3-9「開戦」
リリディア神聖国に動きがあったと連絡が来たのは、まだ朝日がようやく顔を出した頃の事だった。
『私』はすぐにサクラや主要な人物を呼び出し、領主の屋敷へと向かう。
半刻ほどの間には、主だった者は全員揃っていた。
サンディルム卿を中心に、私とサクラ、リーベンとアイザーとキミークの三隊長。
こちらの戦力配分は普段と変わらない。ランテとリステに千五百ずつ、ル・ロイザには七千だ。
ただし、いつどこにリリディアが攻めても問題ないよう、援軍に動く準備は万全にしてある。
ランテもリステも、千五百の戦力があれば援軍を送るまでの時間稼ぎはできる。
後は、実際にリリディアがどこに攻め入るつもりなのか、最新の情報が来るのを待つばかりだった。
リリディアの作戦が開始されたのは、かの軍が動き出した事で判明した。
ル・ロイザとランテとリステ、どこを攻めるにしても極力距離が近づくギリギリの地点まで、リリディア軍が進行したという知らせを受けたのだ。
つまり、どこを攻め入るかギリギリまでこちらの混乱を誘おうという魂胆なのだろう。
これに対し、ル・ロイザはラギルを派遣した。ラギルは斥候として、群を抜いた速度を誇る。
ラギルならばこちらの援軍が間に合うまでの時間に情報を届けてくれると私を含め、皆が信じていた。
三隊長はいつでも出撃できるよう準備を万全にしており、サンディルム卿はどっしりと奥で構えている。サクラは飄々と我関せずといった風を装っていた。まぁ、サクラに関してはこれからはただの一戦力として戦って貰うばかりなので気にしない。
そして私はといえば、手の震えが止まらずに強く握り込んで誤魔化していた。
サクラはともかくとして、私だけが大規模な戦を知らない。肌で感じた事がない。だというのに、私の采配一つで大勢の兵士に犠牲が出る。否、兵士だけでなく市民にも被害が及ぶかもしれない。
その事実を前に、私は身を固くしていた。
「レイニーよ。少し良いかの」
「なんでしょう?」
いつの間にかサクラが傍に近寄ってきていた。作戦の確認だろうか。
「例の魔道具だが、完成したのだな?」
こんな時でも魔道具の心配か。肝が据わっていると思えばいいのかどうか。
いや、頼んだのは私だ。それに、今この時の為に用意したものだったはずだ。サクラが気にかけるのは当然だと思い直す。
「ええ。テストをする時間はありませんでしたが……設計図通りに造り上げる、という意味でなら完成しています」
「ならば、安心だの。勝利を掴む手はここにある」
サクラはそう言って、私の手を取った。誰よりも何よりも、勝利を信じて疑わない笑みを乗せて。その温かさが、強張った私の手を和らげてくれるようで。
「その自信が羨ましいです」
私は自然と微笑み返すことができていた。
「失礼します! ラギル様がお帰りになりました!」
直後、勢いよく扉が開き兵士から伝言が届く。その後ろにはラギルが立っていた。二人とも息せき切っており、それだけ急いでいた事が伺える。
ラギルはその場に傅くと、すぐさま報告を上げた。
「遅くなりました。最終報告です。リステが1、ランテが10、ここが2です」
普段のラギルらしからぬ口調から紡がれるその報告に、周囲がざわめいたのがわかった。ここでいう数字は千人単位の動きを指す。
リステに千、ランテに一万の軍勢が迫り、ル・ロイザにも二千の軍が近づいてきているという。リリディアの戦力は推定一万五千いるとされている。残る二千はトラシェッドを守る戦力だろう。
敵の戦力配分から見るに、ランテの奪取が目的なのは明白だった。リステとル・ロイザに少数の戦力を向けているのは、援軍を抑える為だろう。全力をもってランテで迎え撃とうとし隙を見せれば叩かれる。故に戦力を残さざるを得ない。
「……間違い、ないのね?」
「はい。どうしますか」
誰かが息を呑む音が聞こえた。ここで采配を間違えれば、最悪の事態に陥るだろう。だが、既に賽は投げられている。状況は考えるだけの時間を与えてくれない。一秒の遅れが千の被害を及ぼす恐れもある中、私は必死だった。
「……六千の兵をランテに動かします。よろしいですか」
導き出した答えを、サンディルム卿に進言する。
ランテは七千五百対一万。都市の防衛力と横合いからの隙を突く事ができれば十二分に戦えるはず。
だが、そうなるとル・ロイザは千対二千。戦力に倍の差が出てしまう。敵の主目的がランテの奪取と見れば、ル・ロイザでの交戦の可能性は低いとはいえ油断ならない数字だ。
しかし、サンディルム卿は迷う余地なく頷いた。
「それしかないな。キミーク、ラギル、二人はレイニーについてやれ」
「了解です」
「お任せ下さい」
ランテに出向するのは私とキミークとラギル。その意味を理解し、私達は手早く敬礼を取る。
すぐさま準備に走り出すキミークとラギルをしり目に、私はサクラの傍へと近づいた。
「サクラ……」
私はどこか、不安げな表情をしてしまっていたのかもしれない。
近づく私に対し、サクラはニヤリと不敵に笑った。
「留守は任せるが良い。何、主が帰ってくるまでは持たせてみせるわ」
場所が場所ならハッハッハと大笑しそうなサクラの態度に、どこか安心感を覚える。本当にサクラならばやってくれるという信頼があった。それはこの数ヵ月という短い時の間で育まれたものだろうか。
「頼みます」
私が言わんとしている事を理解してくれている。そう信じられるほど余裕な態度に、私は微笑みを返した。
一先ずの別れを告げ、手早く準備を整える。兵達の移動の準備は既に済んでいる。
あとは私個人の所用を済ませるだけだった。
どんな事態が起こってもいいよう、予め敵の行動予測とそれに対する対応策は紙に記してサンディルム卿に渡してある。だからこそ、右腕と呼ばれた私がル・ロイザを離れる事を許されているのだ。
私達の出立の用意も既に終わっており、ル・ロイザの備えも万全。
その中で残している私の所用とはなにかといえば、詰まるところ私自身の気持ちを落ち着ける事だった。
現在集まっている情報を改めて精査して振り返ってみても、作戦に不備は見当たらない。
サクラから勇気も分けてもらった。
それでも。
拭いきれない緊張が私の全身を強張らせていた。
一度、二度と深く息を吸い込み吐き出す。
それから普段は控えている甘いクッキーを一つ取り出し口に含んだ。
サクサクの食感とじわぁと広がる甘味が一瞬現実を忘れさせてくれる。
それからもう一度サクラの笑顔を思い出し、私は決意を新たに屋敷の外へと向かった。
サンディルム卿の屋敷を出てすぐ、キミークと共に部隊の指揮を執る。
私が無駄に時間を過ごしている間に、兵達はいつでも出られるように準備を完璧に終わらせてくれていた。
指揮を執ってくれたキミークに感謝しながら、改めて各部隊長へ確認と指示を出す。
「全軍、出撃! 目標、ランテ!」
私とキミーク、ラギルの三人と一部の隊長クラスは馬に跨る。
全員分の馬はいないので行軍速度が速まるわけではないが、上に立つ者を示すのに必要なわけだ。あまり乗り慣れていない故に、私としては徒歩の方が余程気が楽なのだが致し方ない。
ここからは休む間もなく、戦火に放り込まれるだろう。
意を決して、私達はル・ロイザを発つのだった――




