2-9「ラギル」
我がレイニー・キャスロックと契約した翌日、早速依頼があるとレイニーの呼び出しを受けた。
契約を交わしたのと同じく、レイニーの屋敷の執務室までメイドのロノッテに案内される。
扉を開き、執務室に入るとそこにはレイニーの他に見知らぬ男が立っていた。犬のような耳が頭についている、切れ長の目をしていて細身の体躯。獣人というやつだ。
男は鋭い目つきで我の方を見ていた。殺気などがあるわけではない。値踏みされている印象だ。
「すまない。待たせただろうか」
「いえ。時間通りです。早速ですが、依頼内容を説明しても?」
「ああ。お願いしよう」
展開が早くて助かる。契約である以上、こちらも適切に対応するつもりはある。とはいえ、魔道具に関する本を読み解くのが今の我にとって最も推し進めたい事項だ。それ以外の事はとっとと済ませてしまいたい。
「今回の依頼は、国境付近に出現したというエンペルボアの確認と討伐です。
ただし、リリディア神聖国の斥候の目撃情報もあります。彼の者たちに気付かれないようにお願いします」
仕事内容の説明を受けながら、一枚の紙を渡される。
件のエンペルボアに関する資料だった。大雑把にまとめるなら巨体で魔法を使う猪のようなものらしい。
それ単体なら然して問題は無いだろう。いざとなったら竜化すれば負ける事はまず無い。尤も、そうホイホイと気軽に竜化していてはこれから先やっていけないだろうが。なるべく人の姿のまま対処したいところだ。
「万が一、リリディアの兵とやらに気付かれた場合の対処は?」
「撤退を最優先で。最低ラインとして、エンペルボアの存在が本当かどうかが分かれば良いものとします。逆にリリディアの兵とは絶対に交戦しないでください」
理由は開戦の口実を与えたくないというのと、こちらの手札を見せたくない、といったところだろう。
つまり本当に警戒しているのはリリディアの兵であって、エンペルボア自体は脅威であってもオマケ扱いか。
「あと、今回はこちらのラギルと共に向かってもらいます」
レイニーの紹介を受け、黙して立っていた獣人の男が前に出る。距離が近くなり、我を見下ろす形になる。お陰で威圧感が一気に増したが、特に臆する理由は無いのでそのまま向かい合う。
「ラギル・ロッゾだ」
「我はサクラだ。よろしく頼む」
手を差し伸べ握手を求めたが、ラギルは完全に無視していた。
社交辞令くらいは出来た方がいいと思うのだが、それを諭す義理もないので無言のまま手を引っ込める。
レイニーも特に窘める事はなかった。我とラギルの関係に口を挟むつもりはないらしい。
仕事の成果以外に口出しされないのはある意味楽なので、ここは好意的に受け取っておく。
「我はいつでも行けるが、ラギルの方はどうかの?」
「当然、すぐに出る」
こうして、我の初めての指名依頼が始まった。
ラギルと共にル・ロイザを出て、街道沿いを南下していく。
道中、幾度か会話を試みたがすぐに途絶えてしまった。最低限の会話は出来ているし、仕事中に余計な話はしないタイプなのだろうと納得し、目的地に向かう事にする。
途中で街道から離れ、道なき森の中へと入り込んだ。
ラギルは流石にベテランといった様子で、周辺の地理に長けており迷う事無く先頭を進んでくれる。
しばらく捜索を続けていると、森の中に不自然に開けた空間が見つかった。
近づいてみると、そこが自然に作られた物でないことが分かる。
辺り一面に乱雑に倒れた木々があった。木材を求めた伐採などではない。力任せに薙ぎ倒されたと思しきものだ。
それも状態が比較的真新しい。ここ数日の間に起こったと見て間違いは無いだろう。
標的が近い事を確信し、我とラギルは慎重に周囲の様子を探る。
間もなくして、標的を捉えることに成功した。
数十メートル離れた地点に、全長三メートルは超えるであろう巨体の影がある。
巨大な牙に全身を覆う体毛、猪をそのまま大きくしたような姿が見えた。
「……あれがエンペルボアで間違いないかの?」
「あぁ……あの巨体、間違えようがねぇ」
「では、とっとと狩るとしよう」
ラギルの確認を得られた事で、早々に討伐の用意を始める。
背中に背負った二振りの斧を取り出した。
これはガゼットに頼んで作ってもらった我の渾身の武器だ。
「その斧でか?」
怪訝そうなラギルに問われた事で、否応なく我の心が昂る。
「くくく、これがただの斧に見えるか?」
「見えるが……なんだ、その含みは」
やや引き気味のラギルに構う事無く、我は二振りの斧を天高く掲げた。
「では見るがいい! そして驚くがいい!」
この二振りの斧は《ライトアックス》と《レフトアックス》。
細かく言えば分類上はハチェットと呼んだほうが正しいが、対となる片手で振るう片刃の斧だ。
しかし、これはただの斧ではない。
まずは双方の斧を、柄の底を軸に柄全体を真っ二つに展開する。
展開する事でロックが解除され、更に柄を伸ばす事ができる。
そうして伸びた双方の柄の断面部分を合わせる事で、長柄の両刃斧となるのだ!
「これが! 我が合体斧 《バトルハルバード》だ!」
近距離だけでなく、中距離にも対応可能!
