1-1「始まりはほんの些細な過ちから」
人里から遠く離れ、深い深い森林の更に奥。
人を寄せ付けぬ威風を漂わせる山々がそびえ立っていた。
その中でも一際天高い山の頂上付近に、全てを飲み込むかのような印象を受ける大穴が空いていた。その穴を前に、人影が三つ。
一人は長剣と盾を構える重装備の男……名をラウル。
一人は弓矢を携える痩躯の男……名をニーダ。
一人は真っ黒いローブに身を包み、樫の杖を両手で握る女……名をルーナ。
冒険者ユニオン《草原の導き手》として活躍する者達だった。
彼らの目的はただ一つ。近隣の村々を襲い、人々を恐怖に陥れた魔竜の討伐だった。
「クソッ……足の震えが止まらねェ」
ニーダが膝を抑えて弱音を吐く。その隣でルーナもまた杖に体重を預けながら全身を震わせていた。
「こんな強大な魔力を感じたの初めて……勝てるの、私達……」
ラウルは二人の肩に手を当てた。その視線は大穴の奥、そこにいるであろう敵を睨むように見つめている。
「それでもやらなくちゃならない。大勢の困ってる人達の為にな」
ニーダとルーナは揃ってラウルを見て、その額から冷や汗が流れている事に気付いた。励ましているラウル自身もまた怯えを感じているのは明白だった。
それに気付かれたのを察してかラウルはわざとらしくニカッと笑う。
「それに、だ。俺たちには切り札がある……そうだろ?」
ラウルの視線はルーナの懐へ。魔竜という恐るべき敵と戦う為に、彼らは決して無策でここまで来たわけではなかった。それを指摘するとニーダとルーナの表情は幾分か落ち着きを取り戻していた。
「そう……だな。そうだよな。俺たちでやるしかねェんだよな!」
「私も! もう迷わない。だって私達は草原の導き手だもんね!」
三人の意思が固まる。意を決した三人は震えを押さえつけ、大穴へと足を踏み出した。
大穴の中は驚くほどに静かだった。魔物一匹見当たらず、罠の類も一つも無い。
彼らにとっては朗報のはずだったが、過ぎた静けさは逆に不気味さを醸し出しており、たった一つ存在する圧倒的な力をより一層感じざるを得なかった。
「魔竜……もう近いな。へへ、討伐したら俺たちもドラゴンキラーか」
ニーダが軽口を言い放つ。それは緊張を解す為に敢えて口にしたものだとラウルもルーナも分かっていた。
「そうだな。だが、目的は称号を得る事じゃない。人々の脅威を取り除く事だ」
「分かってるって」
ラウルはニーダの軽口を諫める。緊張を緩和してくれた感謝はあれど、これから挑む戦いを前に気を引き締める必要もあった為だ。
「……二人とも、あれ」
ルーナが前方を指差し、足を止めた。
三人の視線の先には洞窟内とは思えない陽光が差し込んでいる空間があった。同時に、息さえ凍るのではと錯覚するような威圧感がそこから発せられていた。
誰ともしれぬ息を呑む音が響く。
三人は慎重に空間へと近づいていった。
空間の入り口まで足を運んだ三人は、恐る恐るその先の様子を伺う。
そこは天井がなく、遥か大空が見渡せる空間となっていた。
日の光に晒される空間の中央に、『それ』はいた。
人の数倍を誇る体躯、鋼を思わせるような硬い鱗で体表は覆われ、巨大な翼と長い尾っぽを丸めて蹲るそれは、間違いなく竜……ドラゴンそのものだった。
「あれが魔竜……」
「なんだ、寝てるのか? チャンスじゃねぇかよ」
好機と見たニーダが冷や汗を垂らしながら笑みを作っていた。
「本当に寝ているのなら、ね。あれだけの存在、私達の事なんてとっくに気付いているんじゃない?」
「逆にレベルが違い過ぎて、俺たちなんて歯牙にもかけてないかもしれないぜ」
「どっちだとしても、俺たちの選択肢は一つだ」
戦う以外の道はない、とラウルが結論を口にする。
「分かってるって。けどよ、実際どうする?」
「俺が近づいて様子を見よう。
ニーダは援護、ルーナは切り札の準備を頼む。
もし、魔竜が本当に寝ていると確信が持てたら合図を送る。そうじゃなかったら――」
ラウルは天を仰いだ。差し込んでくる日差しは暖かけれど、その穴は竜一匹が通るには手狭に見えた。
「空に追い込もう。あの大きさなら避けられないはずだ」
「簡単に言ってくれるねぇ。ま、やってやろうじゃないの!」
「分かった。絶対に当てるから……二人とも無事でいてよ」
三人は互いに頷き合い、戦闘準備に入った。
ニーダは壁際に立ち、いつでも弓を弾けるように待機する。
ルーナは《切り札》たる魔道具を両手に抱く。
そしてラウルは汗を拭いながら、気配を押し殺し慎重に魔竜へと近づいていった。
ラウルは一歩、また一歩と魔竜との距離を詰めていく。
その間、魔竜に動きは無かった。目を瞑ったまま、呼吸のためか僅かに身体が揺れているだけだ。
ラウルの目には本当に寝ているように見えた。それでも、油断をするわけにはいかなかった。
何故なら、ラウルたちの切り札たる魔道具は一発限りの代物だったからだ。
魔道具。それは魔法の込められた道具を意味する。
魔石に込められた魔力を用い、道具に刻まれた呪文の効力を発揮する仕組みだ。そしてラウルたちの所持する魔道具には《竜殺し》の異名を持つ高出力の閃熱魔法が刻まれていた。
