第十九話 迷える者
強敵、二人を相手にどう戦う。正解はない。僧正の実力はわかったが、闇を纏った魔物の実力は底知れず、どんな手で攻めて来るのかわからない。
僧正がふわっと浮いて後退した。キリキリと嫌な音を立て呪文を唱える。どんな内容かはわからない。詠唱を止ようとしても無駄だ。僧正と犬井の間には闇を纏った魔物がいる。まだ、闇を纏った魔物は動いていないが、避けて僧正に攻撃を加えるのは難しい。
犬井は両手で護法の印を組み、攻撃に備えた。僧正の足元から闇が湧く。僧正は消えた。気配もない。感知できなくなった可能性が頭をよぎる。闇を纏った魔物は動かない。牽制しているわけではない。
僧正は撤退したのか? なぜの言葉が頭に浮かぶ。闇を纏った魔物が口だけで笑う。
「どうやら、私は嫌われ者らしい。皆私の元を去って行く。寂しい限りだよ。私はもっと仲良くしたい。できれば親しくなって、一緒に終わりゆく世の無常を感じたい」
僧正と闇を纏った魔物は仲間ではないと言いたげだった。関係はわからないが、僧正にとって闇を纏った魔物は味方ではない。助かったと考えるのは早計。
犬井とて闇を纏った魔物とはお友達ではない。相手はダンジョンの闇に潜む存在。何を考えているかわからない。
現状では安易に敵対行動を取らないほうがよい。闇を纏った魔物と僧正は同時に相手にできないと犬井はえた。同じように、僧正もまた闇を纏った魔物と犬井を同時に相手にできないと判断した。つまり、闇を纏った魔物は強い。
犬井は警戒しつつも軽い口調で応じる。
「礼を言ったほうがいいのかな? 言うだけならタダだから言ってもいいぜ」
闇を纏った魔物には敵意がなかった。
「どうだろう? 僧正には懸賞金が懸かっているのだろう。君が余生を楽に送れるぐらいの金額だ。よく言うだろう。それにつけても金の欲しさよ、と」
「なら、一緒に僧正と戦ってくれてもよかったんだがな。さっきの僧正は強い。あんなのが低層階に出るのなら、探索者は商売あがったりだ。俺はきちんと報酬をわける人間だぞ」
「疑わしいね。欲に目が眩んで愚かしい行動を取る人間をダンジョンで大勢と見てきた。誰だって自分は違うと主張する。だが、いざその時になると変わらない」
会話ができそうなのでずばっと尋ねる。
「僧正とはどういう関係なんだ。よければ教えてほしいね。今後の参考にしたい」
「ちょいとばかしの、知り合いだ。付き合いもそれなりに続いているが、心を開いてくれない。協力できることは協力したほうがいいとは思うが、警戒されている」
完全な敵対関係ではないが、親しくもなしか。目的が違うのか?
「ここに現れたのはたまたまか? それとも僧正か俺に用があったのか。俺には思い当たる節はない。暇だから飲みにでも誘いにきたわけではないだろう。飲み屋がある場所でもない」
「飲み屋はないね。あってもお客が来ないからすぐに潰れるだろう。でも、迷子センターならあるよ。ほら、向こうに」
闇を纏った魔物が指さした。犬井の視線が逸れる。視線の先にはダンジョンの壁しかない。闇を纏った魔物に視線を戻す。部屋には誰もいなかった。逃げられた。
何のために現れて、何のために去っていったか不明だった。僧正と俺を戦わせたくなかったのかもしれないが、動機は不明だ。疑問は尽きない。
僧正は逃げて、闇を纏った魔物は消えた。あとには静寂が残る。帰ろうかと思うと、なにかがこちらを見ている視線を感じた。見られている。僧正でも闇を纏った魔物でもない。
敵意や悪意はない、他の探索者でもない。気配を感じ取ろうと集中すると、視線は壁の向こうから出ていた。方角は先ほど闇を纏った魔物が指さした方向と一致する。
まだ、何かあるのか? 犬井はゆっくり歩いていって壁をすり抜けた。壁の向こうは六畳ほどの小部屋になっていた。
小部屋に行くと感じていた視線は消えた。小部屋には人影があった。身長は小さく小柄。アバタールにとって人間は透けて見えるので詳しくはわからないが、大きさからして子供に見える。
