第三十三話 決着
土曜、日曜とやきもきしながら蛇目からの連絡を待った。月曜日も待機となる。有休を取るために電話する。
「ゴホ。ゴホ、風邪を引いたようです。熱が高いので、季節外れのインフルエンザかもしれません。人に移したら困るので休みます」
「お大事に」と素っ気なく答えられて、有休は取れた。
ずる休みかと思われたかもしれないが、世のため人のためなので、後ろめたい気はしない。玄関の投函口に何かが差し込まれる音がした。たいていピザや宅配寿司のチラシなのだが、気になったので見に行くと、黒い封筒が入っていた。
差出人は不明で企業名も入っていない。中を開けると、一枚の年賀状が入っていた。正月にはまだ遠い。左上の干支も蛇であり、干支がずれている。昔の年賀状だが、これは蛇目からのものだと思った。
裏面には地図が描かれていた。地図はダンジョンのものだとすぐにわかった。階層の指定はないが、場所はわかる。地下二層の外れだ。記憶では小さな石造りの部屋があり特に何もなかったはず。
ベッドで横になりアバタールを飛ばす。ダンジョンの入口は平常時に戻っており、人影は少ない。詰所の前を通り抜け、地下二層に降りる。ダンジョンに満ちる力は濃くなっていない。異変は感じなかった。
壁を突き抜け最短距離で指定場所に向かう。前と変わらず六畳ほどの小部屋があるのみ。心眼を使う。壁を調べると、以前にはなかった小さな窪みが下にあった。窪みを押すと、カチッと音がして壁に扉が現れる。
「この先が僧正の本拠地か、今度こそ決着をつける」
扉を開けると、中は暗闇だった。足を踏み入れると、背後で扉が閉まる。空間が輝くと光る大きな柱の前にいた。柱の中にはバフォメットが六体も眠っている。他に魔物はいない。柱の後ろから闇を纏った魔物が現れる。
「予想より来るのが早いね。こっちはまだ準備ができていないんだ。また、後で来てくれるかな?」
「僧正はどこだ?」
闇を纏った魔物は顎で光る柱を指す。
「僧正はこの中だよ。僧正は配下の魔物も、集めた碑文石も全て投入した。もちろん、僧正自身もだ。魔物は全てバフォメットになった。時が経てばバフォメットとして解放される」
「柱を壊したらどうなる?」
「魔物は完成しない。今日まで努力してきた、僧正の計画は無駄になるね。溜まっていたエネルギーは解放されるが、この場所なら地上に影響も出ない」
やけにペラペラと重要事項を話すので用心した。闇を纏った魔物が嘘は吐いているようには見えない。言葉通りなら、柱を壊せばまだ計画は止められる。
「なら、柱を破壊させてもらう」
闇を纏った魔物は首を横に軽く振った。
「それは無理だよ。僕がいる」
闇を纏った魔物が犬井に向かって歩いてくる。犬井は構えを取り、闇を纏った魔物が近づいて来るのを待った。闇を纏った魔物は無防備に近づいて来る。全力で闇を纏った魔物の顔面に拳を叩き込んだ。闇を纏った魔物は避けない。
丸めた布団でも叩いたかのような感触がする。闇を纏った魔物は犬井が拳を引く前に腕を掴んで犬井を投げ飛ばした。物凄い勢いで犬井の体は宙に跳んだ。
犬井は空中で反転する。落下速度を利用して攻撃を仕掛けた。今度は下半身に光る粉を纏い爆発させる。加速した犬井は闇を纏った魔物に体当たりをした。闇を纏った魔物は攻撃を避けない。
そのままぶつかると、弾性の強い物体に当たったかの如く犬井は弾き飛ばされた。転がりながら犬井は姿勢を立て直す。
「魂壁爆散 縦一文字」
霊能力による攻撃に切り替えた。一直線に霊力の籠った線が走る。闇を纏った魔物はまたも避けない。霊能力が直撃した。闇を纏った魔物は埃でも払うかの如く手を振るう。
「人間にしてはよいとこ行ってるけど。その程度だよ。僕には勝てない」
力の差があり過ぎる。闇を纏った魔物が光の柱を守っている限り、光の柱の破壊は不可能だ。捨て身で戦っても勝てはしない。だが、勝機がない訳ではない。
