Nについて
Aの日記を読み終えた時、既に夜も終わり明け方になっていた。
「………………もう今日は仕事休もうかな。」
Bは日記を端に寄せると机に頬をつけるようにして突っ伏して、机の上で顔を転がすようにモダモダした。
そうしながらNの事を考えていた。
◇◇◇
NはBの助手を勤めていた人だ。
頼りになる助手であり、友人だった。
Nは魔力量だけで言えば、 U以下のアルファベットに納まる方が適切といえる魔術師だった。
だがNは《書類分類の魔術》に長けていたし、非常に魔術のセンスが良かった。最小限の魔力で最大限の効果を出す為、中位の魔術師と同等の魔術を扱う事ができた。
更にペーパーテストの点数もずば抜けて良かった事で魔力量からすると異例の「N」大抜擢となり、選ばれたと同時にBの助手に納まった。
人的なミスがなく書物や書類を分類できる《書類分類の魔術》は、地味だが複雑な業務や忙しい業務の人間全てが欲しがる力だ。
しかし希少な能力で、正確に扱える魔術師はほぼいない。
同世代の魔術師でこの魔術を使いこなすことができるのはAとB以外だとMとNだけだった。Mの方はアルファベットの序列相当の魔力もあり、既にAの助手を務めていた。
Bは当時まだ新人に近い立ち位置で、意欲に燃えていた。
B自身も苛烈な業務量だったが、その下準備や書類整理、その他細かいサポートまでするNの仕事量も大変なものだったと思う。
Nは次から次へと湧いてくる仕事をひとつずつ正確に把握し、こなしてくれた。
当時《魔術紙》研究の立ち上げ時期で残業も多かったが、Nは懸命に業務を遂行してくれた。
BとNは仕事を通して出会った間柄で、主に忙しく仕事をしているだけだったが、
しかし誰よりも長い時間共に過ごしていたし、昼を抜いた日でもお茶の時間は毎日一緒に休憩した。
成果の報酬が出た日の夜は連れ立って食事に行った。
休憩時間は仕事以外のお互いの話をして、和やかに過ごした。
Nは優秀な助手で、穏やかな気質のいい奴だった。
Bは順風満帆な思いでいた。
だがそんなある年の雪が降ったある日、Nは残業した仕事帰りに偶然の事故で死んだ。
Nの死は翌朝遺体を発見した人が通報した事で明らかになり、死因についてもすぐに証拠が集まったが、何故魔術師のNが魔術で誰かに連絡を飛ばさなかったのか、引き続き調査がなされた。
誰かに連絡さえできていれば、確実に助かる事故だったからだ。
そして調べた結果、1日に残さなくてはならない規定量をはるかに下回る魔力しかNの体内に残っていなかった事が発覚したのである。
Nは魔術が使えない状態だった。
魔術師達はそれぞれ、一日の内で使っていい魔力量というのは大体決まっていて、一定の魔力残量を残さなければならないという暗黙のルールがある。
Nは少なくともその晩Bに申告せず、自分の魔力の限界をはるかに超えた仕事をしていたという事になる。
Nの事故は偶然で、魔力の使いすぎは自己責任だった。
しかし事故さえなければいつも通りの生活だったはずなのだ。
N自身もそう考えて、あの日、無理をしたのだろう。
いや、本当にあの日だけだったのだろうか?
