第六話 僧正、再び
ダンジョンは入り組んでおり、悲鳴は一度しか聞こえなかった。場所の特定に時間がかかった。焦れば焦るほどに見つからない。諦めかけた時に物を引きずる音が聞こえた。もしやと思い向かった。
幅の広い通路に大柄の腐った亡者が二人いた。腐った亡者は身長が二mを超え、体重も三百㎏はある。腐った亡者は片手に一人ずつ探索者を持ち引きずっていた。さらに亡者の先には僧正がいた。
腐った亡者も僧正も地下一層で出てくる魔物ではない。アバタールは強い。また、アバタールの特性上、亡者系の魔物に高いダメージを与えられる。
だが、僧正クラスと互角に戦えるかは確信が持てなかった。探索者を注視する。探索者の体からは命の火が消えていた。四人はもう死んでいる。死んだ人間のために、僧正と腐った亡者を相手にするには割に合わない。だが、死体とはいえ探索者を見捨てるには忍びなかった。
腐腐った亡者の先頭に犬井が立ちはだかると、僧正が足を止めた。僧正が振り返った。僧正の瞳には青い炎がちらちらと見える。気付かれた、戦闘になるか。
犬井は身構えると、僧正は顎で腐った亡者に指示をした。腐った亡者が探索者を捨てる。腐った亡者が並んで犬井に向かって歩き出した。僧正がきりきりと鳴らしながら、呪文の詠唱をはじめた。犬井の足元から黒い鎖が飛び出す。
避けられたが、威力は弱いと見てわざと捕まった。思った通り、全力を出せば引き千切れそうだった。犬井は拘束されて苦しむ振りをする。
腐った亡者は犬井が動けないと勘違いをしたままゆっくりと近づいてくる。攻撃が届く範囲に来ると亡者の一人が拳を振り上げる。腐った亡者は太い腕を振り下ろして犬井に止めをさそうとした。腐った亡者は完全に油断していた。油断の隙を突いていく。
黒い鎖を引き千切って、腐った亡者の腹に霊力を込めた一撃を入れる。亡者の腹が吹き飛び風穴が空いた。亡者は腕を振り上げたまま、俯き腹に空いた穴を見る。頭が下に下がったのをチャンスと飛び上がる。腐った亡者の頭に踵を振り下ろした。腐った亡者の頭が砕けた。腐った亡者がそのまま前に倒れる。
横に避けてもう一体の腐った亡者に突きを入れる。腐った亡者が巨体に似合わない俊敏な動きで後ろにバックステップを踏み躱わした。
距離を詰めて犬井は突きを放つ。腐った亡者も拳を握って突き出す。両者の拳が激突する。人間の体なら体格負けして犬井は拳を砕かれ転倒させられていただろう。だが、アバタールの体では違った。
腐った亡者の拳が固い壁に当たった完熟トマトのように砕ける。腐った亡者は息を大きく吸い込み吹きかけてきた。腐毒の息だ。生者が浴びるれば行動不能になり、吸い込み過ぎれば臓腑が腐る。犬井には腐毒の息は効かない。だが、瘴気を含んだ紫のガスは犬井から視界を奪った。犬井は慌てず相手の存在を気で探る。
腐った亡者は後方に距離を取っていた。視界を奪いタックルを試みる気だ。犬井は脱力する。腐った亡者が突進してきたが、脱力した犬井の体は煙のようになっており、腐った亡者がすり抜けた。
腐った亡者の後方に回った犬井は身体に力を込めて体を再構築する。背後から腐った亡者の頭に霊力を込めた突きを入れる。腐った亡者が振り返ろうとしたが間に合わない。
犬井の拳が腐った亡者の後頭部を捉えた。腐った亡者の頭に光る粉が付着する。
「魂壁爆散 縦一文字」と唱える。光る粉が爆発して腐った亡者の頭が弾けて飛ぶ。爆発はそのまま腐った亡者の下方向に広がって行き、腐った亡者の体を全て粉々にした。
最初に倒した腐った亡者が背後で立ち上がる気配がした。振り向いて突きを入れる。だが腐った亡者はそのまま倒れ込むように犬井を抱え込む。嫌な気を感じた。対抗するために体の奥から力を湧きあがらせる。腐った亡者が爆発した。腐った亡者は自爆して犬井を巻き込んだ。
湧きあがる力に満たされた犬井には自爆は毛ほどの効果も上げない。すぐに、通路の先に目をやる。まだ、最大の問題である僧正が残っている。僧正はこんなに簡単に倒せない。
僧正は青白い炎の門を前にしている。僧正は探索者の死体を門に投げ込む。探索者はどこかに送られていた。僧正は探索者の死体を集めて何かをする気なのだろうか? 僧正は振り返ることなく自らも門に入ろうとしていた。
攻撃するなら今しかない。だが、僧正が目的を達して撤退しようとしているのなら攻撃しなければ戦闘にならない。救おうとする探索者はすでに門の中だ。もう助けられない。
僧正との戦闘に迷いを持つと僧正はそのまま門に入る。門が閉まって燃え上がって消えた。
「僧正の背後から攻撃を叩き込めなかった。俺は僧正を恐れているのか」
不要な恐れはダンジョンでは死を招く。また、ダンジョンには僧正以上に強い魔物もいる。僧正の恐怖を乗り越えなければ、どのみちやっていけない。
僧正に勝つ。犬井は当面の目的がはっきりした。腐った亡者が碑文石に変わる。持って帰れば良い値段になるが、持って帰る手段がない。碑文石を放置する。死んで連れていかれた探索者の遺留品がないか確認する。撃ち尽くした薬莢や、壊れた備品が散らばっている。
「戦って通用しなかったか。銃は使い勝手が良い武器だが、僧正に効果がないからな。敗因は僧正一人によるものか」
犬井は床に落ちている探索者用の時計を見つけた。掴もうとするとダンジョン内で力が満ちているせいか掴めた。
時計を碑文石の傍まで持って行く。探索者時計の救難信号を出しておいた。こうしておけば、時計を探索者の誰かが持ち帰るそうすれば、犠牲者が誰だったのかわかる。時計と一緒に碑文石があれば、やってきた人間も損にならない。
犬井はその後も数時間、ダンジョンを彷徨ったが、強敵に遭うことはなかった。また、助けが必要な探索者にも会わなかった。
「なんとなくわかった。ダンジョンに出てくる魔物の危険性は五年前とたいして変わらない。ただ、以前には出てこなかった僧正のような強い魔物が時折低層階に出現するのか」
僧正クラスならベテランでも辛い。そんなのが地下一層に出て来るのだから、会えば中堅どころでも帰らぬ人になる。ダンジョンを安全にするのなら僧正を倒さねばならない。
猫柳に助けてもらった恩を返す。給与分働く。探索者として成長する。僧正が打倒できればどれも果たせる。問題はあの僧正が普通の霊能者では敵わないくらい強いという点だ。犬井はダンジョンを出た。