第七話 新人の野山羊
ダンジョンの浅い階に出る僧正について調べる。だが、探索者がよく使う掲示板やダンジョンのニュースを扱う情報サイトを見てもまるで情報がない。僧正による犠牲者が多いのなら、全く情報がない状況は異常だ。
誰かが隠しているのか? 隠しても隠しきれるものではない。現場には噂として流れているはず。探索者に訊くに限るが、探索者は警戒心が強い人間が多い。初めて会った人間にそうそう情報を渡さない。
ただ、犬井は会社勤務なので、同じ会社の探索者ならガードがまだ緩い。四階にある探索者たちの待機室に行くが、ガランとしている。壁の出勤掲示板を見ると消えており、八人全員が出払っている。
誰かがダンジョンに行っている場合は、行き先がダンジョンと表示される。会社は休みではない。休業や廃業中ではないので、探索者がいない状況は考えられない。
探索者が一斉退職したり、引き抜きかれたりしたならば、所属している探索者の数がゼロはあるが、それはそれで会社の経営がまずい。
竜田に会いに受付に行くと竜田はいない。事務室に行くと竜田は一人で書類を作っていた。竜田の表情は芳しくないので、何か良くない事態が起きていると予感した。
助けが必要かな? 形式上は働かないおじさんだが、何もしないのはさすがに会社に悪い。とはいっても、事務作業はあまり経験がないので役に立つかはわからない。だが、手伝う姿勢が大事だ。
「お困りごとですか? 何か手伝いましょうか。俺にできることならばですが」
「お願いできますか。病院に書類を持って行ってください。あと、面会が可能なら会社の探索者と会ってきてください。探索者を続けるのかどうかだけでも知りたい」
探索者がいない理由は全員が病院送りになったのか。同時期に八人が病院送りなるとはなかなかハードな状況だ。八人なら四人ずつの二チーム編成。壊滅的な損傷を受けてチームが次々と機能しなくなる状況は珍しくない。
「病院は探索者共済会ですか? 第一ですか? 第二ですか? それとも第三?」
探索者がよく利用する病院には探索者共済会がある。病院は三つとも二百床クラス。近所の一般人も利用できるが、利用者の六割は探索者だ。
第三に入院する探索者はもっとも重症である。次に第二、第一の順にけがの程度によって搬送される。第三で良くなった探索者が第二や第一に回される事態もよくあった。
「第三に行ってください。書類は四人分あります」
第三に四人なら、全滅に近い被害が出ている。怪我の程度によっては復帰できない。また、心に傷を負って、引退する可能性がある。
探索者が半分抜けると会社は痛いな。残った人間でチームを再編成してもうまくいくかどうか。会社の財務状態はわからないが、新たな探索者がすぐに見つからないと経営は大変である。
兎田の態度が冷たかったのもこれが理由か。経営上の痛手を負ったから働かない人間を会社に置いておきたくないのか。経営者には経営者の苦労があるんだな。犬井は重圧を背負う兎田に同情した。
竜田から書類を受け取る。四人の書類を確認してから外に出た。第三共済会にはバスで行った。夕暮れのバスには利用客が多く座れないくらいには混んでいた。
第三共済会に着いた時には十六時を少し回っていた。病院の入退院受付で身分を明かして探索者の名を告げる。
「会社から書類を渡すように頼まれてきました。また、可能なら会って健康状態を確認したいのですが可能ですか?」
入退院受付の女性がパソコンを操作する。
「平さん、原田さん、熱田さんは面会不可能です。野山羊さんは可能です」
重傷者が運ばれる病院で三人が面会できずか、同じチームにいたかどうかわからないがかなり重症だな。気の毒ではあるが、探索者の仕事上はしかたなしだな。
書類は病院で事務処理に使うので、入退院受付で渡してくれと頼んだ。野山羊の入院する病棟に上がる。ナース・ステーションで面会を告げると野山羊を呼んでくれた。
竜田から受け取った書類には生年月日が記載されていた。野山羊の年齢は十八歳だった。探索者にしては若い。まだ駆け出しだ。探索者になって一年とたたずに辞めていく者もいる。今回のように全滅に近い危ない目に遭って辞めるきっかけになるものもいる。
犬井は野山羊が辞めるなら相談に乗るつもりだった。探索者の稼ぎはいいが、向かない人間が続けられる職業ではない。自らを高められるもの、プロ意識のある者、異常な情熱を燃やす者にしか続けられない。
野山羊と思われる女性がきた。髪は短く金髪。眉毛も金色なので、地毛である。肌は白いので、日本人と北欧系のハーフと見えた。身長は百六十㎝、体重は五十㎏。筋肉は付いているが男と比べれば見劣りする。
銃を撃つ銃士や、剣で戦う侍なら頼りない。見た感じ、犬井と同じ霊能者でもない。超能力者にも見えない。斥候や衛生兵、辺りだろうか?