もしかしたらああした事はよくあったのではないだろうか。
真実はわからない。
だが、Bは自分がNにしていたかもしれない事に正気ではいられなかった。
Bは事故があってすぐNの家族に謝罪に行ったが、泣き腫らした目をしたNのご両親に
「魔力の調整は自分で調整するものだから貴方の責任ではありません。」
と言われ、謝罪を受け取ってもらえなかった。
Bは気が狂いそうだった。
Nが優秀だった事に甘えていたのだ。
「Nならば大丈夫だろう」
という自分勝手な期待と思い込みで、Nに無理を強いていたのだ。
自分の助手をこんな目に遭わせておいて何が市井の人々の生活向上だ。
Bはそう自嘲したが、Nと目指した目標を投げ出す気はなかった。
それからBは死に物狂いで《魔術紙》を完成させた。
Bが1番最初に成功させた《魔術紙》は、魔力を貯めておく術式が描かれたものである。
これはメモ帳程の小さな紙だが自分の魔力を貯めておく事ができる優れもので、紙を破ると同時に魔力が紙から解放され、自分の魔力を回復させる事ができる。
魔術師が非常時に使うの為の便利アイテムだ。
Bはこの魔術紙が完成すると、定例会で全ての魔術師に配布した。
本当はあの夜のNにこそ持っていて欲しいものだった。
しかしもう遅い。
Bはそれからも死に物狂いでNと叶えたかった目標の成果に向けて邁進した。
それでそれから、
うまくいった事もあったが、まあ、結果は今の通りである。
◇◇◇
「最近ようやくわかった事があるよ。私は君を失った喪失感や罪悪感に耐えられず、現実逃避の矛先をAへの嫉妬に向ける事で誤魔化していたんだな。」
BはNの墓の前で、苦笑した。
「私は君の死と正面から向き合うことができなかった。」
実際、耐えられなかった。
Nの死後、Bは狂ったように研究に没頭し、その頃からAへ逆恨みを募らせるようになっていった。
その時間無しに今の成果があるとも思えないので、良いとも悪いとも言えない所ではあるが。
──君と向き合うまでに随分時間がかかってしまった。
「N。優秀な君を失って、申し訳なく、辛かった。君という大切な友人を失って、悲しい。」
N、すまなかった。
言葉にすると、涙が出そうになった。
Bは長年、こんな言葉すら言えなくなっていた。
N。君がいなくなってさびしい。君の死が悲しい。
君と仕事に邁進する日々は楽しかった。
君は最高の助手で、かけがえのない友人だった。
自分は若く、他人の状況を見る事が下手だった。
できるフォローはいくつもあった。過ぎてしまったからこそ、沢山見える事がある。
自分は関係のないAに嫉妬することで、こうした事から目を逸らしていたんだな。
辛い。申し訳ない。悲しい。
後悔ばかりだ。
だが、もう目はそらさない。
この辛さと後悔を受け入れる。
◇◇◇
「やはり貴方でしたか。毎月Nの墓に花を供えてくれていたのは。」
後ろに気配がしたと思ったら、MがBの隣にいた。
Mも花束を持っている。
「ああ。」
「ずっと家族で言っていたんです。定期的に花を供えてくれる、この律儀な人は誰だろうかと。」
Mの花束は風で煽られた様に乱れていた。
いつも綺麗に撫で付けているMの短髪も少しボサボサだ。
今日は風が強い。
恐らくMは遠目でBの姿を見て、しばらく離れた所で適当に時間を潰してくれたのだろう。
「……君はいい奴だな。」
Bは言った。
「兄弟だからか、やはり似ているな。Nもいい奴だった。」
「Bは知ってらっしゃったんですね。Nが私の弟だったと。」
MはBの言葉に驚いた。
「当たり前だ。」
逆に何故知らないと思うんだ、とBは呆れた声を出した。
「隠してもいなかっただろう。」
「それはそうですけど。」
MはBを見た。BはNのお墓を眺めている。
「すまなかった。」
Bは言った。
「貴方のせいでは無いですよ。本人の責任です。それに貴方は、Nの為に沢山の事をしてくれたではないですか。」
Mは言った。
「B。Nは貴方の事を尊敬して、仕事に心からやり甲斐を感じていました。アイツは幸せな奴ですよ。今もこうして貴方に大切にされている。」
◇◇◇
それから数日後、Mは街で旨い焼菓子を買う機会があり、ふと気が向いて2人分購入した。そしてその足でBの自宅研究室へ向かった。
「街でうまい焼菓子を手に入れたんです。お茶にしませんか」
「ああ、いいな。」
Bの自宅を訪ねると、Bの家のカーテンが珍しく開いていた。
ちょうど西陽が強く、逆光でBの顔が見ることができない。
本当に眩しい。
窓の大きい家も考えものだな、とMが思っていると、Bが
「M」
と言った。
「はい。」
「決めたよ。明日王宮へ行ってAの業務を引き継ぐ。それから進めたい事があるから、君には魔術師達Zまでの情報を集めて欲しいんだ。」
Bは手を差し出した。
「M、君さえ良ければ、これからは私の助手になってくれないか。これからの仕事を考えると、私には優秀な助手が必要だ。」
Mが握手をする為に近寄ると、ようやくBの表情を確認する事ができた。
Bは穏やかな表情で微笑んでいた。