第四話 働かないけど採用
急ぎ助けに向かった。出た先は、縦横二十mの部屋だった。四人が倒れている。敵も罠も見えない。見えないから敵がいないとも、罠がないとも言えない。部屋に一酸化炭素が充満するタイプの罠なら、犬井には無害でも研修生は死に至る。
研修生を凝視すると、命の光が体内に残っていた。だが、命の灯は今にも消えそうなほど弱い。霊能力に仲間を治療する術はない。もっとも、原因がわからなければ治療もできない。助けを呼びに行く時間はない。近くに探索者がいれば良いが、そう都合良くはいない。
こちらに向かって来そうな赤犬とデビル・ベアは倒した。四人が魔物の餌になる事態はない。だが、このままでは危険だ。
無駄と思いつつも脈を取ろうとした。すると、犬井は相手の体に入れる事実に気が付いた。幽霊系の魔物には探索者に憑依するものもいる。アバタールにも同じような能力があった。憑依に危険が付きまとうかのかどうかわからないが、このままでは研修生は死ぬ。
一か八かだと、一番大柄な研修生に憑依を試みた。思った通りに相手の体に入れた。操れそうだった。
吐き気と倦怠感が襲って来る。他人の体に入った拒絶反応か。研修生の体は動かせた。腕に装着している探索者用の時計を確認する。空気中の酸素濃度に問題はない。だが、脈拍は落ちていた。痛みは感じないので、倒れた原因は外傷によるものではない。
何者かに生命力を抜かれた可能性が高かった。だが、敵は見えない。敵は何か事情があってこの場を去った。なら、他の魔物が来る前なら逃げられる。
苦しさに耐えて立ち上がり、一人を背負う。新人とはいえ探索者。訓練は受けているので、成人一人を背負う力はある。ここは入口に近い。入口までふらふらしながら進む。
順路は覚えているのでヘッドライトの灯で充分だった。憑依した人間の心臓の調子が悪いのか呼吸するのがつらい。だが、どちらも見捨てられない。二人をエレベーターに乗せると疲労感を覚えるが、まだ二人残っている。
憑依を解除する。急ぎ戻ってまた憑依して一人を背負う。憑依状態だと犬井も力を消耗していく状況に気が付いた。憑依している弱った体が、生きるために犬井の力を吸っている。
憑依には対象者から失われていく生命力を犬井が補うことができると知った。
「助ける方も、助けられるほうも命懸け、か」
アバタールになるには危険が付きまとう。アバタールが力尽きても、本体が目を覚まして終わりとはならない。アバタールが力尽きる時、本体も急速に衰弱して死ぬ。
あまりに辛いので背負っている人間を投げ出したい衝動にかられた。
「ママ」と背負っている人間が呟いた。声からして探索者は女性だった。
「既定の年齢には達しているのかもしれないが、もっと大きくなってから来てくれよ」
だが、これで背負っている人間を見捨てる選択肢は消えた。力を振り絞り歩く。今襲われたら終わりだと思ったが、幸運にも敵には遭わなかった。
なんとか、四人をエレベーターに乗せて地上階へのボタンを押す。同時に緊急ボタンを押しておく。これで詰所にいる人間が見にくるので、救急搬送されるだろう。ここからは運だが、犬井も限界が近かった。憑依を解除する。
「無理をし過ぎたか、これは朝日をあびたら死ぬな」
外に出た。空は白くなり始めていたが、日は出ていない。高速で帰還して本体に戻ると、目が覚める。夢のような時間だったが、体の不調が現実だったと伝えている。犬井は水の一杯を飲むと力尽きて床で眠った。
身体が床で寝た痛みで目を覚ます。テレビを点けると昼過ぎの情報番組がやっていた。目を覚ますと、体調は戻っていた。アバタールとなり限界近くまで活動してもぐっすり寝れば復帰は早い。
生身の体で怪我をすると、病院に二週間のように入院になる。アバタールならダンジョンに行くには回数がこなせるが、果たしてアバタールで探索ができるかが問題だった。
アバタールは荷物を持てない。他の探索者にも察知されない。情報を共有できない。これでは、いるかどうかわからず、そんなのに報酬を分配する会社があるとは思えなかった。かといって、生身では六十代の身体能力しかないので、役に立たない。強くはなったが、このままでは使えない認定されて終わりな気もする。
「失効したライセンスを復帰させるために会社を探さないと」
探索者としてダンジョンに入るにはライセンスがいる。個人でも取れるが会社を通して申請したほうが通りやすい。前の会社をネットで調べると存在したので、訪問の予定を取る。先に健康診断書を送れと命じられたので、送った。
会社はダンジョンまで歩いて二十分の距離にあるビルにある。以前はビルの一階はフレンチ・レストランで二階が歯医者、三階と四階に会社が入っていた。五階は宗教法人が借りていた。
