第十六話 碑文石の正体
納品が終わると、三日で蛇目から呼び出しのメールがくる。午後から有休を取って蛇目に会いに行く。会社を出る時に野山羊と遭遇した。野山羊は嫌味を言わないが視線が痛い。
サイクロプスの碑文石の分は完全に俺の手柄なんだけど、主張してもわかってもらえないから口には出さない。
素知らぬ振りをして北海道大学に行った。昼過ぎの北海道大学はのどかだった。とても、つい先日まで戒厳令が出ていたとは信じられない。ダンジョン研究棟の共通応接室で待たされて五分後に蛇目がやって来る。蛇目の機嫌は良い。
「こちらの注文した品を見事に仕入れてくれたようだね。しかもおまけまで付いていた。中々にやるね」
「大きな碑文石は俺の手柄ですが、おまけのほうは探索者チームの力ですよ。では、教えてください、碑文石とはなんなんですか?」
蛇目は澄ました顔で語る。
「碑文石とは古代人の遺産だよ。古代人といっても百年前の人間だけどね。古代人はこのままでは人類が滅びると警告して、情報を碑文石にして残してくれた」
オカルトのような話だが、ダンジョン内で起こる事象は現代科学では説明できない。ただ、百万年前ならいざしらず。古代が百年では短い気もする。
蛇目は応接室の壁に掛かっている理科年表を指さす。
「人類の歴史は間違っている。世界は百年前に一度、終わっているんだよ。ただ、古代人たちは歴史をやり直す技術を開発していた。それで、百年前の世界を再構築して現代人に世界を託した」
どういう理屈かわからないが、説明されてもわからないだろう。というか、蛇目は真実を語っているのだろうか? 話がでか過ぎてからかっているのか、とも疑いたくなる。
「本気で言っていますか。軽いジョークで場を和ませる必要はないですよ」
蛇目は疑われる態度に慣れているのか気にした様子がない。
「普通の人間なら信じられないだろうね。なら、尋ねる。永世の世になって日本のみが大きな災害がないのはなぜだ? 神風が吹いているとでも思うかい。だとしたら、ちょっとおめでたいよ」
平成までは大きな災害があったので、不思議には思っていた。
「日本も本来なら大きないくつもの災害を経験しているはず。災害が起きないのは碑文石により予知されているかため未然に防げたからですか?」
「それもあるが、別の見方が主流だ。滅びる前の百年、日本にもいくつもの大きな地震があり、天災が襲っていた。気候変動の影響も、もろに受けた。では、なぜいま日本だけが災害を免れているかわかるかい? これには理由がある」
思い当たる節がある。でも、思いついても当たっているとは思えない。
「ダンジョンですか? ダンジョンが日本を災害から守っている」
「ダンジョンの正体は災害を別の形に変えて小出しにする装置だと私は思っている」
蛇目の話は簡単には信じられないが、蛇目の説だと説明は付く。
「魔物は起こるべき災害が姿を変えたものだと主張されたいのですか?」
「あくまで仮説であり実証はされていない。古代人は現代人に災害を処理させながら、どうにかして世界が続く未来を残そうとしている」
「でも、そうなると、なぜ日本にだけダンジョンがあるんですか? 世界中にダンジョンがあればもっと今の人間は楽に暮らせた」
世界の危機だが蛇目の態度はさっぱりしている。
「さあね。ひょっとしたら、日本以外にもダンジョンはいくつかあるのかもしれない。または、滅びが早過ぎて、日本にしか作れなかったのかもしれない。いずれも空想の域だ」
犬井は別の可能性も考えていた。人間とは危機に直面しないと動かない生き物である。世界中に災害を緩和する装置を作れば、誰も『まだ大丈夫』と高を括って動かず、また手遅れになるまで動かない。だったら、危機を残して迫って来る状況をあえて作ったのかもしれない。
考え方はいくつもあるが、研究は研究者に任せよう。俺のやるべき仕事は変わらない。魔物を倒して、碑文石を持ち帰る。それで日本と世界が救われればいい。
だが、気になる話もある。バフォメットだ。バフォメットは倒されたわけではない。あれが、何かしらの災害が具現化したものなら放ってはおけない。
「倒されなかったバフォメットはどうなってるんでしょう?」
蛇目の表情がいくぶんか深刻になる。
「ダンジョンで倒されなかった魔物はいずれ外に出る。出た後に変化して、本来起きるべきだった災害の形に戻るよ。バフォメットとて同じだよ」
ダンジョンから魔物が地上に出てこない理由がわかった。魔物は倒されなかった場合はどこからか地上に出てくる。だが、地上に出ると姿が変わるので見つからないだけだ。不安になってくる。
「バフォメットは大仏殿ごと隔離した後に消えましたが、では今どこへ?」
「碑文石がバフォメットの倒し方を示してくれている。隔離の後に戻ってきた時に倒せと。なぜ、時間稼ぎが必要なのかはわからない。だが、現状はこれでいい」
隔離により弱体化していればよい。だが、悪魔系の魔物に飲食や呼吸が必要とは思えない。時間稼ぎの意味とはなんだ? 他の碑文石を集めれば弱点がわかったり、対抗兵器の作り方がわかったりするのか?
「全ての答えはダンジョンにある。碑文石の示す未来ではバフォメットを倒すのに失敗すれば、日本のどこかで有毒ガスが発生して千人単位の死者が出る」
事態は穏やかではない。危機はいずれくる。
「もっと大きな碑文石を集めないとダメだと?」
「大きな碑文石にバフォメットの攻略の鍵があるかはわからない。別の災害について示しているかもしれないからね。小さい碑文石を数集めたほうが効率的かもしれない、何が正しいかはわからない」
当面の問題はわかった。だが、こうなると気になる事実もある。
「バフォメットを隔離した大仏殿には既に巨大な碑文石がありました。あれには何が書いてあったのでしょう? 碑文石の大きさが重要性を現すなら、かなり重要な情報が記されていると思いますが」
蛇目はふっと笑って暗い目をして語る。
「残念だけど、回収して解析しないとわからない。だが、大仏殿が戻って来るのならバフォメットと一緒に巨大な碑文石も戻って来る。バフォメットを倒せなくても碑文石は回収可能かもしれないが……」
「そうなると何千人も死人が出ると」
「災害規模によっては経済的な損失もかなりの額になるだろうな」
次の一手を打たねばジリ貧か。
「わかりました。では、碑文石を集めましょう」
蛇目は犬井の決意をやんわりと削ぐ。
「無理はしなくていいよ。探索者の援助を優先してくれ。もし、バフォメットが倒せないなら諦めよう」
肩の力を抜けと言いたいのかもしれないがちょっと冷たすぎやしないか。
「千人規模の死者ですよ」
「世界の人口からすると、たかが千人単位ともいえる。我々は人を育てなければならない。これは百年の単位で解決しなければいけない問題なんだ。今を優先して後に続く者が育たないほうがよっぽど怖い」
完全に同意できない意見ではあるが、理解もできる。自分の体は六十代。あと、十年寿命があるとしても、先はわからない。世界の滅びを迎える時には自分はいない。持続的にダンジョンを探索できる環境と人材が必要なのはわかる。
「俺は碑文石を集め、守れる範囲の人間を守りますよ。俺が世界を守るなんて大層な言葉は言いません。ですが、俺は探索者としてできる限りの貢献をします」
「好きにしたらいい。私だってあと四十年も生きるかわからないからね」