子供がダンジョンの中にいる? そんなわけはない。いたら魔物の餌食だし、ダンジョンの出入口には人がいて、常に監視されている。入れるわけがない。
相手は座ったまま身じろぎしない。生命の流れを感じるので、生きてはいる。だが、命の灯は弱い。放っておけば死んでしまう。アバタールでは話し掛けられないし意思の疎通もできない。相手は霊能者や超能力者でもない。受ける感じが違う。本当に小さな子供がダンジョンに迷い込んで衰弱しているようにしか見えない。
不思議な現象だ。闇を纏った魔物が絡んでいるので罠の可能性もあるが、放置すれば、助かる命をみすみす捨てるようなもの。さすがに、子供を見殺しにすれば寝覚めが悪い。
子供の体に憑依しようと試みる。抵抗を受けずすんなり入れた。子供の意識はなかば眠っているのに近い。本当にダンジョンで迷子になった子供なのだろうか。疑問は尽きないが、まずは子供の保護が大事だ。幸い、今は探索者が多くダンジョンに入っているので、気配を探りながら歩けば誰かには遭遇するだろう。
武器を持っていれば誤って撃たれる可能性があるが、武器等は所持していない。遊んでいて迷子になったように、着の身着のままの恰好だ。服装から憑依した相手は女の子だと知った。足元を確認すると靴は履いていた。汚れてはいるが破れていないので歩くのには支障がない。
探索者が多く通る部屋に向かって歩き出した。途中、赤犬に遭い襲われたが、遠距離から霊能力を放って軽く仕留めた。子供に憑依した状態では霊能力の出力はかなり落ちる。だが、赤犬程度であればなんなく遠距離から仕留められる。
探索者がよく通る部屋に来ると、犬井は霊能力で姿を隠した。探索者は人の良い奴が多いが、気が立っている人間に見つかれば攻撃されかねない。探索者は武装しているのでちょっとの間違いが悲劇を生む。
やってきたチームが二つあったがどうも柄が良くなかったので見送る。すると、三組目によく知った気配が近づいて来た。斥候として警戒中の野山羊だった。野山羊なら問題ないと霊能力による隠ぺいを切った。
野山羊はすぐに犬井が憑依する女の子に気が付き銃を向ける。だが、こちらが子供だと知ると撃たなかった。犬井が女の子の体から出ると、女の子が倒れる。
野山羊はゆっくり近づいてきて女の子を調べると、すぐに駆けだしてチーム・メンバーを連れてきた。チームはダンジョンに倒れている女の子に困惑したが、野山羊が即決する。
「要救助者です。この子を保護して撤退しましょう。衰弱しています」
リーダーは野山羊の勧めもあって即断する。リーダーが女の子を担いだ。
「今日の探索はこれで切り上げる。子供を捨ててはおけない。野山羊、安全な道のナビゲートを頼む」
これで女の子の安全は保証されたも同然だったが、気は抜かない。犬井は斥候役の野山羊より先行して進み安全を確保しておく。
探索者チームは女の子を担いできた道を無事に帰還した。女の子の身元や、なぜダンジョンにいたのかが非常に気になるところだが、これはわからない。
野山羊たちは事情聴取を受けるので、何か聞けるかもしれないから後で聞こう。
会社に帰ると夕方だった。帰り際に一階の中華屋に寄る。食事をしているとニュース速報が入った。
三年前に行方不明になった前田愛花ちゃん十歳がダンジョンで発見されたとあった。愛花ちゃんは地下鉄構内で両親が目を離した隙に行方不明になっており、当時は捜索では発見できなかった。
テレビでは三年間どこでどうやって暮らしていたのか、またどうしてダンジョンにいたのか謎とされていた。不思議な現象が起きるのがダンジョンだが、これはまたひと騒動あるのかと予感がした。
「マスコミで騒ぎになるならチームはすぐに帰れないか、竜田さんも今日も残業かな」
メディアが騒いでいるのなら、きっと続報がある。急ぐこともあるまい。面倒事は野山羊と竜田にお願いしよう。犬井は夕食を終えて茶を飲むと、帰宅した。