状況に合わせて合体、分離する驚愕のギミック!
「……それ、何の意味があるんだ?」
だが、目の前で実演して見せたというのにラギルの視線は冷たかった。
「かっこいいだろう! それに、エンペルボアと戦うならこっちの方が戦いやすいはずだ!」
「武器を使い分けたいなら、マジックバッグでどっちも持って来ればいいじゃねぇか」
「ぐぬぬ……ラギル、貴様も浪漫を理解しない輩か」
正論だ。確かに正論だ。そこは認めよう。
マジックバッグという便利な物があるこの世界では、武器の交換も容易だ。
そんな中、補強してあるとはいえギミックの為、耐久性に劣る我が武器が歓迎されないのも理解はできる。
だがしかし。
だがしかし!
少しくらい浪漫を分かってくれてもよいだろうに!
「ええい! そこで大人しく見ておれ! この武器の凄さを証明してやる!」
悔しみを怒りに変え、エンペルボアに突撃する。
死角を突いたお陰で、気付かれる事無く先制を取った。大きく上段から振りかぶって胴目掛けて勢いよくバトルハルバードを降り下ろす。
ガッ――!
「なにっ!?」
一撃で両断するつもりで放った一撃は、分厚い体毛と硬い筋肉とに阻まれ弾かれた。
一度距離を取り、刃先を確認する。僅かに血が滴っている。全く通じていないわけではなさそうだ。
だが、人化した今では竜の姿ほどの力が無い。それに加え、エンペルボアが想定以上の防御力を持っていた事がこの結果だ。
せっかくのバトルハルバードのお披露目にケチをつけられてしまった。
呆然とする間もなく、エンペルボアからの攻勢が入る。猛突進しながら周囲に土塊で形成された槍が現れる。魔法攻撃を仕掛けてくるつもりのようだ。
「ええい! ならばこうだぁぁっ!!」
突進を食い止める術はない。直撃を避けるのが最優先と横っ飛びに避け、次いで迫る土の槍をバトルハルバードで薙ぎ払う。更に返す刃で再びエンペルボアへ斬りかかる。
一撃で足りないならば、数で勝負するしかない。
「うらららららららぁぁっ!!」
斬って、突進され、避けて、また斬ってを繰り返す。
やがて無数の切り傷を負ったエンペルボアは徐々に動きを鈍くしていった。
「ブモオオオオォォォ!!」
「ええい! うるさいわっ!!」
段々とペースを握っていき、そのたびに攻勢を強める。やがてエンペルボアは完全に倒れ伏した。
「どうだ! 勝ったぞ!」
「変形する意味は結局なかったけどな」
我の頼み通りか元から戦うつもりが無かったのか、高みの見物を決め込んでいたラギルに勝利を報告するも痛い所をまた突かれる。
「そこまでする必要が無いほど彼奴が弱かっただけよ!」
「……それにしても、かなり派手に戦ったな。聞こえるか? 足音が近づいてきやがる」
戦っている最中はエンペルボアの咆哮と音で気付かなかったが、確かに耳を澄ませると音が聞こえる。これは走る足音と金属音だ。
「……リリディアの者かの?」
「複数の……それもガチャガチャ鎧の擦れる音がしてるから間違いないだろうな」
「では撤退か」
エンペルボアの確認、そして討伐。とどめを刺すには至っていないが、必要十分な成果は上げた。
「全く、エンペルボアの死骸を回収すりゃいい金になったのによぉ」
愚痴るラギルだが、言葉ほど強く後ろ髪を引かれている感じはしなかった。
「とどめを刺している間に間違いなく見つかるの」
「他人事みたいに言いやがって……まあいい。目的は果たせたんだしな」
「ではとっとと帰るとしようぞ」
そうして、我とラギルはリリディアの兵と鉢合わせる事無く急ぎその場を後にした。
敵の気配もなくなり、十分な距離を稼いだことを確認できた頃、ようやく歩調を緩める。
森を抜け、街道沿いまで戻ったところで気になっていた事をラギルに聞いてみる事にした。
「しかし、エンペルボア……あんなものが近場に生息してるとは危険だの」
「まさか。ボア種の頂点に位置する魔物がそんじょそこらにいるわけないだろ」
「む? ではこやつの出所はどこだというのだ?」
「お前……魔物が自然発生する事も知らないのか?」
呆れた様子のラギルがそのまま特別講習を行ってくれた。
何でも、人と魔物の違いは知性の有無などが主となるが、それ以外に際立った特徴があるという。それが魔物の自然発生と特異個体の存在。自然発生とは、何もない空間に突如魔物が湧き出る事を指すそうだ。これは人里ではほとんど起こらず、自然の中でのみ起こる事象だという。故に『自然発生』というのだとか。
もう一つの特異個体とは、通常の魔物に比べて明らかに突出した能力を持った個体が生まれる事を指す。こちらも生殖行動より、自然発生で産まれる事が多いらしい。
故に、魔物の自然発生は熟練の冒険者ほど警戒するものだとか。
「――ほうほう。突然沸いて出てくるとは不思議なものだの」
「冒険者の常識だぜ。それを知らないお前の方が不思議だよ」
まぁ、我はCランクとはいえなりたてほやほやだから仕方あるまい。
などという言い訳は心の内に秘めておき。
我とラギルはル・ロイザに戻るのだった――