椅子から立って犬井から挨拶をした。
「初めまして、会社から来ました。犬井勝三です。竜田さんから病院に書類を持って行くついでに様子を見てきてくれと頼まれました」
野山羊は力強い瞳をしていた。疲労感や戸惑いはない。野山羊の目を見て、野山羊は復帰できると思った。ただ、復帰が正しいかはわからない。
野山羊は背筋をぴっと伸ばして答える。
「私は大丈夫です。会社には復帰すると伝えてください。三日後の精密検査で問題なければ会社に顔を出します」
外見からどの程度怪我をしたのかわからないが、早過ぎると思った。無理をすれば次は死に繋がる。休める時に休むのも探索者の才覚だが。野山羊にはわかっていない。
無理に説教しても聞き入れれないだけ。逆にむきにさせれば余計なお節介が野山羊の死を招く。
「復帰のタイミングについてはお任せします。ただ、医者の忠告は聞いてください。自分の体でも自分が一番よくわかるとは限らない」
野山羊はツンとして言い放つ。
「それで、他に何か聞きたいことはある。なければリハビリに戻るわ」
野山羊が生き急いでいるようで、いい気がしない。前を見ている人間は、意欲から前を見ているとは限らない。焦りから前しか見ないようになっている心理もある。
「個人的な興味からなので答えたくないなら答えなくていいです。病院送りになった原因はなんですか?」
野山羊はぎりっと唇を噛み、目に怒りを宿す。
「僧正よ。僧正にやられたわ」
身近なところに情報源がいた。僧正が相手ならチーム全壊の理由になる。だが、新人を含むチームが僧正と戦って生き残れた理由がわからない。
「失礼な質問かもしれませんが、僧正はなぜ貴方に止めを刺さなかったのでしょう」
「わからないわ。ただ、私が最後に見た光景は僧正の背中だけ」
僧正が倒した相手に背を向けた? 前にあった僧正は倒した探索者を門に放り込んで連れ去った。僧正は連れて行く相手を選んでいるのだろうか? 可能性はある。犬井も見逃された人間だ。
「僧正について他に何か気付いた情報などありますか?」
「これは勘でしかないけど、僧正は何かを探しているわ」
ダンジョンの中を自由に動ける僧正が探し物をして見つけられないとは思えない。もしかして、僧正は探しているものとは、人ではないだろうか。人を探しているのなら、連れて行く人間と連れて行かない人間がいる理由もわかる。いらない人間など僧正にとってはかさばるだけの粗大ゴミだ。
だが、誰をなんのために探している? いずれにせよ低層階に出る僧正は危険だ。対処しなければならない。野山羊は悔しそうに語った。
「僧正には何をされたかすらわからないで負けたわ。でもこのままでは終われない。終わりたくない」
野山羊の言葉を聞いて犬井は思う。野山羊はきっと戻ってくる。自分もダンジョンから離れられない人間だったが、野山羊もまた同類だ。野山羊を守ってやりたい気もするが、野山羊につきっきりにはなれない。ならば、僧正は誰よりも先に俺が倒す。