第十四話 蛇の目と猫の目
闇を纏った魔物の言葉が気になった。北海道にも碑文石を研究している者はいる。北海道大学の研究室にメールを送る。わずかですが謝礼を払うので話を聞きたいと記載した。
風呂に入ってビールを飲む。メールを開くと返信が来ていた。迅速な回答だ。メールにはダンジョン研究棟の蛇目主任研究員を尋ねてくれとあった。謝礼はいらない。ただし、蛇目は忙しい人間なので明日の十四時から三十分しか会えないと記載があった。
「有毒ガス事件の事後処理中だから忙しいのは間違いない。だが、探索者といっても俺は一般人と変わりがない。会ってくれるのは嬉しいが、なんのコネもなく簡単に会える人なんだろうか」
大手電子書籍販売サイトを見ると蛇目の著書は売っていなかった。論文検索サイトを見ると、有名な雑誌に論文の投稿がある。ただ、英語なのですぐには読めなかった。専門用語も多いので翻訳サイトを使っても、良い結果が得られなかった。
翌日、滅多に着ない背広を着て、北海道大学に向かう。北海道大学の敷地は広い。ダンジョン研究棟は牧草地中にぽつんと建っていたのですぐにわかった。
研究棟は黒くて四角い五階建ての建物でワンフロアー五千㎡くらいだった。入口で訪問を告げる。共通の応接室に通された。予定の時間から五分遅れて蛇目がやってくる。
蛇目は猫背の女性だった。歳は三十代後半くらい。黒髪で眼鏡をかけており、顔はどんよりと影が差している。名刺を渡すと、蛇目がソファーに座って尋ねてくる。
「少しお待たせして申しわけない。それで何をお聞きになられたいのかな」
「碑文石について最新の情報をわかりやすく教えてください」
蛇目の目が不気味に輝く。笑っているようにも見えるが、あまり感じが良くない。
「碑文石についてはまことしやかに語られている情報はほとんど嘘だ。特に国が金を出している研究は嘘ばかりだよ。皆で真実を隠している」
怪しい話をする女性だと内心身構えた。これが訪問販売なら壺を売りつけられそうな雰囲気だ。蛇目が唐突に質問してきた。
「犬井さんは世界が終わる時とはどんな時だと思う?」
話の脱線は避けたいところだ。ただ、お願いしている側なので丁寧な態度で軌道修正を試みる。
「世界の終末について訊きに来たのではなく碑文石について知りたいのですが?」
蛇目はにやにやと笑う。
「碑文石と世界の終末は関係があるのさ。碑文石は人類の終焉から世界を救うために存在する」
物を知らないから馬鹿にされているのかと思うが、蛇目はただ気味悪く笑うばかりだ。
「先生は碑文石を集めないと世界は滅びるとおっしゃりたいのですか? そんな、説を唱える学者に会った経験はありませんが」
蛇目はふんと鼻を鳴らして言い返した。
「だろうね。権力者に都合の悪い情報だからね。でも、政府が常に正しい情報を出すとは限らない。もし、違うというならバフォメットの件がいい例だ」
犬井の会社はバフォメットに接触したから存在を知っている。だが、バフォメットの存在は公にされていない。蛇目が小さな探索者会社の名前を一々覚えているとも思えない。犬井がバフォメットを知っていると、どこで知ったのだろうか疑問が残る。蛇目が微笑む。
「正直に教えよう。私は君がどんな人間かは知らない。だが、猫柳はよく知っている。そろそろ新しいダンジョンの守り人が接触してくるから会うようにと頼まれていた」
猫柳さんが手をまわしていてくれたから会えたのか。でも、猫柳さんが動いているのなら蛇目はいかがわしい人間ではない。また、こちらを馬鹿にしているのでもない。とすると、碑文石とは何なのだろう。
「どうだい? 面白くなってきただろう。人類が終末を迎えるのが先か? それとも、碑文石の謎を解明するのが先か、これは競争だ」
人類が将来的に終末を迎えるとはまだ納得しがたいが、本当なら気になる話である。
「終末が来るとして、あとどれくらいの猶予があるのですか?」
「このペースでいけば日本が無くなるのは九十年後かな」
日本史から見れば九十年の猶予は短い。だが、犬井にとっては長い時間だ。九十年後までは犬井は生きていない。責任も持てない。
蛇目はにやっとして忠告する。
「断っておくが、他の国の寿命はもっと短い。深刻なのは中国とロシアだろう。これらの国が滅びに際して暴挙に出れば、日本の寿命もぐっと短くなる」
どういう理由で終末が来るのかわからないが、終末の前に核戦争にでも巻き込まれたら日本は終わりだ。だが、中国系やロシア系の探索者会社が日本にきた理由も説明が付く。国家の維持を目指して両国は必死なのだ。
「繁栄から徐々に衰退して終わる文明もあれば、最後の数年で急激に悪くなり消える文明もある。いま世界に訪れる終末は後者だ」
「国家や文明の衰退の話はわかりました。それで、結局のところ碑文石とはなんなんですか?」
「教えてもいいが、一つ頼まれごとをしてもらうよ。君の会社に高価な碑文石を仕入れてもらう仕事を出した。完成できたらもっと教えよう」
蛇目はメモ用紙に仕入れてほしい碑文石の質、大きさ、純度を書く。経験上、蛇目が要求する碑文石は強い魔物を倒さねば出ないものだった。だが、手に入れば会社は一ヵ月分の売り上げを確保できる。
出現するモンスターによっては今の探索者チームでは下手をすれば死人が出るな。俺が先行して倒して拾わせるか、裏から支援すれば可能だ。
算段をさっと済ませると、蛇目は素っ気なく教えてくれた。
「これは君にとっては悪い仕事ではない。アバタールには可能性がある。ダンジョンの深層に行けば行くほど、強い魔物と戦えば戦うほどアバタールは強くなる」
「強くなるといっても限度があるでしょう? どこまで強くなるんですか?」
蛇目は皮肉っぽく笑う。
「世界を救うほど強くなる未来もあるが、強くなる前にたいていの奴は死ぬ。君が死なない未来を願うよ。未来の救世主君」
話は終わったので席を立つ。蛇目が言い添える。
「想像は力。困った時は思い描けば、閃きにより道は開ける。猫柳の言葉だ。願わくば君にダンジョンの祝福があらんことを」