だが、強大な魔法はその分より多くの魔力を消費する。
ラウルたちの持つ魔道具に装着された魔石は、《竜殺し》を扱うには僅かではあるが質が足りていなかった。故に、一度使えば壊れてしまうと目されていた。
ラウルと魔竜の距離が更に近づく。魔竜が尾を伸ばせば届く所まできていた。
魔竜はいまだにすぅすぅと寝息をたてている。
それ以上進めば、本格的な交戦は避けられなくなる。ラウルは一度立ち止まり、息を呑んだ。
一瞬でも気を抜けば襲われるかもしれない恐怖が、彼の視線を魔竜から離さない。しかし、ふとそこでラウルに疑問が湧いた。
魔竜が眠るこの空間にあるのは、陽光を取り込む天井の穴だけだ。後は何もない殺風景な空間でしかない。
だが、事前に竜退治の依頼を受けた時、ラウルはギルドから町や村で大勢の人や家畜が襲われた話を聞いた。それはその場で食い荒らすだけでなく、連れていかれた者もいたという。だというのに、人や家畜の一部のみならず骨一つ見当たらない。ここまでの道のりは一本道で、奥に蓄えをしまう部屋がある様子もない。
そこまで考え、ラウルは頭を振る。今はそんな違和感に捕らわれている時ではないと思い直したのだ。
意を決し、ラウルは一歩を踏み出した。
その瞬間。
魔竜の目が、開いた。
「ッ! ラウルッ!」
逸早く動いたのはニーダだった。ラウルの後方から一本の矢が魔竜の目に吸い込まれるように飛んでいく。
だが、魔竜の動きは素早く鋭い鉤爪のついた腕で矢を振り払った。
その隙を突いてラウルが剣を手に駆け出す。大きく振りかぶる一撃を、魔竜は翼を羽搏かせ飛び上がりかわした。
奇襲は失敗。その事実がラウルたちに焦りをもたらす。
魔竜が口を開いた。
竜は魔法を苦手とする。それは決して使えないという意味ではない。炎を球形に形作ったり、氷を棘にして射出したりするような変化が上手くないだけだ。
代わりに、膨大な魔力をそのままに吐き出す事だけは出来る。それを竜の息……ブレスという。
ラウルは高熱のブレスが迫る事を想像し咄嗟に大きく退いた。
その隙を作ろうとするように、ニーダが更に無数の矢を放つ。
魔竜は迫る矢を薙ぎ払い、同時に飛び上がった。
懸念していたブレスによる攻撃がなかった事に安堵しながら、ラウルはその隙を逃すまいと追撃の魔法を唱えた。ラウルの左手から真空の刃が解き放たれる。
そこらの魔物なら深々と傷つける事の出来る威力のはずだったが、魔竜に命中したそれらはそよ風のように鱗を撫でるだけだった。
しかし、魔竜へのけん制にはなったようで、魔竜は更に上空へと羽搏く。竜一匹を通すには狭い、天井の穴を目指している様に見えた。
「逃げるつもりか……!?」
戦力差で言えばまだまだ魔竜の方が圧倒的優位。それは魔竜とて理解しているはず。
だが、それはラウルたちにとって好機だった。今ならば、切り札である《竜殺し》の魔法も避けられまい。
ラウルの視線がルーナへと向けられる。
既にルーナは魔道具の発射体勢に入っていた。
「今だ! ルーナァッ!」
「分かってます! 《竜滅砲》!!」
ルーナの叫びに呼応するように、その両手に抱えられた魔道具から強烈な閃光が迸った。
それは彼ら三人の冒険者のみならず、魔竜さえも思わず目を覆う程の強い光。
巨大な魔竜の全身さえも飲み込むほどの光が、天に向かって伸びていった。
あまりの眩さに目を覆いながらも、ラウルは光の行く末を見定める。魔竜へと直撃する瞬間をその目で確かめる為に。
だが――
「な、なんだ!?」
ラウルは驚愕に目を見開いていた。
何故なら。
竜滅砲の光が魔竜に直撃する瞬間、魔竜の姿が消え去ったからだ。
ラウルは己が目の見間違いを疑った。
ほんの僅かな間をおいて、竜滅砲の効果が終わると共にその痛烈な光も消える。
その直後、ラウルは……いや、ニーダとルーナも、それを見た。
魔竜がいたはずの空間から落ちてくる一人の少女の姿を。
猛る焔の色をした長い髪、目を瞑っていても分かる整った顔立ち、深窓の令嬢を思わせる細身の体。
どこからどう見ても、この場に似つかわしくない愛くるしい少女。
「魔竜じゃ……ない?」
「うそ……竜人……?」
誰とはなしに思わず口から零れるのは、今まで相対していた敵の認識が間違っていたと言う事実。
魔物の中でも最上級に位置する竜型の魔物ではなく、竜型ではありながらも知識と感情を人と同じくする存在……竜人。
さて。
この物語は、ラウルたち三人の冒険者《草原の導き手》の活躍を描いた冒険譚ではない。
この物語の主役は、ラウルたちに誤って討伐されかけた哀れな竜人。
これは、落ちこぼれと呼ばれた竜人、サクラ・ライゼンの旅の始まり。
これから始まる冒険譚の序章である――
【お願い】
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3話まで一時間置きに連続更新、以降一章終了までは毎日更新、その後は週二回(水・土)更新を予定しています。
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