第二十七話 対策
朝にメールをチェックする。蛇目からの呼び出しがあった。指定時刻は二時間後と猶予がない。会社に電話して、体調が悪いので休むと申告すると『お大事に』と素っ気なく言われた。
「働かないおじさんだから、いてもいなくても一緒だと思われているな。好きに有休を使えるからいいが、ちょっと寂しい」
ダンジョン研究棟の共通応接室で待つと、五分遅れて蛇目が来る。蛇目は少し疲れて見えた。
「急に呼び出して申し訳ない。バフォメット再襲来について準備しているものでね」
バフォメットは強すぎる。どうにかできるとは考え辛かった。
「何か対策ができたんですか? ダンジョンの封鎖ですか」
ダンジョンの封鎖は良い考えとは思えない。問題の先送りは解決とは呼べない。日本の経済に与える影響は大きいし、社会不安が高まる。
「結論から言う。バフォメットは倒せる。対バフォメット用の武器も完成間近だ」
人間の英知も捨てたものではない。碑文石に武器の作り方が記してあったのかもしれないが、作れるとは大したものだ。蛇目の顔が少しばかり曇る。
「武器は射出する槍だ。当たればバフォメットは一発で倒せる。だが、問題がある」
やはり、そう来たか。そうそう美味い話はない。危険な仕事がまわって来るんだろうな。
「バフォメットが戻ってきた時には決め手となる槍は一本しか完成していない」
「チャンスは一度きり。外せば終わり、か。相手がバフォメットなら不安だな」
「槍を当てるには、バフォメットを拘束するのが望ましい」
蛇目が期待を込めて視線を犬井に送っていた。犬井は良い気がしない。
「俺にバフォメットの拘束役を頼むと? 無理ですよ。アバタールが十人いてもバフォメットは拘束できない」
偽らざる感想だった。
「アバタールを十人揃えるのは無理だ。バフォメットの拘束は犬井君が独りでやってもらう。もちろん、根性論や精神論に頼るほど私の頭脳は衰えていない」
なんだ、何かこちらも策があるのか? それでこそ、日本が誇る頭脳といえる。問題は中身だな。特攻作戦みたいのならお断りしたい。
「ダンジョンの力を借りる。ダンジョンに特殊な紋章を描き、力を犬井君に送る。犬井君はダンジョンの力を使い、バフォメットを拘束してほしい」
バフォメットは強いが、ダンジョンの放つ力と比べれば些細なものだ。ダンジョンの力を使いアバタールの力を増やせば拘束は可能だが、そんな真似をして大丈夫なのか?
「俺がダンジョンの力に耐えきれず、暴発する可能性は?」
「あるよ」と蛇目はあっさり認めた。自己犠牲はがらじゃないと躊躇すると、蛇目は言葉を続ける。
「ダンジョンの力をアバタールに流し込めばアバタールとて耐えられない。だが、ダンジョンから溢れる力の向きと性質を変えるだけなら、耐えられるはずだ」
力の激流に立ちはだかれば、押し流される。だが、流れを変えてやるだけなら、さほど大きな力はいらないとの理論か。洪水時の治水のような考え方だな。だが、できるか?
ダンジョンの放つ力はかなりのものだ。蛇目の顔には自信があった。
「理論上は可能だし、犬井君も死ぬ結果にはならない。槍を当てるにはコツがいるんだ。相手が動く的なのか、動かない的なのかでは難易度が違う」
止まっている的を外すような探索者はいない。蛇目もそこら辺の人選は充分にする。作戦の難しさはバフォメットの動きを封じれるかどうかにかかる。つまり、俺が肝心の要か。不安要素を消すために確認しておく。
「蛇目さんの案は机上の空論だったとか、なりませんか?」
「スパコンの唯一無二を使ったシミュレーションでは問題ない。もっとも、場所がダンジョン内で相手がバフォメットである以上、不確定要素は完全には排除できない。君ならわかるだろう?」
失敗しても俺を含めた探索者が二十人くらい死ぬだけともいえる作戦だ。札幌ひいては日本の未来のためなら、安い賭け金なのかもしれん。一度は死んだ身だ、やってやるか。
「作戦に乗りましょう。成功したら危険手当は奮発してください」
「大丈夫だ。こういう時のために札幌市ではダンジョン関連機密費を国から貰っている」
機密費って表沙汰にできない金だな。バフォメットを隠しているから仕方ないが、裏金をもらうようでいい気はしない。いい気はしないが、汚くても金は金だ。
「具体的にどうしたらいいんですか?」
「今まで通りに巡回してくれ。ダンジョンに紋様を描く探索者は札幌市で極秘に専従チームとして雇った。専従チームは三日前から作業をやっている」
専従チームが失敗すると、ダンジョンの力を集められずに作戦は失敗か。人任せにしたくはないところだが、アバタールは特殊な模様を描く仕事には向いていない。
「信用して待ちますよ」
翌日、会社に行く。体調不良で休んだが、気にしてくれる人は誰もいない。気楽でよいと前向きに考えてアバタール投射法でダンジョンに入る。ダンジョン内では心眼を使用した。
地下一層を見て回るが、蛇目が話していた紋様らしきものはなし。地下二層に降りると、不思議な紋様が隠されて描かれていた。何が描かれているかわからないが、力を放っているのでわかる。
作業から日数が経っているせいか、注意して探せば紋様はいくつもある。順調かと思うと、魔物の気配がした。やり過ごすために距離を取る。魔物は怨霊坊主だった。嫌な予感がした。隠れ身の霊能力で隠れて様子を見る。
すたすたと怨霊坊主は紋様の前まで歩いていく。怨霊坊主が立ち止まる。怨霊坊主は袖から灰を出すと紋様に掛けて擦った。怨霊坊主はそのまま何事もなかったかのように移動する。怨霊坊主が立ち去った後の壁を見ると紋様が消えていた。
「僧正め、こちらの策を知って対策を立ててきたか」
怨霊坊主を倒さないと、せっかく描いた紋様が消される。追いかけて倒そうかと考えたが、思いとどまる。気になったので怨霊坊主の後を尾行する。
怨霊坊主はやはり壁の紋様を消していた。だが、妙だった。怨霊坊主はときおり足を止めるが、じっくり探している形跡がない。まるで、どこに紋様が描かれているか知っているようだった。
最初は紋様を描ける場所が決まっていて、怨霊坊主にもだいたいの位置がわかるのかと思ったが、どうも違う。紋様を描いている場所に法則性はなかった。紋様は隠されている。霊能力を使って注意深く見なければわからない。
怨霊坊主が心眼の力を使っているかもしれないが、紋様を発見する効率が良すぎる。まるで、『ここにあるから消してこい』と僧正に指示されているようにすら見える。僧正が指示することはあろう。だが、僧正はどうやって紋様の場所を知ったのかが気になる。
悪い考えが浮かぶ。まさか、バフォメット対策チームの中に裏切り者がいるのか? 考えたくない予測だが、当たった場合が危険だった。こちらの手の内が丸見えなら僧正の介入で作戦は失敗する。対抗策を考えなければバフォメット討伐は無理だ。