犬井は歩いて闇を纏った魔物に近付く。闇を纏った魔物は逃げも構えもしない。犬井の攻撃が効かないので黙って待っている。
闇を纏った魔物との距離が五mまでに来た時に体を波に変えて突進した。波状に体を変えた突進は本来は直線に進む。だが、犬井はこれを放物線上に変えた。できるかどうかわからないが可能だった。
犬井の体は闇を纏った魔物を飛び越す。犬井の体は光の柱に激突した、犬井が気付いた時には、光の柱の中にいた。光の柱の破壊に失敗した。だが、柱の中に入れたならまだ手はある。犬井は柱の中の力を全て吸収しようとした。
体が熱くなり膨らむ。アバタールが弾けそうになる。全力で内側に力を押さえこむ。バフォメットが融けて犬井と一つになった。犬井は柱を内側から破壊する。柱を見上げていた闇を纏った魔物を踏み付けた。
ぶちっと音がした。さすがの闇を纏った魔物も強力な力の塊に踏まれては耐えられなかった。勝ったと確信した。闇を纏った魔物の安堵した声がする。
「これで最後のピースが揃った」
バフォメットの体が弾け飛びそうになる。内側に力を押さえようとするが、押さえきれるものではなかった。まずい、このままでは体が爆発する。体の内側から破壊衝動と自殺念慮を伴った負の感情が巻き上がる。どうにかせねばと思うが、止まらない。まずい、俺が魔物化する。
ドンと何かが降ってきた。『ゲフッ』と闇を纏った魔物は息を吐き出した。降ってきたのは大きな碑文石だった。闇を纏った魔物は碑文石の下敷きになっていた。碑文石が光ると、碑文石の上に野山羊が現れた。野山羊からアバタールが分離して猫柳になった。
猫柳が犬井に手を向けると、犬井の体から急速に力が抜ける。猫柳が涼し気に語る。
「集まった力をダンジョンに吸収させます。もう少し耐えてください」
ダンジョンの力を集めて、取り込む方法があるのなら、逆もまた存在する。猫柳は犬井に集まった力をダンジョンに拡散させて戻していった。
弾けそうになった体から力が抜けていく、体はみるみる楽になった。もう大丈夫と思うと猫柳のアバタールが野山羊に戻る。
闇を纏った魔物が残念がる。
「また、これか。今回は出てこないから妙だとは思ったが、最後にやられたな」
野山羊が軽い口調で返す。
「私ももう若くないですから、楽をさせてもらいました。後任も育てなければいけないからちょうどよかった」
闇を纏った魔物の気配が薄くなっていく。
「いいさ、僕は九十九回負けても最後の一回だけ勝てばいい。君たちは九十九回勝っても、一回負ければそれで終わりだ」
野山羊に入った猫柳が自信たっぷりに答える。
「なら、百回勝ちますよ」
闇を纏った魔物の気配が消えた。野山羊の中に猫柳は隠れていた。犬井が動いている間にこっそりと活動していたと見ていい。犬井が派手に動く分、裏で活動していた猫柳は目立たなかった。いいように利用されたが、猫柳がいなければ負けていた。
猫柳が犬井に背を向ける。
「作戦は成功したので、帰りましょうか。この体は借りものなので無理はできません」
気になったので質問する。
「俺が負けそうになるのも織り込み済みだったのですか?」
「正直に言えばもう少し活躍するのかと、期待していました」
厳しい先輩だ。
「失望しましたか?」
「いいえ、最初はこんなものでしょう。これから強くなればいいんですよ。私も新人のダンジョンの守り人に全てを押し付けようとは思いません」
こちらが先輩だと思ったら、野山羊の中に先輩がいて見守っていた、か。いいさ、デビュー戦なんてこんなもの、今度はうまくやればいい。
闇を纏った魔物を押し潰した碑文石がきらきらと輝き消えた。もったいないと思ったが、猫柳は気にした様子がなかった。まるで、強大な碑文石には何が書いてあるか知っているようだった。