改めて訪問すると、一階が中華料理屋になっており、二階が鍼灸治療院に変わっていた。会社と宗教法人は変わっていない。
三階の受付に行くと、受付が女性から男性に変わっていた。名前を告げると、社長室に通される。五年前、会社の社長は年配の小太りの男性だった。名前は牛込道三。
今は茶色い髪を肩まで伸ばした女性だった。目に力があり気の強そうな印象を受ける。社長から挨拶をする。
「社長の兎田夏美です。牛込の娘です。父の時代には社員として会社に貢献していただきありがとうございました」
社長の娘が会社を継いだのか、牛込さんはまだ六十代。少し早い引退だ。会社が儲かっているから、早めにリタイアして悠々自適の生活に入ったのか? 羨ましい境遇だ。
「よろしくお願いします。兎田社長。探索者としてまた働かせてください」
兎田は冷静に見解を述べる。
「健康診断書を見ました。残念ですが、探索者としての採用は無理です。知っての通り探索者は激務、耐えられると思えません。下手にチームを組むと他のメンバーを危険に曝します」
無理からぬ判断だが、ダンジョンに入れないとなると困る。兎田の話は続く。
「採用に関しては父からの口添えがありました。ライセンス発行には協力しますが、採用職種は事務員です。仕事は書庫の警備です」
会社には色々な書類がある。法令で何年保存と決められているものもある。書庫はあるが、専門の警備員は以前いなかった。いても、仕事はないからだ。今は何か仕事があるのだろうか? ちょっと、思い浮かばない。
「具体的には何をするんですか?」
兎田は素っ気なく返す。
「机はありますが、仕事は何もありませんね。勧めておいてなんですが、この仕事は断るべきだと思います。まだ、お若いのに、書庫の警備で時間を潰すなんて人生の無駄です」
はっきりと言う人だなと思う。ただ、気になる。会社で働いていて使えない人間を持て余す。それで、閑職においやられる事態はある。だが、閑職として採用はない。待遇も気になった。
「給与と休みはどうなっています?」
兎田はムッとした顔で答える。
「正規採用と同じくあります。書庫のソファーで寝ていても給与は出ます。ただ、おそらく正規の仕事のある職員からしたら不満を持たれる待遇です。働かないおじさんと陰口を叩かれるでしょうね」
兎田も犬井の採用は無駄だと思っている。また、社員の士気に関わるから採用したくないと考えているのが明白だった。ならば、疑問に思う。先代の社長は良い人だが、親しくはない。なぜ、そこまでして犬井を会社に戻してくれるのか謎だった。
「俺にとっては良い条件ですが、社長は不満がおありのようですね。では、なぜ採用の話があるんですか?」
「犬井さんが知らなくていい内情です。ただ、尋ねられたら猫柳美住さんの名前だけ伝えるようにとだけ言われました」
ここにきて猫柳さんか? 俺には何をさせたいんだ。
「私にはなぜ父が犬井さんだけを会社に残そうとするのか正直わかりませんが望むのなら採用です」
「私だけ、とは」と質問する。同じチームのメンバーは全滅しているはず。
「他のメンバーは全員病院を出た後に会社を辞めて退職されましたよ」
あの状況で全員が助かったとは考え辛い。誰かが助けてくれる状況ではない。いや、違うか。あの場には感知されなかった五人目がいたのか。そう、アバタールのような存在が。
もしかして、猫柳さんがそうだったのか。猫柳さんは俺に同じような役目をやらせたいのか? それでアバタール投射法を授けてくれたのか。それなら理解できる。
「社長、猫柳さんってどんな方ですか?」
「ダンジョン管理組合の理事で、ダンジョンの守り人と呼ばれています。詳しくは私もしりません。犬井さんも知る必要がないと思います」
暗いダンジョンの地下で死にかけた俺たちを助けてくれた人は猫柳さんか。猫柳さんは人知れず、探索者を守るダンジョンの守り人だ。猫柳さんは同じ役目をする人間を探していたのか。おそらく、給与もダンジョン管理組合からの補助金で出ている。つまり、今後の俺の仕事は働かないおじさんとして、ダンジョン内の探索者を助ける仕事だ。
「社長にはご不満があるかもしれませんが、俺を雇ってください。きっとそれが最善です」
兎田の顔は厳しい。兎田は机から採用通知と雇用契約書を出すと犬井に渡した。
契約書をその場で読んだ。問題はなかったのでその場でサインした。兎田はサインを確認して澄ました顔で告げる。
「それでは、来週の月曜日からお願いします。書類保管庫の場所は変わっていません。身分証を兼ねたライセンスの再発行の手続きはこちらでしておきます。」
用は済んだので犬井は会社をあとにした。




