクラに預けると、再びその右腕を発射していた。超高速で飛んでくる鉄の塊というだけで脅威だというのに、それが自由自在に飛び回るのだから敵の恐怖は如何ほどのものか。
瞬く間に一人、二人、三人と殴り倒してサンディルム卿の元へと戻り、また次の敵を求めて発射される鉄の腕。
私は確かに期待していた。
かつて最強の傭兵と謳われたサンディルム卿が、今一度その名を取り戻し数多の敵を相手に無双する姿を、夢にだって何度も見た。それが二度と取り戻せない過去であり、叶わない夢だと知りながらも心の奥底で願ってやまなかった。
それが今、目の前に実現している――
だが。
だがしかし!
こんな形ではなかった!
私が思い描いたサンディルム卿の雄姿とは、鉄腕を飛ばしまくり嬉々として暴れまわる姿では断じてない。
二振りの長刀を携え、猛々しく敵陣に突撃し全てを薙ぎ払う姿のはずだった。
期待していたはずの、しかし期待とは大きく異なる雄姿を前に、私の頭は混乱を極めていた。
それでも何とか状況を見極めねばと遠視の精度を上げてサンディルム卿やサクラの戦いを見守る。
そこで気付いた。
「随分……楽しそう」
戦況は混沌としていた。
こちらは元より劣勢。サンディルム卿とサクラの二人がミリーを守りながら戦っている状況。
にも関わらず、サンディルム卿は笑いながら鉄腕を飛ばしている。サクラもその姿を見て随分と楽しそうだ。
サクラが楽しそうにしているのはいざ知らず、サンディルム卿のこれほどまで屈託のない笑顔を見たのは初めてかもしれない。娘であるミリーの前でさえ、穏やかな笑みを浮かべる事こそあれど爆笑する事はなかった。少なくとも、私が知る限りでは。
だからこそ。
いや、そうであるならば。
サクラが作り出したこの光景は、正解なのではないだろうか。
私の理想とした夢とは異なっていても、これで良かったんじゃないか。そんな風に思える気がした。
「おっと、見惚れてる場合じゃないわね」
ぼやぼやしているとリリディア側も平静を取り戻すだろう。
そうなる前に、こちらから次の手を打つべきだ。幸いこの混乱で、敵の哨戒も機能が滞っている。
今の内に伏せている五百と、ル・ロイザの千人を動かす準備をしなければ。
敵の撤退を促すだけではない。コンラッドを討つ。その為に私は私のできる事をしよう。
決着の時は近い――




